蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

外国人力士

2014年10月12日 | Weblog
外国人力士

大相撲の番付上位の多くが外国人力士で占められ、本場所で日本人力士が優勝することが極めて珍しい(というか、当分起こりそうにない)こととなっています。

昔もハワイなど南洋諸島?の外国人力士が活躍したことはありましたが、番付上位を独占してしまうという事態は想像もつきませんでした。

その割に、(現時点の)世間の外国人力士への風当たりは、あまり強くないように感じます。
フロンティアである高見山や小錦は、アウェイなムードを感じた、みたいなコメントをよくしていたような気がしますので、外国人力士をとりまく相撲ファンの雰囲気は(友好的な方向へ)変化してきたのかもしれません。

大きな原因は、モンゴル人力士が多いので、見かけが日本人と区別がつきにくいことでしょう。昔の強豪外国人力士の中でも風貌が日本人っぽい(というか西郷さんに似ている)の武蔵丸には(相対的に)逆風が弱かったような気がします。

もう一つの原因として、昔に比べて、外国人力士が話す日本語がうまい、日本人が話しているのとアクセントもふくめ違いがわからないほど流暢であることがあげられるのではないでしょうか。
高見山や小錦は、やっぱりどこか母国語でないことを感じさせる話し方だったのですが、最近の人は皆、外国語をしゃべっているような感じは全くありません。
比較的低年齢から来日していることが多いモンゴル出身者はまだわかるのですが、琴欧州や把瑠都もやたらと日本語会話がうまかった印象があります。

相撲部屋も外国人力士の受入に違和感がなくなり(というより、積極的に採用?するようになり)、おそらく、恵子でも日常生活でも日本人力士と同様の扱いをするようになった(のではないかと思われる)ことが原因でしょうか。
高見山らフロンティアの時代には、そもそも外国人にどう接すればいいかわからないので腫物にさわるような扱いだったともいいます。

相撲部屋では相当に出世するまで別宅を構えることなく、24時間年中無休で合宿状態と聞きますので、自然に日本語ができるようになるのでしょうね。
そうだとしても日常会話のアクセントまで日本人そのものになってしまうのは、やっぱりすごいな、出世していく力士は語学習得でも相当に努力しているんだろうな、と思います。
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時代

2013年05月10日 | Weblog
時代

もう1カ月以上前のことなので気がひけるが、備忘のため書いてみる。

4月6日の「SONGS」(NHK総合)のテーマは「時代」だった。

この曲がヤマハだったかのコンクールで最優秀賞になり、中島みゆきさんはメジャーデビューした(だったと思う)。

八神純子さんが番組の中で思い出を語る。八神さんは「時代」がグランプリを取った年の前年のグランプリ獲得者でもあり、グランプリを取ると武道館で歌えるという副賞?がとても魅力的で、2年連続のグランプリを取るつもりだったし、十分自信があったそうだ。
しかし、中島さんが歌う「時代」に勝つことはできず、とても悔しかったという。
アーティストのプライド、自負があふれたインタビューはとてもよかったし、そのインタビューの後で八神さんが歌った「時代」は(その後、中島さん本人がアカペラで歌ったものに負けず劣らず)素晴らしかった。

(記憶に頼って書いているので、間違いがあったらすみません)
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チープフライト

2013年03月12日 | Weblog
チープフライト

子供からウイルス性腸炎を感染されて、まる一日寝込んでいたら腰が痛くなってきて、仕方なくぼんやりとソファに座っていた。
テレビ番組も面白そうなのがなくて、ハードディスクの中身を見たら、たまたま家族が録画していた「チープフライト」という番組があったので見始めた。

日本テレビの単発ドラマなんだけど、キャストがとても豪華(竹内結子、加藤あい、桐谷美鈴、吉瀬美智子、向井理 等々)なのにまず驚き、その割にセットがタイトル通りとてもチープなのに驚いた。なんとなく学芸会の書割りっぽい感じがした。

LCC運営会社へ転職したCAたちの活躍を描く内容。
ちょっと前に、ある航空会社のサービスポリシーみたいなのを書いた紙の内容がすごい(客を客とも思わない傲慢なものいいだった)、と話題になったが、それを地で行くように、CAたちは期待以上のサービスを絶対しないように教育される。
例えば、無料のドリンクがないことに文句を言われても謝ってはいけないとか。

まあ、顧客の期待水準をコントロールするのがサービスの基本ではあるのだろうけど。

到着が遅れたり、いろいろな事情から目的地が変更されても、一切謝ってはいけないという立場のCAというのも相当につらそうだ。
謝罪は嫌な仕事だけれど、社会通念的に「ここはお詫びをするべき」というシーンで謝ることを禁止されている状態というのは、それ以上に厳しい(いっそ頭を下げる方がはるかにラク)ということがよくわかった。

あ、だからはあの会社はあんな紙を作ったんだね。やっとわかった
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焼き場に立つ少年

2011年08月14日 | Weblog
焼き場に立つ少年

昨日(8/13)の日経新聞最終(文化)面に「焼き場に立つ少年」というタイトルの写真が掲載されていた。
小学生4-5年生くらいの男の子が背筋を伸ばして立っている。
背中にはおんぶひもでくくりつけた2-3歳くらいの幼児がいる、という写真である(撮影1945年、ジョー・オダネル)。

数年前、この写真を初めて見たとき、私は、そのタイトルから、親の亡骸を火葬する場面に立ち会っている少年なのかと思った。
しかし、真相はそうではないことを2007年の産経新聞の記事で知った。以下はその引用である。

******************
焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。
小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。
少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。(中略)
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。
係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。(中略)
私は彼から目をはなすことができなかった。
少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。
私はカメラのファインダーを通して涙も出ないぼどの悲しみにうちひしがれた顔を見守った。
私は彼の肩を抱いてやりたかった。
しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。
*****************

少年の表情は、私が見たことがないほど、真剣で厳しいものである。
弟か妹の死体を彼が運んできたからには、おそらく彼の両親は既に亡くなっていたのだろう。
彼は生き延びることができたのか。

今日の私たち、日本人は、生きるための戦いをしなくてもよくなった。
そういう世の中は彼のような人々によって築かれてきたことを忘れてはいけないと思う。
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南風

2011年03月06日 | Weblog
南風

今年の2月17日付の日経新聞の文化面の連載「子どもが見たアート十選」で和田三造の「南風」が紹介されていた。
小船の上の不安そうな男たちを描いた有名な絵で真ん中に筋肉ムキムキの男が立っている絵といえばピンと来る方も多いと思う。
「子どもが見たアート十選」は、名画を見た子どもたちの反応を記したもので、どれもその新鮮な視線に感心させられたが、とりわけ「南風」の次の部分が印象的だった。

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ここには伊豆大島への航路で遭難した、作者の経験が描かれている。こんな意見もある。
「真ん中の男、すごいマッチョ!」
「全然日本人ぽくない。アメリカ人とか外国人だよ」
「右の不安そうにひざを抱えているのが日本人」
「頭に感じの布を巻いているのは、中国の人じゃない?」
「わかった。国際情勢描いた絵じゃないの」
討論しているのは帰国子女の多い中学校の1年生。海外に暮らすと自分の立ち位置を常に意識するようになるそうだ。
*********

「国際情勢描いた絵じゃないの」というのがすごい。そういわれて見ると、そうとしか思えないほどそれぞれの男の表情やしぐさがぴったり現在のアメリカ、中国、日本に見えてきた。
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