蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

秒速5センチメートル

2008年01月04日 | 映画の感想
新海誠さんが製作し、高い評価を得た「雲のむこう、約束の場所」は、光線や反射光の使い方が印象的な作品であったが、背景に比べて人物の絵はどうみてもレベルが落ちる、と正直なところ思った。

本作においても光や色彩のあざやかな背景、風景描写は見事なのだが、人物は紙芝居みたいな感じだった。ストーリーらしいストーリーもほとんどない。

監督がやりたいのは美しい一枚絵の連続編集で、人やモノの動きを面白おかしくみせる伝統的なアニメーションではない、のかと思った。

3話の短編の連作で構成された本作では最初のエピソードの電車や駅の描写(毎日埼京線と東北本線を利用しているので車窓から見える風景は毎日見ているものなのに、本作で見るとそのありふれた風景が非常にみずみずしく新鮮に写ってしまうのが不思議だ)、最後のエピソードのラストに流れる山崎まさよしの曲に乗ってワンカットが連続して挿入される場面は今までに見たことがないような表現と美しさがあり、感動した。

この映画を見た後には、反射光とかふとした物音にとても敏感になるような気がする。
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皇国の守護者(一)~(九)

2008年01月03日 | 本の感想
皇国の守護者(一)~(九)(佐藤大輔 中央公論新社)

いつも週末にまとめ買いにいくスーパーには、やる気なさそうな本屋のテナントがある。
その本屋が珍しくポップなんかを作って平積にしていたのがマンガ版の「皇国の守護者」だった。
試し読み用の本(一巻)を読んでみると、かなり本格的なウォーシミュレーションモノであることがわかり、早速(当時販売されていた一~三巻を)購入した。
試し読みした時の印象通り、非常に楽しく読めた。(特に一巻は通勤電車内で読んでいたら降車駅で降りるのを忘れかけたほどだった)
といった経緯で小説の方も読み始めた。

架空の国家「皇国」は、日本をイメージした、大陸のすぐそばに浮かぶ島国で、海洋貿易が盛んで経済的にかなり豊かな国である。本書の主人公の新城は、「皇国」内乱時に両親と生き別れる。しかし、内乱の鎮圧に訪れた貴族に拾われて「育預」(相続権などをもたない養子みたいなもの)となる。
「皇国」、大陸の(ロシアをイメージした)軍事国家「帝国」の侵略を受けるが、軍人となっていた新城は、その異能を発揮して退却する「皇軍」の殿軍として巧妙な遅滞防御を行い、異例の昇進をする。

このあたりまでが、マンガ版(一~五巻で終了)および小説版の一~二巻で描かれる物語で、日本の北海道にあたる「北領」南部で展開される戦闘シーンはマンガ版、小説版ともウォーシミュレーションとしては、高い完成度があった。
しかし、新城が「皇国」の首都「皇都」に帰った部分ではとたんに生彩を欠くこととなる。このパートでは新城の人間関係に大きな比重が置かれるのだが、有体にいって表現が晦渋なだけで著者の自己満足につきあわされている気分になる。

著者はもともとウォーシミュレーションゲームの製作者だそうで、戦闘場面においてはその経験を生かして敵味方のバランスの取り方が絶妙である。
圧倒的な打撃力を持つ「帝国」軍だが、その弱点は兵站の軽視にあり、敵地にあって補給の少なさから苦戦を招く。一方の「皇国」は伝統的に兵站を極端に重視し、また「導術」というテレパシー能力を持つ人々を軍事的に利用し、遠隔地における戦術指揮が(「帝国」軍に比べて)はるかに効率的である。しかし、「導術」を使えるエスパーは、体力の消耗が早く、休み休みにしか「導術」を使うことができない。

マンガ版は明確に終了を宣言している(ウルトラジャンプという掲載誌の中では単行本はかなり売れていたはずなのだが、突然の終了はどうしたことだろうか。五巻のあとがきを見る限り作画者としてはやる気まんまんだったようにも思われる。となると原因は原作者の方なのだろうか???)が、小説は九巻で完結したのか明確ではない。九巻は「皇国の守護者」というタイトル通りの行動を新城が行って、反対派のクーデターを打ち破るところで終わっているので、ここで完結でもおかしくはない。
しかし、小説版一巻冒頭においては新城が将になることが示唆されており、つづきがあってもよさそうなものでもある。

もし、十巻以降を書く気があるのなら、「皇都」における権謀術数シーンは極力削って、新城が前線で活躍する場面を多くしてほしいと思う。

余談だが、多くの人が指摘している通り、小説版の表紙絵の新城は小説中の描写と全くそぐわない。その点マンガ版の中の新城は原作のイメージ(凶相で短身で三白眼で嫌われ者)にぴったり。十巻以降があるならばマンガ版の作画者を表紙絵などに起用できないものだろうか。
さらに余談、新城が「皇都」の宴会などで食べる架空の食品・料理が妙にうまそうに思えた。
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今宵、フィッツジェラルド劇場で

2008年01月01日 | 映画の感想
日経新聞の夕刊の映画評の昨年の年間ベストで複数の方があげられていたので、見てみました。

アメリカでは、そのだだっ広い国土のせいか、今でも(日本などにくらべると)ラジオの人気が高いと聞きます。そういえば大統領の大事な演説などはかならずラジオでも発表されるような気がします。

長年ラジオのライブ番組が行われてきたフィッツジェラルド劇場が買収されることになり、その最後のライブが行われることになります。この映画は最後のライブそのものと舞台裏を描いています。

メリル・ストリープはじめ俳優達が生歌(?)を披露してそれも素晴らしい雰囲気がある(特に前半で歌う「赤い河の谷間」がとても良かった)のですが、映画全体としてはいわゆるシチュエーションコメディに近いものがあって、ショーの中あるいは舞台裏で展開されるジョークもとても楽しめます。

最近日本では三谷幸喜さんの舞台や映画が人気があってその大半がシチュエーションコメディのたてつけなのですが、作品数が多くなったせいか、パターン化して、あざとさみたいなものが目立つように思います。この映画はそういう製作側の「ウケたい」とか「賞をとりたい」とか「儲けたい」という欲望があまり感じられず、力がぬけた上品な作品になっていると思います。
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