蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

太陽の子

2022年05月10日 | 映画の感想
太陽の子(映画)
終戦前、石村修(柳楽優弥)は京大の学生で荒崎教授(國村隼)の指導のもと原子爆弾の開発(というかウラン濃縮の研究)に携わっていた。出征していた弟(三浦春馬)が実家に一時帰休し、幼なじみで建物疎開のために石村家に身を寄せていた朝倉世津(有村架純)としばしの休暇を楽しむ。
広島に原爆が投下され、修は荒崎とともに現地を訪れる・・・という話。

学問と兵器開発の狭間で苦しむ学生たち・・・みたいなテーマかと思って見始めたのだが、教授も学生たちも研究目的に拘りはなくて、むしろ御国のために早くしなくちゃ・・・という感じだった。

そうかといって
恋と兵役の板挟みというのでもなく、
安全な地にいる兄と病気がちなのに再び戦地に赴かなくてはならない弟の相克を描くわけでもなく(もちろん、どちらも多少の要素はあったけど)、
ストーリーとしては中途半端な感じかなあ、と思えた。

研究室のムード(教授は原爆が完成するか否かには興味がなくて、兵器開発を名目にして戦後の研究体制と人員の育成を目指していたのかなあ?(実話ベースでも))や、石村家の暮らしぶり(世津の父役の山本晋さん、ちょっとしか出ないけどいい感じだった。しかし、建物疎開とはひどいことしたんだなあ)のシーンはとてもよかった。
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滅びの前のシャングリラ

2022年05月09日 | 本の感想
滅びの前のシャングリラ(凪良ゆう 中央公論新社)

高校2年生の江那友樹は、学業も容姿もぱっとせず同級生からパシリとしてこき使われていた。大型隕石の地球落下が確定的となり、大災厄が近づいている世界で、友樹の豪放磊落な母、生き別れでヤク○の父、友樹の同級生で美女の藤森、藤森が熱心なファンである歌手のLoco、を連作形式で描く。

隕石落下直前の世界を舞台にするという設定は、とてもよくみるので、筋立てに相当な工夫か意外性がないと興味が続かない。

本作は隕石落下直前という設定がなくても十分に成立しそうなストーリーだし、どこかで読んだような感が強くて、正直、少々退屈だった(世評ではかなり高い評価を得ていることを知っていたので期待値が高すぎたせいかもしれない)。

最終話「いまわのきわ」での流行歌手の心理描写は、「なるほど、そんな感じなのかもしれないな」と思えた。
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サマーフィルムにのって

2022年05月08日 | 映画の感想
サマーフィルにのって

時代劇映画の熱狂的ファンの女子高生:ハダシ(伊藤万理華)は、映画部の文化祭出品作として時代劇映画(武士の青春)を製作しようとしていた。しかし映画部の主流派はキラキラ恋愛映画の製作を決定していたので、ゲリラ上映を狙って密かに仲間集め(ビート板(河合優実)やブルーハワイ)と資金作り(バイト)に精を出す。
たまたま巡り会った凛太郎を主役にすることにするが、彼には秘密があって・・・という話。

映画作りに没頭する高校生、スクールカーストの下層といった設定から「桐島、部活やめるってよ」みたいな内容かなあ、と思ったが、主人公はカースト上位と割合と安易に和解するし、ハダシは将来偉大な映画監督になることも予言?されている等、かなりマイルドな展開となっている。

そうした筋立てよりも、細部の設定が私は気に入った。
まず、主要人物の名前が、ハダシ、ビート板、ブルーハワイというのがいい。
ハダシたちが放課後に集まる河原に放置されたミニバン、そこで女子高生が座頭市を始めとする時代劇映画を見るというシーンの秘密基地感がいい。
夏合宿の民宿や、ハダシが編集作業に取り組む映画部の部室の雰囲気もよかった。
などなど

ハダシ役、ビート板役の人は現役高校生かなあと思えるくらいの見かけだったが、見終わった後に確認すると20代半ばだった。
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ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論

2022年05月04日 | 本の感想
ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論(ディヴィド・グレーバー 岩波書店)

ブルシット・ジョブとは、無意味で不必要な有償の雇用形態と定義されている。
管理職やオフィスワーカーといったホワイトカラー的職種が中心で、その大半はIT化によって生まれたとしている。
こうした職についている人の多くが、(就業時間中にやる仕事がなくて)時間を持て余しており、一方で監視されているので、仕事しているフリをする必要がありそれに苦痛を感じているとしている。

私自身30年くらいIT絡み(作る方ではなくて管理する方)の仕事をしている。
昔は毎日終電といった感じの忙しさだった(作る方はもっと過酷だった)けれど、最近は定時には終われることがほとんど。周りにはネットサーフィンなどで時間をつぶしている人も多い(個人的にはこれはコンピュータパワーが飛躍的に高まったことが原因だと思う。例えば昔のスプレッドシートのアプリでは数千行を処理することが難しかったが、今なら安いPCでも数十万行はいける。これだけでも仕事の時間は相当に減った)。実質的な仕事量は減っているのに、世間的にはIT人材の強化が謳われているので、人員数はどんどん増えている。ために一人当たりの仕事量は激減した、というわけだ。

著者のインタビュウに答えている人の多くが就業時間中にやる仕事がないことの辛さを訴えているが、世の中にはそうでない人(仕事をやらなくてもカネがもらえるなんて超ラッキー。仕事するフリは超絶得意!みたいな)もいっぱいいると思う。私自身が後者に近いし・・・

仕事のキツさや惨めさこそがそれをする人に尊厳と自尊心の感覚の発生源である(したがって楽勝な仕事ではプライドを満たせない)→これがヒマな仕事が辛い原因、とする著者の考察は興味深い。

現代においては、人は自分が生産したものを通じて自らを表現するのではなく、消費したもの(着ている服や聴いている音楽、追っかけの対象など)を通じて自己表現している。それにも関わらず、みずからの生に究極的な意味を与えてくれるのは仕事である、という点も面白かった。

解決策の一例としてユニバーサルなベイシックインカムが提言されている。ヒマでしょうがない就業時間を短くしてその分をベーシックインカムで埋めようという案なのだが、上記の、仕事こそプライドの淵源という論と矛盾しているようにも感じた。
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