7月3日(水)今日で札所巡りも四日目になり、前回までに20か所を廻り終えました。
今回は荒川の左岸(対岸)の札所を3か所、右岸が1か所と楽勝の行程だと勝手に思っていました。急行で8:09に影森駅着、ここでガイドのSさんが江戸巡礼古道と長享番付について説明。札所32番に残る室町時代の札所番付によれば、現在の25番→24番→23番→16番は11番→12番→14番→13番となるとのこと。当時の巡礼は芦ヶ久保から横瀬を経て大宮郷、皆野のルートを採ったと考えられるのだそうです。
荒川に架かる柳大橋を渡り、札所25番 岩谷山久昌寺に向かいました。
柳大橋という名前のとおり、橋の袂には大きな柳の木が有りました。
橋の下を見ると鮎釣りの姿が見えます。秩父の荒川の解禁は6月7日(土)でした。前回は6月5日が札所巡りでしたので、川鵜から守るテグスが見えたのですが、今回は釣り人でした。
対岸に渡り暫く歩くとお手判寺の扁額が掛けられた大きな山門が見えて来ました。ここが札所25番 岩谷山久昌寺です。お手判寺の由来は、秩父札所を開いたとされる十三権者のひとり、性空上人が閻魔大王から石造りの手判(印鑑)と証文を授かり、証文は西国24番中山寺へ、手判はこの久昌寺へ納めたのだそうです。石造りのお手判は寺宝とされ金庫に収めてあるとのことです。
『秩父観音霊験記』によれば、昔、欲深でよこしまな女が山に籠って悪行を重ねた。夫からもうとまれ、村人は思い余って荒川に投げ入れた。しかし女は一命をとりとめ久那の岩屋で女の子を生んだ。子供は親に似ず美しく、成人してから母の菩提を弔うために観音堂の建立を発願し、旅の僧や村人の協力により岩屋の前に観音堂を建立し、観音さまを安置した。これが久昌寺の起源とされる。
お寺の前には弁天池があり蓮池もあります。知人は弁天池で子供の頃よく釣りをしたそうです。
25番の少し先から県道には出ないで久那みちに入ります。
「江戸巡礼古道久那みち」らしくなります。途中で行き会った方が、雨でぬかるみがあるので気を付けてと注意してくれました。
暫く上ると巡礼坂の脇を通って、矢尾商店の酒づくりの森へ到着。
時計を見ると10:50です。2時間以上歩いてもまだ札所はひとつしか廻れていません。意外と今日のルートは手強い感じです。でも折角ですから、試飲コーナーにもちょっと立ち寄りました。手が震える人では注ぐのが大変なサイズのカップで試飲です。
のんびりする間もなく札所24番光智山 法泉寺へ向かいます。少し急いでいましたので、県道に出て116段の階段を登るコースでは無く、直接境内に出るルートを選択しました。
このお寺は養老7年(723)に越前の泰澄大師が毘盧遮那仏の夢のお告げにより、加賀の白山を勧請し、この地に観音像を安置したのが始まりだそうです。
ここから眺める武甲山も良いですね。
116段の階段を下りて長尾根に向かいました。
このお蕎麦屋さんは小生が秩父に住んでいる時にあったので、30年以上のお付き合いです。
以前は道路の反対側にあったのですが、3年前に今の場所に新しいお店を建てたとのこと。
江戸巡礼古道を歩き疲れて、汗も相当かいたのでビールで乾杯。つまみは舞茸の天ぷらです。全員大盛り蕎麦を注文、美味しくいただきました。
この日は気温があまり高くなかったので、ビールをいただきましたが、真夏日はビールを飲んで長距離を歩くと、熱中症になる恐れがありますので注意しましょう。
お店も混んで来たので23番松風山 音楽寺に向かって出発です。
大分長くなりましたので午後の部はまた日を改めます。
追伸
今回使っている写真は同行の雄ちゃんが撮った写真がほとんどです。雄ちゃん有難うございます。
