初めての中国の結婚式だったが、日本と似通っているところもあるが、違うことも多くあって興味深かった。
日本の結婚式とは西洋風ということで共通しているが、これはやはり西安と言う都会だから若い人達の好みもあって現代風なのだろう。帰ってから謝俊麗とチャットしたら、彼女の友人の結婚式の写真を見せようと送ってくれたのがこの写真である。西安の北西100キロほどの所にある彬(ピン)県での結婚式での新郎の両親達の装束だ。
中央が両親で、はじめは母親は仮面をつけているのかと思ったが、よく見ると化粧だった。左の2人は親族の夫婦ということだ。面白いなと言うと、そうでしょう、笑ってしまったと言ったから、山西省出身の俊麗でもかなり珍しく思った旧い習俗なのだろう。新郎新婦も旧い様式の衣装を着けるらしいが、その写真は手元にないと言った。結婚式は当事者の2人にとってはなかなか大変なことだが、このような所では両親や親族も大変だ。いったいこのような衣装を着けたり、化粧をすることにはどんな意味、由来があるのだろうか。広い中国の農村部などではあちこちに、まだまだ旧い習俗が根強く残っているのだろう。
これは謝俊麗の結婚記念写真。写真を撮っただけで結婚式ではではこのような衣装を着たわけではない。明代の結婚衣装らしい。俊麗は幼い頃に故郷での結婚式で、このような姿を見た記憶があると言った。2人が持っているのは古い貨幣を模した金元宝(チンユエンパオ)というもの。
女性の結婚衣装は、このような旧時代のものから、しだいにいわゆるチャイナドレス(旗袍チイパオ)、最近では西洋風のウェディングドレスが主流となっているとのことだ。
俊麗の結婚記念アルバムから。
披露宴の雰囲気は陽気でおおらかである。日本の披露宴は決められた席に座り、仲人の新郎新婦紹介や、2人の上司、旧師、友人などの挨拶を畏まって聴くが、中国では父親や私などの挨拶の時は静かだがリラックスした感じで聴き、その後は自由に立ち歩いて写真を撮ったりできる。もちろん食べる時には談笑している。小さな子ども達も会場を動き回って、落ちている花びらなどを拾ったりして遊んでいる。子どもの姿は多かった。参列者はほとんどが普段着に近いか、せいぜいよそゆきの服装だ。日本のように黒いスーツに白のネクタイの礼服は中国の結婚式ではではとんでもない服装で、特に白は葬儀の時の色だそうだ。前回にも書いたが、帰るのも自由だから気が楽だ。最近はとみに窮屈な雰囲気が苦手になってきている私にとっては、このような肩の凝らない会は有難く、開放的な気分になって疲れを感じなかった。
ある中国の女性から面白い話を聞いた。彼女の友人が結婚するので学友達が何人か一緒に披露宴に出ることになった。しかし当日はその中の1人がいつまでたっても来ない。後で聞くと会場を間違えたのに気づかずに、適当に空いていた席に着いて食事もしたそうだ。のん気というか、おおらかと言うか、日本では考えられないことだが、この話を袁毅や俊麗にすると、ある、あると言った。飲食していて新郎新婦がテーブルに回って来た時に2人の顔を見て、あっ間違えたと気がついたという話があるようだ。会場には受付というものもないから、そういうことも起こるのだろう。李真の友人の孫璇の結婚式では、いろいろな人におめでとうと言われたけれど、誰だったかなと分からない人もいたと言うから、招待した方でも分からないことがあるのだろう。そういうことをあまり気にしないのが大陸的と言うのか、まことにおおらかだ。
中国人は金銭のことはあけすけに話すので、私も李真に結婚式の費用はどれくらいかかったのかと尋ねると、会場費と料理のほかに化粧をしてもらったり、司会者を頼んだり、喜糖を用意したりの全てで2万数千元だったそうだ。日本円に換算すると30万円くらいで、何しろ招待客が260人だから、やはり桁違いに安い。謝俊麗に祝い金は幾らくらい出すのかを尋ねると、友人なら300元(4,500円)くらいから、親戚になると多くなり、親はもっと多く出す。親の出す額は、これも縁起を担いで999元、1,001元、時には10,001元のこともあるそうだ。9は久と同音であり、中国では古来吉に満ちた数とされる。1001は千里挑一(千の中から選ぶ)、10001は万里挑一(万の中から選ぶ)の意味があるとのことだ。私は日本式の祝儀袋に入れて渡して珍しがられた。
もう1つ今回感じたことは、親族達がよく助け合うことだ。結婚式の前日には李真の家に従兄が来て手伝っていたし、会場ではその従兄や従姉が来客を座席に案内していた。南京の施路敏の祖父母の家でも印象に残ったことだが、親兄弟、いとこ同士の関係が本当に温かく心地よい。特にいとこは兄さんとか姉さん、弟、妹と言って実のきょうだいのようだ。最近はどの家でも一人っ子だから、いとこ同士はなおさら親しみ合うようだ。李真の陳君は幼い頃に家庭の事情でおばさんの家で育てられたようだが、その家の従兄とは今も兄弟のような関係だと言う。家族、親戚の絆がだんだん薄れてきているように思う日本に比べると、中国ではまだまだ家族、親戚の間の人間関係が強く、温かさが残っているようだ。
