今日は「くまがやを学ぶ講座」の第2回目です。前回の詳しい内容は本人がまだ良く消化していないため、別の機会にUPしますが、その講座の中で紹介された、第22回太田松茸道中(妻沼聖天山の部)を見学してきました。
お目当ての一つはそこで無料で振舞われる、松茸のお吸い物です。
松茸道中の由来を以下に「山田屋焼きまんじゅう」さんのブログから引用させていただきました。
>江戸時代の初め、金山から沢山の松茸が採れました。
寛永6年(1629)館林城主の松平忠次が、将軍徳川家光に献上したのが始まりと伝えられています。
彼岸から10月にかけて金山山中の40ヶ所ほどで生え出た松茸は、山守りの御林守(おはやしのかみ)の家に集められます。
そして献上の日になると竹籠に詰められ、老中の証文写しを添えて江戸城まで運ばれました。
太田を朝9時に出発、中継で人足を交代し休みなく運ばれ、江戸城到着は翌朝5時を例としました。
この搬送は松茸道中と呼ばれ、大名と同格といいますから威厳は大したものだったようです。
鮮度保持のため搬送時間20時間ということからも威勢は伝わってきます。
明治以降は皇室へ引き継がれ昭和30年代まで続けられました。
現在では松茸はとれなくなってしまいましたが、献上松茸と松茸道中は語り継げていきたい、郷土の大切な歴史のひとこまです。
最初に刀水橋の熊谷側のたもとで一行を待ちました。ベンチに腰かけて待っていると、車で刀水橋を通りかかった方に、車を停めて「何の行列ですか?」と尋ねられました。その方々も一緒に見物して珍しいものを見られたと喜んで帰りました。一行が14時少し前に、橋を渡って熊谷に入ってきました。
本物の松茸が籠の中に入っています。担いでいる方も手甲、脚絆に草鞋履きでとても素人には見えないですね。お侍様も立派です。
こちらの松茸には圧倒されます。松茸ご飯が何人分出来るのでしょうか?
一行が聖天山の近くまでやって来ました。今日は少し肌寒いような陽気で松茸道中日和かもしれません。
江戸時代の行列は江戸城までですが、現代の松茸道中は妻沼聖天山までで終わりです。ですが古来の史実どおりに、こちらでは道中の安全祈願をするという設定になっています。その昔、太田の呑龍さまと聖天さまは仲が良くなかったという言い伝えもありますが、この日ばかりは歓迎ムード一色です。
一行の皆さんが記念撮影をしているのを脇目に見てお吸い物を頂戴しました。いいお味です。
毎年10月の第一日曜日に開催されるそうですので、改装なった聖天山を見学がてら、松茸道中見物も一興です。