アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(74)
第三幕・第二章「最後の独白」
「女」を完成して一ヶ月後の四月二十日、
中村屋奥の相馬家居間で友人達と談笑中、突然に碌山が吐血をします。
二日後の早暁、相馬夫妻や駆けつけた多くの友人たちが見守るなかで碌山は絶命しました。
三十歳と五ヶ月、天才にありがちな夭折でした。
碌山の葬儀が行われてから何日かのち、主人を失った碌山のアトリエには
一人佇む相馬黒光の姿がありました。
黒光は死の床で碌山から秘かに手渡された合鍵で、故人が愛用していた机の
引き出しを開けて、一冊の日記帳を取り出します。
びっしりと歓喜や苦悩の文字が書き込まれたその日記帳の、
一枚一枚を黒光はむしり取ります。
深い想いを押し殺しながら、黒光はそれを火にくべます。
立ち昇る煙は、どこまでも澄みきった空を漂よいながら行方を探して舞い続けます。
情念の写し絵とでもいうべきそれらの紙片を、一枚づつ、丹念に
黒光は、無言で燃やし続けます。
「茜ちゃん・・・・一番の見せ場だよ。
順平くんからの挑戦状みたいに、想像を絶するほどの長い独白だ。
覚悟して読んでくれよ、覚えるだけでも大変だろうけど・・・・」
「いいえ、西口さん。
この長い場面の黒光の独白こそ、
女優冥利に尽きる、順平さんからの素敵なメッセージだと思っています。
もう私は、黒光が大好きで、夢中になってしまいました!」
「おい・・・・時絵と同じ事を言っているぜ。
どうなっているんだ」
「もう彼女は舞台上で、たった一人でスポットライトを浴びているの。
アドレナリンが出てきた女優は、もう誰にも止められないわ。
あの子にも、ずっと前から実は名優の資質が有ったのよ。
今まで誰も気がつかなかっただけのことで、もうすっかり立派な舞台女優のひとりだわ。
見てよ、あの顔、輝いているもの・・・・」
時絵が呟いたとおり、中央で本読みをする茜は
もう余裕さえ感じさせるほど、見事に通る声で、最後の長い独白を読み始めました。
碌山の日記を一枚ずつひきちぎりながら、茜の長い一人舞台が幕をあげました。
・・・・・・
黒光 「貴方の命を縮めてしまったのは、他ならぬこの私でしょう。
あの日、田植え前の安曇野で、出合ってさえいなければ、わたしたちは
こんな運命も辿らなかったことでしょう。
類まれな芸術のきらめきをもっていた貴方は、安曇野の産んだ奇跡です。
常念岳の雪どけをよろこんで、水のぬるんだ田んぼに汗していた貴方は、まさに
安曇野の産んだ、芸術の原石・申し子そのものでした。
でもね、碌山・・・・
私はあなたに、新しい芸術があることを教えなければよかったと、
こうして今でも悔やんでいるの。
あなたに、あの油絵さえ見せなければ、
貴方は今でも、あの美しい安曇野で、今でも平和に暮らせていたはずだった。
いまでも生命を失うことなく、生き抜いていたのかと思うと、私の胸はやるせない。
私のなまじの知識が、貴方を、生命を縮める世界へ引きずり込んでしまったのよ・・・・
愛蔵に嫁いだ私などを、なぜに好きになったのよ。
3つも年下の少年だったくせに、挑む目をして私を好きになるなんて・・・・
女としての嬉しさは有るものの、古いだけの田舎ではどうにもならない世界でしょう。
そんなことさえ分からないあなたは、あなたの芸術と一緒になって、
私の胸のなかに、無理やりにでも、入り込もうとしてきたのよ。
それが許されないことであり、どうにもならない現実であるというのに、
世間を知らない貴方は、それもまた無理やりにこじ開けようとした。
芸術の原石だったあなたは、愛にたいしても恐れをしらない原石だった。
安曇野が、とても懐かしい、
貴方とあぜ道で言葉を交わしていたころの、あの安曇野が懐かしい。
あの頃の戻れれば、貴方が生命を失うこともなく、
私が、人に隠れて涙を流すこともないでしょう。
ああ・・・やはり私たちは、逢うべきではなかった出会いをしてしまいました。
出会ったことが、すべて間違いのはじまりでした・・・・
碌山、私の碌山・・・・
貴方が生命をかけて目指していたものは、一体何。
あれほどまでに私の心と愛をほしがった貴方は、本当は何を求めていたの・・・・
私が何も知らないと思っている、碌山。
