アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(69)
第三幕・第二章「長尾杢太郎の亀戸風景」
「ここでの問題は、
第一幕で大きな意味を持つ、碌山と亀戸風景との出会いの場面だろう。
黒光が持ってきたこの油絵との遭遇が、碌山の創作意欲に本格的に火をつけることになる。
黒光との初対面は色彩だけでも表現ができたが、この風景画を
いわさきちひろの絵のように表現しろと、ここに但し書きが書いて有る。
ちひろの絵といえば、透明水彩の透き通るような色合いと
にじみやぼかしの手法が駆使されている。
まさか、この亀戸風景を、ちひろのように、
にじんだ画像として空間に表現しろという注文か?」
「その通りです。
西口さんも、コツをつかむのが早くなりましたね。
まさにその通りで、その雰囲気を舞台に再現したいのです」
「ということは、映像処理をしたものを、
映画やスライドのように、場面ごとにホリゾントに映し出せということか」
「いいですね、小山さん。
そういう感覚で、物語の展開を追いながら
臨機応変に空間や背景を、色と映像で舞台装置化するのが今回の狙いです。
分かってもらえましたか・・・・」
相変らず稽古場の中央では、雄二と茜が台本を読み続けています。
その様子を横目で見ながら、西口と小山が険しい顔をしたまま、順平を睨んでいます。
手ごわい舞台装置になることが、ようやく鮮明になってきたようです・・・・
碌山・萩原守衛は1879年(明治12)、
穂高町(当時は東穂高村〉で、農家の五男として生まれています。
当時、村には新時代と取り組む意欲的な青年たちがたくさん存在しました。
碌山の生涯の師となった穂高村高等小学校の教員、井口喜源治もその一人でした。
井口とともに青年運動の中心となったのが、後に新宿中村屋を開く相馬愛蔵です。
碌山は昼の農作業が終わると、村塾の夜学会に参加し、新しい思想に触れていきました。
そして愛蔵のもとへは、仙台から良(黒光)が嫁いできます。
彼女が「嫁入り道具」としてもってきた一枚の油絵、長尾杢太郎の「亀戸風景」が
碌山を芸術の道にすすませる契機をつくりました。
荒川河畔に佇む牛たちの姿を描いた作品「亀戸風景」には、
従来の日本画には見られない迫真感に満ちた説得力があり、若い碌山の魂は
かつてないほどの激しい衝撃を受けます。
初めて見た油絵に、碌山の絵画への情熱が目覚め激しく燃え上がりました。
守衛は親しくなった黒光によって、さらに触発されることになります。
すでにおおくの文人たちとの親交を持つ黒光によって、文学や絵画についての
新しい知識が碌山にもたらされ、さらに芸術に対する眼もひらかれていきます。
芸術に目覚めた守衛は、この後で何回かの家出を繰り返します。
・・・・・・
黒光 「また家出をしたの。
激しく燃え上がる情熱は分かるけれど、あなたはどうしてそこまで見境が無いの。
自分を抑えて時を待たなければ、好機も未来もやってはこない。
あなたはいつまでたっても自分のことばかり、
もう少し、自分を律することも学びなさい」
碌山 「良さん。私には、時が凄い勢いで過ぎていく。
この胸がときめいているうちに私は油絵の本当の世界が見たい。
アメリカへ行って絵を学びたい、
ヨーロッパへ行って本当の芸術の世界に出会いたい。
もうこんな田舎に居ることが、歯がゆくて、悔しくて、
どうにも私にはいたたまれない」
黒光 「私がこの安曇野に嫁いできたのは、
ワーズワースのロマン派詩人たちが描いていた田園生活に深く憧れていたからです。
四季おりおりの穂高や安曇野の景色はたしかに美しく、
どこまでも私の魂を、存分に魅了をして温かく癒してくれます。
心は充分なまでに満たされてたと言うのに、
田舎での日々の畑仕事や、蚕の世話などが、激しく私の神経を擦り減らしてしまいます。
何をしても農家の皆さんの足手まといばかりです。
田舎ゆえの粗野な付き合いかたや、古臭い習慣や因習にも
私は、馴染むことができません。
でも此処は、それらを承知で私が選んだ新天地です。
時として、夢と現実がおおいに矛盾をします。
あれほどあこがれてやってきたこの安曇野での田舎暮らしが、
哀しい事に、今は私の精神を押しつぶそうとしています。
あなたが海外の芸術に必死になってあこがれているように、
今の私も、芸術や文化の高い香りがあふれている、あの都会の空気が
懐かしくて、恋しくてたまりません。
あなたがこの安曇野に見切りをつけて、遠い外国に芸術の夢を託すように、
わたしもまた再び人々が雑沓をする、あの都会へと帰りたくてたまりません・・・・」
碌山 「良さんから吹いてくる、都会の風はきわめて斬新で素敵です。
安曇野には美しい景色が溢れていますが、貧しさの中に暮らしているだけでは
いつまでたっても、古い日本のしきたりと田舎の風習からは抜け出せません。
