惨劇があったので、当分中止されることになった東京秋葉原の歩行者天国、「アキバのホコテンは、サブカルやオタクの聖地で、休日には奇抜なコスプレの若者達で賑わい・・・」などと言われている。もはや私のような墓石、化石人間にはまったくの無縁の場所のようだし、関心もないが、「オタク」という言葉は普段何気なく使うので、改めて調べてみた。
オタクと言うのは、何か1つのことに執着してそれにのめり込む者で、マニアと似たようなものと思っていたが、ちょっと違うようで、「社会的認知度が高くない趣味に傾倒する人の一つの類型またはその個人を示す言葉である」とあった。軍事オタク(ミリオタ)・パソコンオタク・モーニング娘。オタク(モーヲタ)などで、主に20代以降の、アニメや漫画、ゲーム、アイドルなどを愛好する人(たち)のことを指すようだ。表示についても変遷があるようで当初は「おたく」とひらがな表記だったが、後に語源的には「お宅」であったことから。「おタク」とも表記されるようになったらしい。今は「オタク」と表記することが多いが、正しくは「おたく」だと、なかなかうるさい。このあたりのことはインタネットで調べると、社会史的な背景などが分かって結構面白い。ただ偏見かも知れないが、オタクと聞くと、何かしらエキセントリックな非社会的なものも感じる。
これに対してマニアは1つのことに異常に熱中する人のことを言う。例えば、切手収集マニア、蝶収集マニア、競馬マニア、釣マニア、女装マニアなどと言う。もっとも英語のmaniaには人の意味はないようで、あることに対する異常な熱意、熱中、熱狂を言う。元来は鬱病に対する躁病を指す医学用語らしい。中国語では「迷ミー」がこれに当たる。中国好きの私を評して西安の李真が「本当に中国迷だね」と言ったので、「中国迷爺爺」を自称するようになったが、マニアと言うほどではなく、かなり好きだという程度だと自分では思っている。マニアと自称する人はオタクと言われるのを嫌うそうで、やはりオタクに感じられる、ある暗さのようなものを否定したいのだろう。
マニアも度が過ぎると反社会的な非常識な行動をするようになる。例えば一時棚田が脚光を浴び、日本全国にある棚田に多くの人達、特に写真家と称する人達が押し寄せた。彼らは気に入ったアングルで写真を撮ろうと熱中するあまり棚田の畦に入り込み、それを傷めたりするので、地元の人の顰蹙を買うこともしばしばあったようだ。また自然観察をしている弟が言っていたが、動物写真家と自認する者の中には、貴重な鳥の巣に近づいて写真を撮ろうとするから、恐れた鳥に巣を放棄させたりすることもあるそうだ。こうなるとオタクの方が、仮に非社会的な面はあるにしてもまだましかも知れない。
オタクとマニアの間はどのように線引きされるかはよく分からないが、いずれにしても1つのことに没頭するのには、それなりのエネルギーが要るのではないかと思う。一時は凝っていた切手収集も今ではまったく手をつけていない、どちらかというと飽きっぽいところのある私にはどうやらあまり縁のないことのようだ。
オタクと言うのは、何か1つのことに執着してそれにのめり込む者で、マニアと似たようなものと思っていたが、ちょっと違うようで、「社会的認知度が高くない趣味に傾倒する人の一つの類型またはその個人を示す言葉である」とあった。軍事オタク(ミリオタ)・パソコンオタク・モーニング娘。オタク(モーヲタ)などで、主に20代以降の、アニメや漫画、ゲーム、アイドルなどを愛好する人(たち)のことを指すようだ。表示についても変遷があるようで当初は「おたく」とひらがな表記だったが、後に語源的には「お宅」であったことから。「おタク」とも表記されるようになったらしい。今は「オタク」と表記することが多いが、正しくは「おたく」だと、なかなかうるさい。このあたりのことはインタネットで調べると、社会史的な背景などが分かって結構面白い。ただ偏見かも知れないが、オタクと聞くと、何かしらエキセントリックな非社会的なものも感じる。
これに対してマニアは1つのことに異常に熱中する人のことを言う。例えば、切手収集マニア、蝶収集マニア、競馬マニア、釣マニア、女装マニアなどと言う。もっとも英語のmaniaには人の意味はないようで、あることに対する異常な熱意、熱中、熱狂を言う。元来は鬱病に対する躁病を指す医学用語らしい。中国語では「迷ミー」がこれに当たる。中国好きの私を評して西安の李真が「本当に中国迷だね」と言ったので、「中国迷爺爺」を自称するようになったが、マニアと言うほどではなく、かなり好きだという程度だと自分では思っている。マニアと自称する人はオタクと言われるのを嫌うそうで、やはりオタクに感じられる、ある暗さのようなものを否定したいのだろう。
マニアも度が過ぎると反社会的な非常識な行動をするようになる。例えば一時棚田が脚光を浴び、日本全国にある棚田に多くの人達、特に写真家と称する人達が押し寄せた。彼らは気に入ったアングルで写真を撮ろうと熱中するあまり棚田の畦に入り込み、それを傷めたりするので、地元の人の顰蹙を買うこともしばしばあったようだ。また自然観察をしている弟が言っていたが、動物写真家と自認する者の中には、貴重な鳥の巣に近づいて写真を撮ろうとするから、恐れた鳥に巣を放棄させたりすることもあるそうだ。こうなるとオタクの方が、仮に非社会的な面はあるにしてもまだましかも知れない。
オタクとマニアの間はどのように線引きされるかはよく分からないが、いずれにしても1つのことに没頭するのには、それなりのエネルギーが要るのではないかと思う。一時は凝っていた切手収集も今ではまったく手をつけていない、どちらかというと飽きっぽいところのある私にはどうやらあまり縁のないことのようだ。