モデルのみどりに、あれほどまでに恋焦がれていたくせに。
いつものようにお店に顔を出して、いつものように子供たちと遊んでくれて
なにも変わりにない日常の振りをしていたくせに、
私が身ごもった時に、あなたは私の目を盗んで浮気をしていたでしょう。
浮気をしている私の夫の愛蔵を、あなたもあれほど憎んでいたくせに、
私が懐妊したとたんに、あなたまで心を動かしてしまった。
男なんか、そんなもの、
あれほど、高い理想を持って彫刻の世界で、愛の造形を追い求めていたあなたが、
美貌とふくよかな肢体をもつ若い女に、あっというまに夢中になれるなんて、
貴方もただの、世俗の男のひとりだったのかしら。
碌山・・・・あなたも生身の男のひとりと知って、
実は、安心をしている私も居るの。
9人の子供を産んだ女だと言うのに、たかがの小娘に嫉妬をしている私が居るの。
あなたからの愛情をいくら受け止めようとしても、
決して男として、認めることはできない私が居るの。
夫に縛られ、家と仕事に縛られ、子供たちに縛られている限り、
あなたの望みを叶えてあげられない私が居るの。
ひと時とはいえ、別の女性に心をときめかせたことに
安堵をしている私もいるの。
叶えられてこそ夢は本物に変わるのよ、碌山。
貴方と私で、叶えられる夢などは、どこまでいっても断じてないの・・・・
わたしの全ては、この世に生を受けて産まれてきた9人の子供たち。
心血を注いで育て上げてきた、大切な中村屋と言うこの家業、
あなたをはじめ、サロンに集まって慕ってくれる大勢の芸術家や、文人たち。
それら以外は、いくら夢に見ても、かなえられない夢なのよ。
いくら慕っても、いくら強く願っても
私たちは、決して交わる事のできない平行線の夢なのよ、碌山。
岡田みどり・・・・でも、私は一生この女の名前は忘れない。
唯一、碌山の心を、一瞬とはいえ、盗んだこの女の名前はなにがあっても忘れない。
身の周りの品、貴方の身に着けていたもの、その他のすべてのものを
あの女に残していきたいなどと、たかがモデルに良く言えたわね。
それがあなたの本当の、気持ちだったの、
それがあなたの、本心からの想いだったの、碌山。
あなたが愛したものは生身の身体では無く、深い思いに支えられた、
見返りなどは決して求めない、崇高な精神だけのはずだった。
垢にまみれたありきたりの世俗の愛などは、あなたが一番嫌う愛欲のはずだった。
モデルのポーズに飽き足らず、妖艶まで売る若い女のどこがいいの。
それとも、あなたもやっぱり口先だけの生身の男だったのかしら・・・・
哀しいまでに一途だったあなたは、一体どこに消えたの。
たったひとりの妖艶なモデルの出現に、心まで惑わされたりしていてどうするの。
私の愛した碌山は、永遠に私だけの碌山だったはず。
でもそれも今となれば、こうしてちぎって燃えていく、
一枚の紙切れよりもはかないとしか言いようのない、なつかしい思い出だ。
燃えて、燃えつきて、灰になる、
あなたの命がもえつきてその肉体が滅びても、あなたの作品は生き続けるでしょう。
私が見つけ出した安曇野の命は、貴方の作品のなかで
永遠に輝き続けることになるでしょう。
でもね、碌山。
人は生き続けるために、苦悩し続けるものなの。
あなたの愛も、あなたが生きているからこそ永遠に続くものものだった・・・・
亡くなってしまったあなたの後に残るものは・・・・・
はかなさと、むなしさと、永遠につづくかもしれない深い悲しみばかり。
分かっている、聞こえている、碌山。
この胸に熱い血がたぎっているからこそ、人は悲しみの涙をこぼすの
この熱い心に、強く抱きしめたい人が居るからこそ、人は心から悩み苦しむの。
思うようにならないこの世の中で、守りたい人や
心から大切にしたい人たちがいるからこそ、人は傷つき、悩みながら生きていくの。
もう、充分に私の心のうちは知っていたはずなのに、
あなたはいつでも、現実から逃れることばかりを追い求めてきた。
安曇野で初めて出会ったあの時から、あなたは私に
あまりにも不器用に、永遠の愛を誓ったわ。
それは、私も同じ事。
やきもちが妬けるほど、芸術の天分に恵まれたあなたは、本当に美しかった。
惜しむこともなく、常に努力をし続けることができたあなたは、
