蘇州は庭園が多いことで知られている。またその庭園は見事なものが多く「江南の庭園は天下第一。蘇州の庭園は江南第一」と言われる。蘇州の庭園は北京の頣和園のような御苑ではなく、高級官僚や地主、豪商などが贅を尽くして造ったものである。そのほかの地でも、江南とりわけ蘇州の庭園を模したものが造られたと言う。
蘇州の数ある庭園の中でも、宋代の滄浪亭、元代の獅子林、明代の拙政園、清代の留園が四代名園とされるようだが、今回は留園を見た。
留園は明の嘉靖年間(1522~1566)の高級官僚の自家庭園として造られ、最初は東園と称していたが、清の光緒年間(1875)に留園と改名された。
留園の入り口は小さく「これが?」と思うような簡素のものだ。観光客がたくさん来ていた。
中に入ると落ち着いた雰囲気で、園内の配置図を彫った石がある。かなり広いようだ。園内は東部、中部、西部、北部に分けられて、それぞれ特色がある。
日本のように建物の間の空間に樹木や石をあしらっていて落ち着いた空間を作っている。
建物の間を結ぶ曲折した廊下、曲廊には一つひとつ異なる透かし彫りが施された窓(花窓)があり、ここから外の庭園を透かしてみるようになっている。これも風情がある。
樹木と石の築山と池と建物で構成された庭園。ここは庭園中部の池を主体にした地域。
この石は太湖石と言い、蘇州の近くにある大きな湖である太湖周辺の丘陵から切り出される奇石である。穴の多い複雑な形のもので、日本人の感覚には少し合わないように思うが、中国では蘇州のほか各地の庭園にはなくてはならないもので、さまざまな動物の形に見立てて鑑賞したり、瞑想したりするために好んで置かれていると言う。
主人の応接間。吹きさらしで冬は寒いと思うが、夏の暑さをしのぐために椅子には大理石の円盤が嵌められている。
女性の応接間。男性のものに比べると天井などの作りも簡単で、全体に小ぶりである。
冠雲峰。高さ6.5m、重さ5tの太湖石で、太湖石の王と言われる。
自然の景観を生かした西部地域。
北部にある「又一村(ヨウイツン)」。多くの盆栽や盆景が並べられている。
2.3ヘクタールあると言う広大な園内を回り、その精緻なつくりや豪華な建物や調度を見ると、この庭園を造った主がいかに巨大な財力を有していたかが分かり、当時の高級官僚の権力の強大さが想像された。
蘇州の数ある庭園の中でも、宋代の滄浪亭、元代の獅子林、明代の拙政園、清代の留園が四代名園とされるようだが、今回は留園を見た。
留園は明の嘉靖年間(1522~1566)の高級官僚の自家庭園として造られ、最初は東園と称していたが、清の光緒年間(1875)に留園と改名された。
留園の入り口は小さく「これが?」と思うような簡素のものだ。観光客がたくさん来ていた。
中に入ると落ち着いた雰囲気で、園内の配置図を彫った石がある。かなり広いようだ。園内は東部、中部、西部、北部に分けられて、それぞれ特色がある。
日本のように建物の間の空間に樹木や石をあしらっていて落ち着いた空間を作っている。
建物の間を結ぶ曲折した廊下、曲廊には一つひとつ異なる透かし彫りが施された窓(花窓)があり、ここから外の庭園を透かしてみるようになっている。これも風情がある。
樹木と石の築山と池と建物で構成された庭園。ここは庭園中部の池を主体にした地域。
この石は太湖石と言い、蘇州の近くにある大きな湖である太湖周辺の丘陵から切り出される奇石である。穴の多い複雑な形のもので、日本人の感覚には少し合わないように思うが、中国では蘇州のほか各地の庭園にはなくてはならないもので、さまざまな動物の形に見立てて鑑賞したり、瞑想したりするために好んで置かれていると言う。
主人の応接間。吹きさらしで冬は寒いと思うが、夏の暑さをしのぐために椅子には大理石の円盤が嵌められている。
女性の応接間。男性のものに比べると天井などの作りも簡単で、全体に小ぶりである。
冠雲峰。高さ6.5m、重さ5tの太湖石で、太湖石の王と言われる。
自然の景観を生かした西部地域。
北部にある「又一村(ヨウイツン)」。多くの盆栽や盆景が並べられている。
2.3ヘクタールあると言う広大な園内を回り、その精緻なつくりや豪華な建物や調度を見ると、この庭園を造った主がいかに巨大な財力を有していたかが分かり、当時の高級官僚の権力の強大さが想像された。