今回は荒川の左岸(対岸)の札所を3か所、右岸が1か所と楽勝の行程だと勝手に思っていました。急行で8:09に影森駅着、ここでガイドのSさんが江戸巡礼古道と長享番付について説明。札所32番に残る室町時代の札所番付によれば、現在の25番→24番→23番→16番は11番→12番→14番→13番となるとのこと。当時の巡礼は芦ヶ久保から横瀬を経て大宮郷、皆野のルートを採ったと考えられるのだそうです。
荒川に架かる柳大橋を渡り、札所25番 岩谷山久昌寺に向かいました。
柳大橋という名前のとおり、橋の袂には大きな柳の木が有りました。
橋の下を見ると鮎釣りの姿が見えます。秩父の荒川の解禁は6月7日(土)でした。前回は6月5日が札所巡りでしたので、川鵜から守るテグスが見えたのですが、今回は釣り人でした。
対岸に渡り暫く歩くとお手判寺の扁額が掛けられた大きな山門が見えて来ました。ここが札所25番 岩谷山久昌寺です。お手判寺の由来は、秩父札所を開いたとされる十三権者のひとり、性空上人が閻魔大王から石造りの手判(印鑑)と証文を授かり、証文は西国24番中山寺へ、手判はこの久昌寺へ納めたのだそうです。石造りのお手判は寺宝とされ金庫に収めてあるとのことです。
『秩父観音霊験記』によれば、昔、欲深でよこしまな女が山に籠って悪行を重ねた。夫からもうとまれ、村人は思い余って荒川に投げ入れた。しかし女は一命をとりとめ久那の岩屋で女の子を生んだ。子供は親に似ず美しく、成人してから母の菩提を弔うために観音堂の建立を発願し、旅の僧や村人の協力により岩屋の前に観音堂を建立し、観音さまを安置した。これが久昌寺の起源とされる。
お寺の前には弁天池があり蓮池もあります。知人は弁天池で子供の頃よく釣りをしたそうです。
25番の少し先から県道には出ないで久那みちに入ります。
「江戸巡礼古道久那みち」らしくなります。途中で行き会った方が、雨でぬかるみがあるので気を付けてと注意してくれました。
暫く上ると巡礼坂の脇を通って、矢尾商店の酒づくりの森へ到着。
時計を見ると10:50です。2時間以上歩いてもまだ札所はひとつしか廻れていません。意外と今日のルートは手強い感じです。でも折角ですから、試飲コーナーにもちょっと立ち寄りました。手が震える人では注ぐのが大変なサイズのカップで試飲です。
のんびりする間もなく札所24番光智山 法泉寺へ向かいます。少し急いでいましたので、県道に出て116段の階段を登るコースでは無く、直接境内に出るルートを選択しました。
このお寺は養老7年(723)に越前の泰澄大師が毘盧遮那仏の夢のお告げにより、加賀の白山を勧請し、この地に観音像を安置したのが始まりだそうです。
ここから眺める武甲山も良いですね。
116段の階段を下りて長尾根に向かいました。
このお蕎麦屋さんは小生が秩父に住んでいる時にあったので、30年以上のお付き合いです。
以前は道路の反対側にあったのですが、3年前に今の場所に新しいお店を建てたとのこと。
江戸巡礼古道を歩き疲れて、汗も相当かいたのでビールで乾杯。つまみは舞茸の天ぷらです。全員大盛り蕎麦を注文、美味しくいただきました。
この日は気温があまり高くなかったので、ビールをいただきましたが、真夏日はビールを飲んで長距離を歩くと、熱中症になる恐れがありますので注意しましょう。
お店も混んで来たので23番松風山 音楽寺に向かって出発です。
大分長くなりましたので午後の部はまた日を改めます。
追伸
今回使っている写真は同行の雄ちゃんが撮った写真がほとんどです。雄ちゃん有難うございます。