誰が見ても、まぶしいほどのきらめく才能を放っていた。
私が見つけた愛の原石は、いつでもわたしの心を満たしててくれていた。
でもそれは、私たちだけの永遠の秘密なのよ、碌山。
今日もこうして、あなたの親友の一人と、このアトリエを訪ねました。
彼は帰って、今はもうこうして、私はひとりきりです。
あなたの綴った日記帳は、
あなたが彫刻に出あって、彫刻に恋をした全てのいきさつをみんな知っている。
苦しみ抜いて、悩み抜いて、いくつも挫折を乗り越えた挙句に、
やっと生まれてきたものたちを、作品たちの裏側を、みんな克明に語っている。
私と出合って恋した時から、ついこの間までの他愛のない会話まで
この日記には、いくつもの思い出として詳細に書きつづられている・・・・
なぜ焼かなければならないの。
なぜ、葬らなければならないの、碌山。
それが生命が途絶えた者の、定めなの。
生きているからこそ、秘密は守れてその先へ進めるの。
死んだ瞬間から、全てが立ち往生に変わってしまう。
悔しくても、あなたにはこの日記帳を焼くことなどはできないでしょう。
あなたの最後の頼みごとが、私とのいくつもの思い出がつづられている
この日記帳の焼却でした。
残っていたら、良さんに迷惑をかけるから・・・・
苦しい息の下でも、やはりあなたが最後まで心配をしたのが、私のことばかり。
もう、充分なまでに迷惑をかけてきたというのに、
最後の最後になって、愛された証まで、燃やしてくださいとあなたは言った。
残酷じゃない碌山、残酷すぎるでしょう、あなた・・・・
愛された女が、この火と一緒にまた一人消えていくのよ。
愛された、たったひとつの証が、こうして煙と共に消えて行ってしまうのよ。
貴方の居る、あの青い彼方に消えて行ってしまうの。
わたしたちの、全てが、
あなたのすべてが・・・・・
碌山、私が愛した、たった一人の男。
でもね・・・・こうしてあなたは、永遠になる。
こうしてあなたは、私の胸の中で永遠にいきつづけていくの。
私が生きているかぎり、こうして私が生き続けている限り・・・・
私の愛した碌山が・・・・」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第三幕・第二章「最後の独白」
「女」を完成して一ヶ月後の四月二十日、
中村屋奥の相馬家居間で友人達と談笑中、突然に碌山が吐血をします。
二日後の早暁、相馬夫妻や駆けつけた多くの友人たちが見守るなかで碌山は絶命しました。
三十歳と五ヶ月、天才にありがちな夭折でした。
碌山の葬儀が行われてから何日かのち、主人を失った碌山のアトリエには
一人佇む相馬黒光の姿がありました。
黒光は死の床で碌山から秘かに手渡された合鍵で、故人が愛用していた机の
引き出しを開けて、一冊の日記帳を取り出します。
びっしりと歓喜や苦悩の文字が書き込まれたその日記帳の、
一枚一枚を黒光はむしり取ります。
深い想いを押し殺しながら、黒光はそれを火にくべます。
立ち昇る煙は、どこまでも澄みきった空を漂よいながら行方を探して舞い続けます。
情念の写し絵とでもいうべきそれらの紙片を、一枚づつ、丹念に
黒光は、無言で燃やし続けます。
「茜ちゃん・・・・一番の見せ場だよ。
順平くんからの挑戦状みたいに、想像を絶するほどの長い独白だ。
覚悟して読んでくれよ、覚えるだけでも大変だろうけど・・・・」
「いいえ、西口さん。
この長い場面の黒光の独白こそ、
女優冥利に尽きる、順平さんからの素敵なメッセージだと思っています。
もう私は、黒光が大好きで、夢中になってしまいました!」
「おい・・・・時絵と同じ事を言っているぜ。
どうなっているんだ」
「もう彼女は舞台上で、たった一人でスポットライトを浴びているの。
アドレナリンが出てきた女優は、もう誰にも止められないわ。
あの子にも、ずっと前から実は名優の資質が有ったのよ。
今まで誰も気がつかなかっただけのことで、もうすっかり立派な舞台女優のひとりだわ。
見てよ、あの顔、輝いているもの・・・・」
時絵が呟いたとおり、中央で本読みをする茜は
もう余裕さえ感じさせるほど、見事に通る声で、最後の長い独白を読み始めました。
碌山の日記を一枚ずつひきちぎりながら、茜の長い一人舞台が幕をあげました。
・・・・・・
