宿泊したホテルの近くに寺院があったので入ってみた。城隍廟(チョンフアンミャオ)と言って、都市や町などにはどこにでもある町の守り神、鎮守の神のようだ。隍は堀を意味している。
入ってみると入り口はさほど大きくはないが、意外に奥行きがある。この廟は仏教ではなく道教の寺院だった。
入り口を入ると広場があり正面に儀門という門がある。
儀門から入ると中庭があり、正面には本殿である城隍殿があり、その前には蝋燭を献灯するところがあって、紅い蝋燭が立てられている。中国の蝋燭は日本とは違って紅い。もう灯されているものがあったので朝早い参拝客があるのだろう。
蝋燭に火を灯すH君夫妻。
城隍殿には道教の神が祭られていた。仏教の寺院とはまた違う派手な色彩である。
道教のことは知らないので、どのような神があるのか分からないが、これは月老とあった。後で調べると月老とは月下老人の略で、人の縁組を司る神だということだ。月下氷人、すなわち仲人である。
その奥に女神の像があったが、これはどういう神か分からない。
堂内にはその他にもさまざまな道教の神が祭られていて、その一つの女神像の前では何人かの男女が香を焚きながら経を唱えていた。朝早くからの「お勤め」なのだろう。
現在の中国では宗教はあまり盛んではないのかと思っていたが、実際には仏教寺院でも道教寺院でも参拝客は多く、老人だけでなく若い女性なども、線香の束を捧げて四方を拝んだり、仏像の前でひざまづいて祈っている姿はよく見かける。
上海の龍華寺で
同上
2004年の春節に、上海の唐怡荷(タン・イフ)と杭州の霊隠寺に行った時は大変な混雑だったが、その中で怡荷も熱心に線香を捧げて祈っていた。
ただ、仏教信者と道教信者に分かれていることはないようで、どちらの寺院にも行き敬虔に祈るようだ。日本人の仏教寺院と神社に対する行為とは似ているようだが、もっと根が深いような気がする。道教は日本では馴染みは薄いが、その起源は仏教よりも古いから、中国の文化や町の守護、縁結びなどの民間の習俗に強く影響を及ぼしてきて、現代の中国社会にも根強く続いているのだろう。日本でも知られている仙人は道家の理想的人物とされているものだ。
朝食時で、廟の向かい側の道路脇では餅子を焼いて売る屋台があった。水で溶いた小麦粉に葱を混ぜ卵を割り入れて作っていて、なかなか美味そうだった。
入ってみると入り口はさほど大きくはないが、意外に奥行きがある。この廟は仏教ではなく道教の寺院だった。
入り口を入ると広場があり正面に儀門という門がある。
儀門から入ると中庭があり、正面には本殿である城隍殿があり、その前には蝋燭を献灯するところがあって、紅い蝋燭が立てられている。中国の蝋燭は日本とは違って紅い。もう灯されているものがあったので朝早い参拝客があるのだろう。
蝋燭に火を灯すH君夫妻。
城隍殿には道教の神が祭られていた。仏教の寺院とはまた違う派手な色彩である。
道教のことは知らないので、どのような神があるのか分からないが、これは月老とあった。後で調べると月老とは月下老人の略で、人の縁組を司る神だということだ。月下氷人、すなわち仲人である。
その奥に女神の像があったが、これはどういう神か分からない。
堂内にはその他にもさまざまな道教の神が祭られていて、その一つの女神像の前では何人かの男女が香を焚きながら経を唱えていた。朝早くからの「お勤め」なのだろう。
現在の中国では宗教はあまり盛んではないのかと思っていたが、実際には仏教寺院でも道教寺院でも参拝客は多く、老人だけでなく若い女性なども、線香の束を捧げて四方を拝んだり、仏像の前でひざまづいて祈っている姿はよく見かける。
上海の龍華寺で
同上
2004年の春節に、上海の唐怡荷(タン・イフ)と杭州の霊隠寺に行った時は大変な混雑だったが、その中で怡荷も熱心に線香を捧げて祈っていた。
ただ、仏教信者と道教信者に分かれていることはないようで、どちらの寺院にも行き敬虔に祈るようだ。日本人の仏教寺院と神社に対する行為とは似ているようだが、もっと根が深いような気がする。道教は日本では馴染みは薄いが、その起源は仏教よりも古いから、中国の文化や町の守護、縁結びなどの民間の習俗に強く影響を及ぼしてきて、現代の中国社会にも根強く続いているのだろう。日本でも知られている仙人は道家の理想的人物とされているものだ。
朝食時で、廟の向かい側の道路脇では餅子を焼いて売る屋台があった。水で溶いた小麦粉に葱を混ぜ卵を割り入れて作っていて、なかなか美味そうだった。