舞うが如く 第一章
(15)房吉騒動・その3

師と高弟の安否を気ずかって、
村はずれで待機していた門弟たちが、
血相を変えて飛んでくる高弟の姿を見つけて、
一斉に立ち上がりました。
門弟たちは、説明を聴くまでもなく、
大事を察して、いち早く伊乃吉道場へと駆けだしました。
すでに稜線には日が落ちかかり
濃紺の空からは、闇が静かに降りてきます
夕暮れ色の黄色い光の中で、
伊乃吉の道場前の街道では、大勢が獲物を取り囲んでいました。
じりじりとその包囲網をせばめながら、
息の根をしとめようという一団の気配が漂っています。
先頭の門弟が太刀を抜き放つと、
気合とともに、その包囲陣に突進します。
「待て!」
地面に腹ばいになったままの房吉から、
短く、鋭い声が飛びました。
数発の弾丸を受け、さらに受けた刀傷のために、
房吉の全身がおびただしい鮮血で染まっています。
「もはや、無益な殺生をするでない。
ここは我ら同胞の地であり、同郷の者たちでもある。
手傷を負って動くことができないゆえ、すまぬが、戸板を頼む。
これ以上の争いは、もう無用である。
争うでない。
太刀を返してもらえば、それだけで済む事だ。
これ以上の、無用な死人や怪我人をだす必要はない」
用意された戸板に横たわり、
太刀を取り戻した房吉が
高弟二人に、静かに言葉をかけました。
「遺恨を残すではないぞ。
伊乃吉とて、立場もあれば、面子もあろう
それはまた師としての、
山崎孫七郎とてまた同じこと。」
「これ以上争えば、
又必要以上の血が流れることとなる。
わしの命と引き換えに、双方の誤りを互いに認めて、
後日、伊乃吉とは手打ちをいたせ。
法神流の行く末と、嫁を頼む。
伊乃吉も、もはや、
そのことに、とうてい依存は有るまい。」
早くも星たちが姿を見せ始めた街道を
房吉を乗せた戸板と門弟の行列が、静かに深山村へと進みます
残された伊乃吉の道場前でも、死人と怪我人の収容が始まりました。
房吉はこの直後に、
厄年の42歳でその生涯を閉じました。
戸板に揺られつつ静かに目を閉じたまま、
高弟二人に看取られての最後になりました。
単身にて斬りむすぶこと、ほぼ一時間余り、
死者6名、怪我人多数をだした東沢入のこの騒動は、
不敗を誇った剣聖の命を奪って終演となりました。
明治維新まではあと、10年余り。
風雲急をつげる幕末のただならぬ空気を、
いち早く察知していたのは、
他ならぬ、不世出の天才剣士・房吉自身だったのかもしれません。
第一章(完)

・本館の「新田さらだ館」こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
(15)房吉騒動・その3

師と高弟の安否を気ずかって、
村はずれで待機していた門弟たちが、
血相を変えて飛んでくる高弟の姿を見つけて、
一斉に立ち上がりました。
門弟たちは、説明を聴くまでもなく、
大事を察して、いち早く伊乃吉道場へと駆けだしました。
すでに稜線には日が落ちかかり
濃紺の空からは、闇が静かに降りてきます
夕暮れ色の黄色い光の中で、
伊乃吉の道場前の街道では、大勢が獲物を取り囲んでいました。
じりじりとその包囲網をせばめながら、
息の根をしとめようという一団の気配が漂っています。
先頭の門弟が太刀を抜き放つと、
気合とともに、その包囲陣に突進します。
「待て!」
地面に腹ばいになったままの房吉から、
短く、鋭い声が飛びました。
数発の弾丸を受け、さらに受けた刀傷のために、
房吉の全身がおびただしい鮮血で染まっています。
「もはや、無益な殺生をするでない。
ここは我ら同胞の地であり、同郷の者たちでもある。
手傷を負って動くことができないゆえ、すまぬが、戸板を頼む。
これ以上の争いは、もう無用である。
争うでない。
太刀を返してもらえば、それだけで済む事だ。
これ以上の、無用な死人や怪我人をだす必要はない」
用意された戸板に横たわり、
太刀を取り戻した房吉が
高弟二人に、静かに言葉をかけました。
「遺恨を残すではないぞ。
伊乃吉とて、立場もあれば、面子もあろう
それはまた師としての、
山崎孫七郎とてまた同じこと。」
「これ以上争えば、
又必要以上の血が流れることとなる。
わしの命と引き換えに、双方の誤りを互いに認めて、
後日、伊乃吉とは手打ちをいたせ。
法神流の行く末と、嫁を頼む。
伊乃吉も、もはや、
そのことに、とうてい依存は有るまい。」
早くも星たちが姿を見せ始めた街道を
房吉を乗せた戸板と門弟の行列が、静かに深山村へと進みます
残された伊乃吉の道場前でも、死人と怪我人の収容が始まりました。
房吉はこの直後に、
厄年の42歳でその生涯を閉じました。
戸板に揺られつつ静かに目を閉じたまま、
高弟二人に看取られての最後になりました。
単身にて斬りむすぶこと、ほぼ一時間余り、
死者6名、怪我人多数をだした東沢入のこの騒動は、
不敗を誇った剣聖の命を奪って終演となりました。
明治維新まではあと、10年余り。
風雲急をつげる幕末のただならぬ空気を、
いち早く察知していたのは、
他ならぬ、不世出の天才剣士・房吉自身だったのかもしれません。
第一章(完)

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