新しい芸術と、文化の息吹を運んできた良さんと一緒に
私も都会に出ていきたい・・・・
新しい無限の可能性を求めて、私も都会を目指したい・・・・」
黒光 「私が、相馬家へと嫁いできたのは、
ひたすら自分自身の再出発を望んでのことです。
学生時代の自分と、それまでの行き方と、はっきりと決別をつけるつもりで
この信州へ、相馬のもとへ嫁いで来ました。
書きかけた小説の失敗と挫折、男性たちとの往来の難かしさ、
あの頃の世間の無理解ぶり、新聞による私への中傷記事、
それらのたび重なる現実が私の中にある、文芸への夢を打ち砕いてしまいました・・・・
幾多の才ある女性たちが、文芸への道に志を抱きながら
筆を折ってしまった隠れた裏には、まったく私と同じように
これに良く似た、絶望と幻滅があったものと察しています。
しかし、見きりをつけたはずなのに、
文芸への道をあきらめて、安曇野の相馬家へ嫁いできたというのに、
私はまた、ここでの田園生活に馴染む事ができず、
こうして健康まで害してしまいました。
守衛、あなたは諦めることなく、都会をめざしてがんばりなさい。
傷ついたわたしは、仙台の実家に戻ります。
こんなにも、素晴らしく美しい安曇野の地に、
なぜ、私の居場所だけが無いのだろう・・・・
それが一番、辛い、それだけが、一番悔しい・・・・」
・・・・・・
「若い守衛の魂は激しく燃え昂ぶらせた、
というこの亀戸風景もやはり、輪郭をぼかしたタッチで表現をするのか・・・・
模写をしろというのなら簡単だが、ぼかしてにじませろとは、難解な注文だ」
再び、西口が顎に手を置いて考え込んでしまいました。
小山君がその背後から天井を指さしながら、声を掛けます。
「17歳の碌山少年に天啓ともいえる衝撃を与えて、
画家を志すきっかけを作ったと言う作品だ、
あだやおろそかには扱えないだろう。
インパクトからいっても、背景に加えておきたいひとつだな。
どうだろう、薄い布を天井から下げて、スライドで映写してみたらどうだ」
「映写機か・・・・その手もあるな。」
舞台美術を担当するこの二人のつぶやきを尻目に、
稽古場の中央に立った茜と雄二の台本の本読みは続き、いつしか熱も帯びてきました。
とりわけ、雄二の読み方には一段と力が入ってきました。
劇中にいる碌山の意思を汲み取るかのように、行間を読むその目に、
なぜか真剣な光が現れてきました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第三幕・第二章「長尾杢太郎の亀戸風景」
「ここでの問題は、
第一幕で大きな意味を持つ、碌山と亀戸風景との出会いの場面だろう。
黒光が持ってきたこの油絵との遭遇が、碌山の創作意欲に本格的に火をつけることになる。
黒光との初対面は色彩だけでも表現ができたが、この風景画を
いわさきちひろの絵のように表現しろと、ここに但し書きが書いて有る。
ちひろの絵といえば、透明水彩の透き通るような色合いと
にじみやぼかしの手法が駆使されている。
まさか、この亀戸風景を、ちひろのように、
にじんだ画像として空間に表現しろという注文か?」
「その通りです。
西口さんも、コツをつかむのが早くなりましたね。
まさにその通りで、その雰囲気を舞台に再現したいのです」
「ということは、映像処理をしたものを、
映画やスライドのように、場面ごとにホリゾントに映し出せということか」
「いいですね、小山さん。
そういう感覚で、物語の展開を追いながら
臨機応変に空間や背景を、色と映像で舞台装置化するのが今回の狙いです。
分かってもらえましたか・・・・」
相変らず稽古場の中央では、雄二と茜が台本を読み続けています。
その様子を横目で見ながら、西口と小山が険しい顔をしたまま、順平を睨んでいます。
手ごわい舞台装置になることが、ようやく鮮明になってきたようです・・・・
碌山・萩原守衛は1879年(明治12)、
穂高町(当時は東穂高村〉で、農家の五男として生まれています。
当時、村には新時代と取り組む意欲的な青年たちがたくさん存在しました。
碌山の生涯の師となった穂高村高等小学校の教員、井口喜源治もその一人でした。
井口とともに青年運動の中心となったのが、後に新宿中村屋を開く相馬愛蔵です。
碌山は昼の農作業が終わると、村塾の夜学会に参加し、新しい思想に触れていきました。
そして愛蔵のもとへは、仙台から良(黒光)が嫁いできます。
彼女が「嫁入り道具」としてもってきた一枚の油絵、長尾杢太郎の「亀戸風景」が
碌山を芸術の道にすすませる契機をつくりました。
荒川河畔に佇む牛たちの姿を描いた作品「亀戸風景」には、
従来の日本画には見られない迫真感に満ちた説得力があり、若い碌山の魂は
かつてないほどの激しい衝撃を受けます。
初めて見た油絵に、碌山の絵画への情熱が目覚め激しく燃え上がりました。
守衛は親しくなった黒光によって、さらに触発されることになります。
