浅間山の噴火も少し収まり小康状態でしょうか。よかった!
昔、私がまだ軽井沢にいる頃、(遙かに昔です)今よりは大きな噴火を
何回か体験しています。
地響きと共に噴火し、学校の窓ガラスなどかなり割れてしまったり、
降灰やつぶてくらいの石が降ったり・・・。
夜の噴火では、山火事で裾野が赤々と燃えていたり・・・と。
「影向ようごうの松」で知られる江戸川区の善養寺へ行ったとき、境内にある
浅間山噴火犠牲者の供養塔があるのを知りました。
天明3年の浅間山大噴火で、はるか離れた江戸川の中洲に流れ着いた犠
牲者のなきがらを地元の人たちが手厚く葬ってくれたのです。
☆参考☆
子どもの頃は、落葉松の木の下に、それぞれの花畑を作っていたのですが、
漬け物石ほどの火山弾を回りに置いて囲んだものでした。
また、別荘の門柱などに火山弾を使ったものも見かけました。
木下惠介監督の映画「カルメン故郷に帰る」の運動会場面を撮影した、
千ヶ滝分校の門柱も、また火山弾で出来ていました。
少し掘ると、すぐ軽石ゴロゴロの火山灰地でしたので、軽石を利用した、
軽石ブロックを作っている工場もありました。
☆ 「カラマツの下の花畑」について