黒光 「貴方の命を縮めてしまったのは、他ならぬこの私でしょう。
あの日、田植え前の安曇野で、出合ってさえいなければ、わたしたちは
こんな運命も辿らなかったことでしょう。
類まれな芸術のきらめきをもっていた貴方は、安曇野の産んだ奇跡です。
常念岳の雪どけをよろこんで、水のぬるんだ田んぼに汗していた貴方は、まさに
安曇野の産んだ、芸術の原石・申し子そのものでした。
でもね、碌山・・・・
私はあなたに、新しい芸術があることを教えなければよかったと、
こうして今でも悔やんでいるの。
あなたに、あの油絵さえ見せなければ、
貴方は今でも、あの美しい安曇野で、今でも平和に暮らせていたはずだった。
いまでも生命を失うことなく、生き抜いていたのかと思うと、私の胸はやるせない。
私のなまじの知識が、貴方を、生命を縮める世界へ引きずり込んでしまったのよ・・・・
愛蔵に嫁いだ私などを、なぜに好きになったのよ。
3つも年下の少年だったくせに、挑む目をして私を好きになるなんて・・・・
女としての嬉しさは有るものの、古いだけの田舎ではどうにもならない世界でしょう。
そんなことさえ分からないあなたは、あなたの芸術と一緒になって、
私の胸のなかに、無理やりにでも、入り込もうとしてきたのよ。
それが許されないことであり、どうにもならない現実であるというのに、
世間を知らない貴方は、それもまた無理やりにこじ開けようとした。
芸術の原石だったあなたは、愛にたいしても恐れをしらない原石だった。
安曇野が、とても懐かしい、
貴方とあぜ道で言葉を交わしていたころの、あの安曇野が懐かしい。
あの頃の戻れれば、貴方が生命を失うこともなく、
私が、人に隠れて涙を流すこともないでしょう。
ああ・・・やはり私たちは、逢うべきではなかった出会いをしてしまいました。
出会ったことが、すべて間違いのはじまりでした・・・・
碌山、私の碌山・・・・
貴方が生命をかけて目指していたものは、一体何。
あれほどまでに私の心と愛をほしがった貴方は、本当は何を求めていたの・・・・
私が何も知らないと思っている、碌山。
モデルのみどりに、あれほどまでに恋焦がれていたくせに。
いつものようにお店に顔を出して、いつものように子供たちと遊んでくれて
なにも変わりにない日常の振りをしていたくせに、
私が身ごもった時に、あなたは私の目を盗んで浮気をしていたでしょう。
浮気をしている私の夫の愛蔵を、あなたもあれほど憎んでいたくせに、
私が懐妊したとたんに、あなたまで心を動かしてしまった。
男なんか、そんなもの、
あれほど、高い理想を持って彫刻の世界で、愛の造形を追い求めていたあなたが、
美貌とふくよかな肢体をもつ若い女に、あっというまに夢中になれるなんて、
貴方もただの、世俗の男のひとりだったのかしら。
碌山・・・・あなたも生身の男のひとりと知って、
実は、安心をしている私も居るの。
9人の子供を産んだ女だと言うのに、たかがの小娘に嫉妬をしている私が居るの。
あなたからの愛情をいくら受け止めようとしても、
決して男として、認めることはできない私が居るの。
夫に縛られ、家と仕事に縛られ、子供たちに縛られている限り、
あなたの望みを叶えてあげられない私が居るの。
ひと時とはいえ、別の女性に心をときめかせたことに
安堵をしている私もいるの。
叶えられてこそ夢は本物に変わるのよ、碌山。
貴方と私で、叶えられる夢などは、どこまでいっても断じてないの・・・・
わたしの全ては、この世に生を受けて産まれてきた9人の子供たち。
心血を注いで育て上げてきた、大切な中村屋と言うこの家業、
あなたをはじめ、サロンに集まって慕ってくれる大勢の芸術家や、文人たち。
それら以外は、いくら夢に見ても、かなえられない夢なのよ。
いくら慕っても、いくら強く願っても
私たちは、決して交わる事のできない平行線の夢なのよ、碌山。
岡田みどり・・・・でも、私は一生この女の名前は忘れない。
唯一、碌山の心を、一瞬とはいえ、盗んだこの女の名前はなにがあっても忘れない。
身の周りの品、貴方の身に着けていたもの、その他のすべてのものを
あの女に残していきたいなどと、たかがモデルに良く言えたわね。
それがあなたの本当の、気持ちだったの、
それがあなたの、本心からの想いだったの、碌山。