すでにおおくの文人たちとの親交を持つ黒光によって、文学や絵画についての
新しい知識が碌山にもたらされ、さらに芸術に対する眼もひらかれていきます。
芸術に目覚めた守衛は、この後で何回かの家出を繰り返します。
・・・・・・
黒光 「また家出をしたの。
激しく燃え上がる情熱は分かるけれど、あなたはどうしてそこまで見境が無いの。
自分を抑えて時を待たなければ、好機も未来もやってはこない。
あなたはいつまでたっても自分のことばかり、
もう少し、自分を律することも学びなさい」
碌山 「良さん。私には、時が凄い勢いで過ぎていく。
この胸がときめいているうちに私は油絵の本当の世界が見たい。
アメリカへ行って絵を学びたい、
ヨーロッパへ行って本当の芸術の世界に出会いたい。
もうこんな田舎に居ることが、歯がゆくて、悔しくて、
どうにも私にはいたたまれない」
黒光 「私がこの安曇野に嫁いできたのは、
ワーズワースのロマン派詩人たちが描いていた田園生活に深く憧れていたからです。
四季おりおりの穂高や安曇野の景色はたしかに美しく、
どこまでも私の魂を、存分に魅了をして温かく癒してくれます。
心は充分なまでに満たされてたと言うのに、
田舎での日々の畑仕事や、蚕の世話などが、激しく私の神経を擦り減らしてしまいます。
何をしても農家の皆さんの足手まといばかりです。
田舎ゆえの粗野な付き合いかたや、古臭い習慣や因習にも
私は、馴染むことができません。
でも此処は、それらを承知で私が選んだ新天地です。
時として、夢と現実がおおいに矛盾をします。
あれほどあこがれてやってきたこの安曇野での田舎暮らしが、
哀しい事に、今は私の精神を押しつぶそうとしています。
あなたが海外の芸術に必死になってあこがれているように、
今の私も、芸術や文化の高い香りがあふれている、あの都会の空気が
懐かしくて、恋しくてたまりません。
あなたがこの安曇野に見切りをつけて、遠い外国に芸術の夢を託すように、
わたしもまた再び人々が雑沓をする、あの都会へと帰りたくてたまりません・・・・」
碌山 「良さんから吹いてくる、都会の風はきわめて斬新で素敵です。
安曇野には美しい景色が溢れていますが、貧しさの中に暮らしているだけでは
いつまでたっても、古い日本のしきたりと田舎の風習からは抜け出せません。
新しい芸術と、文化の息吹を運んできた良さんと一緒に
私も都会に出ていきたい・・・・
新しい無限の可能性を求めて、私も都会を目指したい・・・・」
黒光 「私が、相馬家へと嫁いできたのは、
ひたすら自分自身の再出発を望んでのことです。
学生時代の自分と、それまでの行き方と、はっきりと決別をつけるつもりで
この信州へ、相馬のもとへ嫁いで来ました。
書きかけた小説の失敗と挫折、男性たちとの往来の難かしさ、
あの頃の世間の無理解ぶり、新聞による私への中傷記事、
それらのたび重なる現実が私の中にある、文芸への夢を打ち砕いてしまいました・・・・
幾多の才ある女性たちが、文芸への道に志を抱きながら
筆を折ってしまった隠れた裏には、まったく私と同じように
これに良く似た、絶望と幻滅があったものと察しています。
しかし、見きりをつけたはずなのに、
文芸への道をあきらめて、安曇野の相馬家へ嫁いできたというのに、
私はまた、ここでの田園生活に馴染む事ができず、
こうして健康まで害してしまいました。
守衛、あなたは諦めることなく、都会をめざしてがんばりなさい。
傷ついたわたしは、仙台の実家に戻ります。
こんなにも、素晴らしく美しい安曇野の地に、
なぜ、私の居場所だけが無いのだろう・・・・
それが一番、辛い、それだけが、一番悔しい・・・・」
・・・・・・
「若い守衛の魂は激しく燃え昂ぶらせた、
というこの亀戸風景もやはり、輪郭をぼかしたタッチで表現をするのか・・・・
模写をしろというのなら簡単だが、ぼかしてにじませろとは、難解な注文だ」
再び、西口が顎に手を置いて考え込んでしまいました。
小山君がその背後から天井を指さしながら、声を掛けます。
「17歳の碌山少年に天啓ともいえる衝撃を与えて、
画家を志すきっかけを作ったと言う作品だ、
あだやおろそかには扱えないだろう。
インパクトからいっても、背景に加えておきたいひとつだな。
どうだろう、薄い布を天井から下げて、スライドで映写してみたらどうだ」
「映写機か・・・・その手もあるな。」
舞台美術を担当するこの二人のつぶやきを尻目に、
稽古場の中央に立った茜と雄二の台本の本読みは続き、いつしか熱も帯びてきました。
とりわけ、雄二の読み方には一段と力が入ってきました。
劇中にいる碌山の意思を汲み取るかのように、行間を読むその目に、
なぜか真剣な光が現れてきました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/