中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

初めての日本

2007-11-17 08:58:28 | 身辺雑記
 中国西安の旅行社に勤めていた邵利明(シャオ・リミン)、愛称明明が1年間大阪の企業に勤めることになって10月下旬に来日した。会社から世話された住宅で生活して、もう日本での生活にもだいぶ慣れたようだが、それでも何かにつけて中国でのことと比較して、珍しく思ったり不思議に思ったり、戸惑ったりすることがあるのは当然のことだろう。

 百貨店の食料品売り場のフロア、いわゆるデパ地下に行くと、珍しそうに商品に目を留め「オデンって何ですか」と尋ねたり、辛子明太子を見て何かと尋ねたり、興味をそそられる物は多いようだ。彼女は日本食は刺身でも何でも食べるし(ただし梅干はだめ)、毎日好んでざる蕎麦を食べているようだが、これからも食生活だけでなく日常のさまざまなことに積極的に向かっていくだろう。そんな明明からいくつか日本で印象的に思ったことを聞いた。

 まず、日本の客を相手にするいろいろな所での応対の丁寧なことには好感を持ったようだ。上海から大阪に来たときに乗った中国民間航空の客室乗務員の中には普通1人だけ日本人がいるが、その日本人乗務員の笑顔と丁寧な態度は、中国人乗務員とは非常に違うと感じたらしい。また手続きのために行った大阪の区役所でも笑顔で丁寧に応対され、中国での役所の人間の偉そうな態度とずいぶん違うと言った。中国でも最近は北京五輪や上海万博を間近にして、かなり接客態度が改善されてはいるようで、現に先日上海浦東空港で、通関の時に笑顔で「ニイハオ」と言われ、初めてのことで少し驚いた。それでも明明には、中国と日本とでは接客態度にまだまだ差があるように思えるのだろう。

 日本の若い女性の喫煙者が多いことにも驚いていた。会社でも昼休みの時には女子トイレの入り口の前のベンチでは多くの女性社員が喫煙しているようだ。また街で2人の幼い子のそばで母親が喫煙しているのにもびっくりしたと言っていた。公衆トイレでは女子高校生が吸っていたのも見たようで、若い女性の喫煙者が多いことは中国とはかなり違うという印象を持ったようだ。

 若い女性の化粧の濃いことも驚きのようだ。まるで舞台に上がるような化粧だと言う。明明は素顔に近いごく薄く化粧をしているだけで、中国の若い女性は概して化粧はしていないか薄い。明明は西安でガイドをしていたから、化粧の程度で、中国人、日本人、韓国人の見分けがつくと言っている。日本の女の子ような化粧はしないほうがいいよと言うと、西安であんな化粧をしたら、気が変な人間と思われますと言って笑っていた。

 明明は日本語をかなりよく話すが、関西弁(大阪弁)には困るらしい。早口で何を話しているのかさっぱり理解できないと言う。入社した時に2人の役職者からいろいろ指導されたが、最初の人は関西弁だったので何も分かりませんでしたと言った。会社での昼休みに休憩室で皆が喋っている時にも何を話しているのか解らない。話の後で明明に「そやろ?邵さん」と聞かれたりすると、「はい」と答えるしかないと笑っていた。かつてある卒業生が茨城県で働いていた時に昼食をとりに入った店で、大阪の漫才師がテレビに出ていて、それを見ながら大笑いしていると、仲間が「あんた、あれは何を言っているのか解るのか」と聞かれたそうだ。関東の人間にとっては、大阪弁はまさに外国語のようなものだったのだろう。まして中国の大学で標準的な日本語を学んできた明明にとっては、大阪弁は難解の極みなのだろう。もっとも日本でも北の青森の端の方や南の沖縄などに行ったらもっと解らない、例えば東北のある所では、「食べろ」は「ケ」、「食べる」は「ク」と言うそうだ、「食え」、「食う」というやり取りなのだろうなどと話すと、大学で日本の寒い所ではあまり唇を動かさないで話すと聞いたことがあると言っていた。それでも「ヤロ?」とかか「ヘン」を連発する大阪弁には興味を持っているようで、同僚達に大阪弁を勉強しようかと言ったら、皆に止めなさい、標準語を勉強しなさいと言われたそうだ。日本語学習の本が見たいと言うので書店に行くと、外国人のための大阪弁の参考書があった。やはり郷に入れば郷に従えと言うことなのだろうが、明明は大阪弁は話さないほうがいい。東京に3年いる上海人の施路敏(シ・ルミン)は日本語がずいぶんうまくなって、とりわけ書くことの上達は著しいが、明明も一年後にはいっそううまくなっているだろうし、大阪弁も聴き取れるようになるだろう。