日本の結婚式とは西洋風ということで共通しているが、これはやはり西安と言う都会だから若い人達の好みもあって現代風なのだろう。帰ってから謝俊麗とチャットしたら、彼女の友人の結婚式の写真を見せようと送ってくれたのがこの写真である。西安の北西100キロほどの所にある彬(ピン)県での結婚式での新郎の両親達の装束だ。
中央が両親で、はじめは母親は仮面をつけているのかと思ったが、よく見ると化粧だった。左の2人は親族の夫婦ということだ。面白いなと言うと、そうでしょう、笑ってしまったと言ったから、山西省出身の俊麗でもかなり珍しく思った旧い習俗なのだろう。新郎新婦も旧い様式の衣装を着けるらしいが、その写真は手元にないと言った。結婚式は当事者の2人にとってはなかなか大変なことだが、このような所では両親や親族も大変だ。いったいこのような衣装を着けたり、化粧をすることにはどんな意味、由来があるのだろうか。広い中国の農村部などではあちこちに、まだまだ旧い習俗が根強く残っているのだろう。
これは謝俊麗の結婚記念写真。写真を撮っただけで結婚式ではではこのような衣装を着たわけではない。明代の結婚衣装らしい。俊麗は幼い頃に故郷での結婚式で、このような姿を見た記憶があると言った。2人が持っているのは古い貨幣を模した金元宝(チンユエンパオ)というもの。
女性の結婚衣装は、このような旧時代のものから、しだいにいわゆるチャイナドレス(旗袍チイパオ)、最近では西洋風のウェディングドレスが主流となっているとのことだ。
俊麗の結婚記念アルバムから。
披露宴の雰囲気は陽気でおおらかである。日本の披露宴は決められた席に座り、仲人の新郎新婦紹介や、2人の上司、旧師、友人などの挨拶を畏まって聴くが、中国では父親や私などの挨拶の時は静かだがリラックスした感じで聴き、その後は自由に立ち歩いて写真を撮ったりできる。もちろん食べる時には談笑している。小さな子ども達も会場を動き回って、落ちている花びらなどを拾ったりして遊んでいる。子どもの姿は多かった。参列者はほとんどが普段着に近いか、せいぜいよそゆきの服装だ。日本のように黒いスーツに白のネクタイの礼服は中国の結婚式ではではとんでもない服装で、特に白は葬儀の時の色だそうだ。前回にも書いたが、帰るのも自由だから気が楽だ。最近はとみに窮屈な雰囲気が苦手になってきている私にとっては、このような肩の凝らない会は有難く、開放的な気分になって疲れを感じなかった。
ある中国の女性から面白い話を聞いた。彼女の友人が結婚するので学友達が何人か一緒に披露宴に出ることになった。しかし当日はその中の1人がいつまでたっても来ない。後で聞くと会場を間違えたのに気づかずに、適当に空いていた席に着いて食事もしたそうだ。のん気というか、おおらかと言うか、日本では考えられないことだが、この話を袁毅や俊麗にすると、ある、あると言った。飲食していて新郎新婦がテーブルに回って来た時に2人の顔を見て、あっ間違えたと気がついたという話があるようだ。会場には受付というものもないから、そういうことも起こるのだろう。李真の友人の孫璇の結婚式では、いろいろな人におめでとうと言われたけれど、誰だったかなと分からない人もいたと言うから、招待した方でも分からないことがあるのだろう。そういうことをあまり気にしないのが大陸的と言うのか、まことにおおらかだ。
中国人は金銭のことはあけすけに話すので、私も李真に結婚式の費用はどれくらいかかったのかと尋ねると、会場費と料理のほかに化粧をしてもらったり、司会者を頼んだり、喜糖を用意したりの全てで2万数千元だったそうだ。日本円に換算すると30万円くらいで、何しろ招待客が260人だから、やはり桁違いに安い。謝俊麗に祝い金は幾らくらい出すのかを尋ねると、友人なら300元(4,500円)くらいから、親戚になると多くなり、親はもっと多く出す。親の出す額は、これも縁起を担いで999元、1,001元、時には10,001元のこともあるそうだ。9は久と同音であり、中国では古来吉に満ちた数とされる。1001は千里挑一(千の中から選ぶ)、10001は万里挑一(万の中から選ぶ)の意味があるとのことだ。私は日本式の祝儀袋に入れて渡して珍しがられた。
もう1つ今回感じたことは、親族達がよく助け合うことだ。結婚式の前日には李真の家に従兄が来て手伝っていたし、会場ではその従兄や従姉が来客を座席に案内していた。南京の施路敏の祖父母の家でも印象に残ったことだが、親兄弟、いとこ同士の関係が本当に温かく心地よい。特にいとこは兄さんとか姉さん、弟、妹と言って実のきょうだいのようだ。最近はどの家でも一人っ子だから、いとこ同士はなおさら親しみ合うようだ。李真の陳君は幼い頃に家庭の事情でおばさんの家で育てられたようだが、その家の従兄とは今も兄弟のような関係だと言う。家族、親戚の絆がだんだん薄れてきているように思う日本に比べると、中国ではまだまだ家族、親戚の間の人間関係が強く、温かさが残っているようだ。