あなたが愛したものは生身の身体では無く、深い思いに支えられた、
見返りなどは決して求めない、崇高な精神だけのはずだった。
垢にまみれたありきたりの世俗の愛などは、あなたが一番嫌う愛欲のはずだった。
モデルのポーズに飽き足らず、妖艶まで売る若い女のどこがいいの。
それとも、あなたもやっぱり口先だけの生身の男だったのかしら・・・・
哀しいまでに一途だったあなたは、一体どこに消えたの。
たったひとりの妖艶なモデルの出現に、心まで惑わされたりしていてどうするの。
私の愛した碌山は、永遠に私だけの碌山だったはず。
でもそれも今となれば、こうしてちぎって燃えていく、
一枚の紙切れよりもはかないとしか言いようのない、なつかしい思い出だ。
燃えて、燃えつきて、灰になる、
あなたの命がもえつきてその肉体が滅びても、あなたの作品は生き続けるでしょう。
私が見つけ出した安曇野の命は、貴方の作品のなかで
永遠に輝き続けることになるでしょう。
でもね、碌山。
人は生き続けるために、苦悩し続けるものなの。
あなたの愛も、あなたが生きているからこそ永遠に続くものものだった・・・・
亡くなってしまったあなたの後に残るものは・・・・・
はかなさと、むなしさと、永遠につづくかもしれない深い悲しみばかり。
分かっている、聞こえている、碌山。
この胸に熱い血がたぎっているからこそ、人は悲しみの涙をこぼすの
この熱い心に、強く抱きしめたい人が居るからこそ、人は心から悩み苦しむの。
思うようにならないこの世の中で、守りたい人や
心から大切にしたい人たちがいるからこそ、人は傷つき、悩みながら生きていくの。
もう、充分に私の心のうちは知っていたはずなのに、
あなたはいつでも、現実から逃れることばかりを追い求めてきた。
安曇野で初めて出会ったあの時から、あなたは私に
あまりにも不器用に、永遠の愛を誓ったわ。
それは、私も同じ事。
やきもちが妬けるほど、芸術の天分に恵まれたあなたは、本当に美しかった。
惜しむこともなく、常に努力をし続けることができたあなたは、
誰が見ても、まぶしいほどのきらめく才能を放っていた。
私が見つけた愛の原石は、いつでもわたしの心を満たしててくれていた。
でもそれは、私たちだけの永遠の秘密なのよ、碌山。
今日もこうして、あなたの親友の一人と、このアトリエを訪ねました。
彼は帰って、今はもうこうして、私はひとりきりです。
あなたの綴った日記帳は、
あなたが彫刻に出あって、彫刻に恋をした全てのいきさつをみんな知っている。
苦しみ抜いて、悩み抜いて、いくつも挫折を乗り越えた挙句に、
やっと生まれてきたものたちを、作品たちの裏側を、みんな克明に語っている。
私と出合って恋した時から、ついこの間までの他愛のない会話まで
この日記には、いくつもの思い出として詳細に書きつづられている・・・・
なぜ焼かなければならないの。
なぜ、葬らなければならないの、碌山。
それが生命が途絶えた者の、定めなの。
生きているからこそ、秘密は守れてその先へ進めるの。
死んだ瞬間から、全てが立ち往生に変わってしまう。
悔しくても、あなたにはこの日記帳を焼くことなどはできないでしょう。
あなたの最後の頼みごとが、私とのいくつもの思い出がつづられている
この日記帳の焼却でした。
残っていたら、良さんに迷惑をかけるから・・・・
苦しい息の下でも、やはりあなたが最後まで心配をしたのが、私のことばかり。
もう、充分なまでに迷惑をかけてきたというのに、
最後の最後になって、愛された証まで、燃やしてくださいとあなたは言った。
残酷じゃない碌山、残酷すぎるでしょう、あなた・・・・
愛された女が、この火と一緒にまた一人消えていくのよ。
愛された、たったひとつの証が、こうして煙と共に消えて行ってしまうのよ。
貴方の居る、あの青い彼方に消えて行ってしまうの。
わたしたちの、全てが、
あなたのすべてが・・・・・
碌山、私が愛した、たった一人の男。
でもね・・・・こうしてあなたは、永遠になる。
こうしてあなたは、私の胸の中で永遠にいきつづけていくの。
私が生きているかぎり、こうして私が生き続けている限り・・・・
私の愛した碌山が・・・・」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/