全食事付!新決定版スイス8日間 (6)
~3大名峰と氷河特急の旅~
(添乗員同行:阪急交通社)
出発日 : 2010年7月15日(木)
帰着日 : 2010年7月22日(木)
7月20日(火)朝8時。
この日も快晴。
2泊したウェンゲンを後にする。
↑ ウェンゲンのホテルから。 ユングフラウがこの日も眩しく輝いていた。
【日程表ー7】
【日程表ー8】
【日程表ー9】
スイス地図ー6:ウェンゲン→ルツェルン→マインフェルト→チューリッヒ→パリ(仏)へ
上記日程表-7、8,9に従って、
7月20日(火) ルツェルン観光→マイエンフェルト観光→チューリッヒ(泊まり)
7月21日(水) パリ市内観光(中止)→チューリッヒ市内観光に変更→パリ経由で帰国の途へ
7月22日(木) 成田→羽田→富山。無事帰国。
↑ ルツェルンへ向かうバスの車窓から。
氷河湖と高原のある典型的なスイスの眺め。
ルツェルン観光
ルツェルンは、スイス4番目の都市。
美しい湖の向こうにはアルプスの山々が控え、中世の面影を残す。
旧市街には、歴史ある噴水や美術館なども多く文化的な町。
↑ ライオン記念碑。
スイス傭兵の死を悼む瀕死のライオン像。
自然の砂岩に彫られたモニュメント。
↑ カペル橋。
ルツェルンのシンボルは屋根付き木橋と八角塔。
14世紀前半に建造された全長204mの木橋。
湖からの敵の侵入を監視する巡視路。
花が飾られ実に美しい。
↑ ルツェルンの旧市街。
↑ ベルンの旧市街で見たと同じ噴水があった。
↑ 昼食をとったレストラン。
チキン料理を楽しんだ。
昼食後、「アルプスの少女ハイジ」でお馴染みのマイエンフェルトへ。
マイエンフェルト観光
「アルプスの少女ハイジ」の舞台・マイエンフェルトには、あの名シーンがよみがえる美しい風景が広がっている。
残念ながら「アルプスの少女ハイジ」をよく知らない私には、ここはスイスの静かな田舎という印象だった。
↑ ハイジの泉がある付近。
↑ ハイジの泉。
ハイジの生みの親であるヨハンナ・シュピリを記念して、1953年に作られた石像。
↑ 周辺には放牧された牛や羊のいるのんびりした風景が広がっていた。
↑ ハイジ村にあったハイジの家。
石で造られた牛のモニュメントと子供が遊んでいた。
↑ ハイジ村のハイジショップ。
↑ ハイジ村でヤギと遊んでいたはにかみやの少女A。
↑ ハイジ村で同じくヤギと遊んでいたおしゃまな少女B。
↑ ハイジ村で我々を待っている観光バスの駐車場付近。
15:50 ハイジの故郷に別れを告げ、バスで一路チューリッヒへ。
17:30 チューリッヒ湖の湖畔で休憩。
↑ チューリッヒ湖
18:00 約2時間のバス・ドライブの後、無事チューリッヒに到着。
↑ 夕食を取ったチューリッヒのレストラン。
20:00 チューリッヒのホテルに到着。
ここで、とんでもない情報が入った。
“パリの空港がストのため、明日のパリ行きの朝の飛行機は飛ばない。
そこで、パリ市街見物は中止。
その後の予定は決定次第、ホテル・ロビーの掲示板で知らせるので各自掲示板を注視せよ。”
とのこと。
私には海外旅行で初めて経験したトラブルだった。
添乗員さんと阪急交通社の懸命な努力の結果、ようやく明日の予定と日本への帰国が予定通りできることが分かった(午後のパリ行きの飛行機で)。
明日の予定はチューリッヒ市街観光ということになった。
↑ チューリッヒのホテル
9:50 ホテル・ロビーに集合。
チューリッヒ市街観光
に出かけた。
スイス最大の都市チューリッヒは、世界的にも重要な商業と金融の中心地。
歴史的建造物も多く残り、中世の雰囲気が感じられる。
歴史の遺産と新しい文化が融合した、独特の町である。
↑ フラウミュンスター(聖母聖堂)
青緑の屋根の細いエレガントな尖塔(時計塔)。
中央の聖堂部分のステンドグラスが必見だった。
↑ グロスミュンスター(大聖堂)
チューリッヒ最大のロマネスク様式の教会。
リマト川岸に立つ双子の塔が特徴的だった。
↑ チューリッヒの電車通り。
2つの教会の礼拝を済ませた後、リマト川沿いにチューリッヒ市街をぶらぶらした。
市電の路面を自転車で通ったり、自由に横断したりしている人がいた。
日本ではあまり見かけない光景であり、少し気になった。
↑ リマト川の対岸。
先に礼拝してきたフラウミュンスター聖堂が見える。
その手前の大きな時計塔は聖ペーター教会。
チューリッヒで最も古い教会だった。
街の大通りを歩いてチューリッヒ湖の湖畔にあるビュルクリ広場まできた。
↑ ビュルクリ広場よりチューリッヒ湖遊覧船乗り場。
ここでベンチに腰をおろし、14:00の集合時間まで他の観光客に混じってのんびりと過ごした。
この後、上記の日程表の通り、チューリッヒからパリ経由で帰国した。
