出世ミミズ(アーサー・ビナード 集英社文庫)
日本に住むアメリカ人から見た、日本の生活や日本語にまつわるエッセイ。
この手の本は、日本語や日本人の生活に極度に好意的だったり批判的だったりする傾向があります。しかし、滞日15年、その間、習字や短歌、謡などを継続的に習ってきた著者の場合、「外国人から見た日本」という視点はあまり感じられず、日本人が日本についてエッセイを書く時のようなテーマの選び方、ものの見方になっているような気がします。このため、時々挿入されるアメリカでの少年時代の思い出を書いた部分がかえって新鮮さを感じさせます。
しかし、文章そのものには(外国人著者であるという思い込みがあるせいなのでしょうが)ちょっと違和感があるときもあります。
もちろん、間違っているというわけではなくて、妙に正しすぎる(?)ような、ちょっとした堅苦しさみたいなものを感じるのです。
日本人が英語を書くとき(日本的教育方法のせいかもしれませんが)文法的に正しい文を書こうと意識すると思います。しかし、日本語を書く場合はそんなことを考えながら書くことは普通ありません。文法がおかしいかどうかは、理屈で考えるのではなく、感覚で判断しているのではないでしょうか。
日本人より日本語に詳しそうな著者の書く文も(あるいは詳しいがゆえに)「文法的・学問的に見ても正しい文章を書かないといけない」という力みみたいなものが見えるような気がします。
日本に住むアメリカ人から見た、日本の生活や日本語にまつわるエッセイ。
この手の本は、日本語や日本人の生活に極度に好意的だったり批判的だったりする傾向があります。しかし、滞日15年、その間、習字や短歌、謡などを継続的に習ってきた著者の場合、「外国人から見た日本」という視点はあまり感じられず、日本人が日本についてエッセイを書く時のようなテーマの選び方、ものの見方になっているような気がします。このため、時々挿入されるアメリカでの少年時代の思い出を書いた部分がかえって新鮮さを感じさせます。
しかし、文章そのものには(外国人著者であるという思い込みがあるせいなのでしょうが)ちょっと違和感があるときもあります。
もちろん、間違っているというわけではなくて、妙に正しすぎる(?)ような、ちょっとした堅苦しさみたいなものを感じるのです。
日本人が英語を書くとき(日本的教育方法のせいかもしれませんが)文法的に正しい文を書こうと意識すると思います。しかし、日本語を書く場合はそんなことを考えながら書くことは普通ありません。文法がおかしいかどうかは、理屈で考えるのではなく、感覚で判断しているのではないでしょうか。
日本人より日本語に詳しそうな著者の書く文も(あるいは詳しいがゆえに)「文法的・学問的に見ても正しい文章を書かないといけない」という力みみたいなものが見えるような気がします。