(完)
~3大名峰と氷河特急の旅~
(添乗員同行:阪急交通社)
出発日 : 2010年7月15日(木)
帰着日 : 2010年7月22日(木)
7月20日(火)朝8時。
この日も快晴。
2泊したウェンゲンを後にする。
↑ ウェンゲンのホテルから。 ユングフラウがこの日も眩しく輝いていた。
【日程表ー7】
【日程表ー8】
【日程表ー9】
スイス地図ー6:ウェンゲン→ルツェルン→マインフェルト→チューリッヒ→パリ(仏)へ
上記日程表-7、8,9に従って、
7月20日(火) ルツェルン観光→マイエンフェルト観光→チューリッヒ(泊まり)
7月21日(水) パリ市内観光(中止)→チューリッヒ市内観光に変更→パリ経由で帰国の途へ
7月22日(木) 成田→羽田→富山。無事帰国。
↑ ルツェルンへ向かうバスの車窓から。
氷河湖と高原のある典型的なスイスの眺め。
ルツェルン観光
ルツェルンは、スイス4番目の都市。
美しい湖の向こうにはアルプスの山々が控え、中世の面影を残す。
旧市街には、歴史ある噴水や美術館なども多く文化的な町。
↑ ライオン記念碑。
スイス傭兵の死を悼む瀕死のライオン像。
自然の砂岩に彫られたモニュメント。
↑ カペル橋。
ルツェルンのシンボルは屋根付き木橋と八角塔。
14世紀前半に建造された全長204mの木橋。
湖からの敵の侵入を監視する巡視路。
花が飾られ実に美しい。
↑ ルツェルンの旧市街。
↑ ベルンの旧市街で見たと同じ噴水があった。
↑ 昼食をとったレストラン。
チキン料理を楽しんだ。
昼食後、「アルプスの少女ハイジ」でお馴染みのマイエンフェルトへ。
マイエンフェルト観光
「アルプスの少女ハイジ」の舞台・マイエンフェルトには、あの名シーンがよみがえる美しい風景が広がっている。
残念ながら「アルプスの少女ハイジ」をよく知らない私には、ここはスイスの静かな田舎という印象だった。
↑ ハイジの泉がある付近。
↑ ハイジの泉。
ハイジの生みの親であるヨハンナ・シュピリを記念して、1953年に作られた石像。
↑ 周辺には放牧された牛や羊のいるのんびりした風景が広がっていた。
↑ ハイジ村にあったハイジの家。
石で造られた牛のモニュメントと子供が遊んでいた。
↑ ハイジ村のハイジショップ。
↑ ハイジ村でヤギと遊んでいたはにかみやの少女A。
↑ ハイジ村で同じくヤギと遊んでいたおしゃまな少女B。
↑ ハイジ村で我々を待っている観光バスの駐車場付近。
15:50 ハイジの故郷に別れを告げ、バスで一路チューリッヒへ。
17:30 チューリッヒ湖の湖畔で休憩。
↑ チューリッヒ湖
18:00 約2時間のバス・ドライブの後、無事チューリッヒに到着。
↑ 夕食を取ったチューリッヒのレストラン。
20:00 チューリッヒのホテルに到着。
ここで、とんでもない情報が入った。
“パリの空港がストのため、明日のパリ行きの朝の飛行機は飛ばない。
そこで、パリ市街見物は中止。
その後の予定は決定次第、ホテル・ロビーの掲示板で知らせるので各自掲示板を注視せよ。”
とのこと。
私には海外旅行で初めて経験したトラブルだった。
添乗員さんと阪急交通社の懸命な努力の結果、ようやく明日の予定と日本への帰国が予定通りできることが分かった(午後のパリ行きの飛行機で)。
明日の予定はチューリッヒ市街観光ということになった。
↑ チューリッヒのホテル
9:50 ホテル・ロビーに集合。
チューリッヒ市街観光
に出かけた。
スイス最大の都市チューリッヒは、世界的にも重要な商業と金融の中心地。
歴史的建造物も多く残り、中世の雰囲気が感じられる。
歴史の遺産と新しい文化が融合した、独特の町である。
↑ フラウミュンスター(聖母聖堂)
青緑の屋根の細いエレガントな尖塔(時計塔)。
中央の聖堂部分のステンドグラスが必見だった。
↑ グロスミュンスター(大聖堂)
チューリッヒ最大のロマネスク様式の教会。
リマト川岸に立つ双子の塔が特徴的だった。
↑ チューリッヒの電車通り。
2つの教会の礼拝を済ませた後、リマト川沿いにチューリッヒ市街をぶらぶらした。
市電の路面を自転車で通ったり、自由に横断したりしている人がいた。
日本ではあまり見かけない光景であり、少し気になった。
↑ リマト川の対岸。
先に礼拝してきたフラウミュンスター聖堂が見える。
その手前の大きな時計塔は聖ペーター教会。
チューリッヒで最も古い教会だった。
街の大通りを歩いてチューリッヒ湖の湖畔にあるビュルクリ広場まできた。
↑ ビュルクリ広場よりチューリッヒ湖遊覧船乗り場。
ここでベンチに腰をおろし、14:00の集合時間まで他の観光客に混じってのんびりと過ごした。
この後、上記の日程表の通り、チューリッヒからパリ経由で帰国した。
(完)