★阪急交通社の海外ツアー(つづき)②
“日本航空往復直行便利用
おまかせ オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・ドイツ 8日間”
出発日 2013年5月13日(月)
帰着日 2013年5月20日(月)
<2日目> 5月14日(火)
↑ 2日目:【ドイツ】ホッケンハイム→ハイデルベルク→【ルクセンブルク】ルクセンブルク→【ベルギー】ブリュッセル
朝食:ホテル(アハト ホッケンハイム)で6時30分から。
移動:ホッケンハイム→ハイデルベルク(ドイツ):約20Km
↑ ホテルに横付けされたドイツの観光バス。この後の全てのバス移動はこのバスで行われた。
↑ バスの車内には、外の気温を表示するモニターがあった(時刻表示と交互に)。
この時、13℃を表示していた。肌寒い・・・。
長袖シャツにジャンパーで丁度よいくらいだった。
↑ ハイデルベルクに到着。マロニエの白い花が満開だった。
観光:ハイデルベルク(ドイツ)
1386年に開校したドイツ最古の大学がある学生の街。
旧市街の丘の上に立つハイデルベルク城は街のシンボル。
1618年の30年戦争などの傷跡が残る。
ここから各観光地では、いつも“トラベルイヤホン”によるガイドが重宝だった。
○アルテ橋:ネッカー川にかかる石組みの橋。正式な名称はカール・テオドール橋。
↑ アルテ橋、建造は1788年。
↑ アルテ橋の旧市内側には2つの塔を持つ門がついている。
↑ アルテ橋の上から見た旧市街の丘の上に立つハイデルベルク城。街のシンボル。
○旧市街
↑ 旧市街散策
↑ 聖霊教会。街の中心、マルクト広場にある。
↑ コルン広場から丘の中腹に見えるハイデルベルク城。30年戦争で破壊されたままになっている。
☆ドイツ民芸店
↑ “ユニコン 免税取扱店”と日本語だった。
↑ 店内には“くるみ割り人形”と日本語で書かれた棚
↑ ビールジョッキの棚
移動:ハイデルベルク(ドイツ)→ルクセンブルク(ルクセンブルク):約245Km
↑ 移動中のバスの車窓から。菜の花畑の黄色が実に綺麗だった。
・国境(ドイツ→ルクセンブルク)
↑ バスのフロントガラス右前方にEUの丸い★マークに“Luxembourg"と書かれた標識が見える。
日本の県境を通過する感覚だった。
・昼食:魚料理(ルクセンブルクのレストラン)
↑ ルクセンブルクのレストラン
観光:ルクセンブルク(ルクセンブルク)【世界遺産①】
ヨーロッパの小国でありながら、高い経済水準を誇る豊かなルクセンブルク。
古く美しい町並みが残るルクセンブルク市の旧市街地は、
世界遺産にも登録され、世界的にも有名な観光地となっている。
↑ レストランを出てルクセンブルクの旧市街地へと歩く。ノートルダム大聖堂の尖塔が見えてきた。
◎ノートルダム大聖堂
17世紀に建立された、細い尖塔が際立つ教会。
ジャン大公とベルギー王女との婚礼が行われた所としても有名である。
↑ ノートルダム大聖堂と細い尖塔
↑ ノートルダム大聖堂の憲法広場側の入口。聖母マリアが祭られている。
↑ ノートルダム大聖堂の内部案内板で現地ガイドの説明とそれを通訳する添乗員。
↑ 先代大公とベルギー王女が婚礼を挙げた祭壇。
↑ ノートルダム大聖堂の内部。
・ペトリュス渓谷:城壁からの眺め
↑ 城壁から見下ろしたペトリュス川の渓谷。右側はグルンド。
↑ 城壁からペトリュス渓谷の反対側の眺め。
○大公宮
ルクセンブルクは全世界で唯一、国家元首を大公とする大公国である。
↑ 大公宮。大公が執務を行う大公宮。
↑ 入口に立つ近衛兵とその上官。
・憲法広場
↑ 広場の中央に第一次世界大戦の戦没者を悼む慰霊塔がたつ。
↑ 高さ40mの塔の上に立つ月桂樹をかざした金の女神像。
残念ながら、憲法広場からの絶景見学はできず、ペトリュス渓谷に架かるアドルフ橋は見なかった。
移動:ルクセンブルク(ルクセンブルク)→ブリュッセル(ベルギー):約215Km
・国境(ルクセンブルク→ベルギー)
↑ ベルギー国境の標識。EUの丸い★マークの中に“Belgium”の文字が見えた。
↑ ベルギーの首都ブリュッセルの街に入ると物凄い渋滞に・・・・。
気温は13℃
夕食:ブリュッセル・グランプラスのレストラン(ベルギー)
漸く渋滞を抜け、ブリュッセルの市内へ。
バスを降り、世界で最も美しい広場と言われているグランプラスで夕食。
↑ グランプラス
↑ グランプラスのレストラン
宿泊ホテル:シェラトン エアポート(ベルギー)
↑ 21時ごろ、予定より1時間遅れでシェラトン エアポート ホテルへ到着。
この時間でも日本の夕方のようにまだ明るかった。
(添乗員)部屋割りと明朝の予定
・起床 6:30
・朝食 7:00
・荷物出し 連泊のため不要
・集合 8:15
(つづく)
“日本航空往復直行便利用
おまかせ オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・ドイツ 8日間”
出発日 2013年5月13日(月)
帰着日 2013年5月20日(月)
<2日目> 5月14日(火)
↑ 2日目:【ドイツ】ホッケンハイム→ハイデルベルク→【ルクセンブルク】ルクセンブルク→【ベルギー】ブリュッセル
朝食:ホテル(アハト ホッケンハイム)で6時30分から。
移動:ホッケンハイム→ハイデルベルク(ドイツ):約20Km
↑ ホテルに横付けされたドイツの観光バス。この後の全てのバス移動はこのバスで行われた。
↑ バスの車内には、外の気温を表示するモニターがあった(時刻表示と交互に)。
この時、13℃を表示していた。肌寒い・・・。
長袖シャツにジャンパーで丁度よいくらいだった。
↑ ハイデルベルクに到着。マロニエの白い花が満開だった。
観光:ハイデルベルク(ドイツ)
1386年に開校したドイツ最古の大学がある学生の街。
旧市街の丘の上に立つハイデルベルク城は街のシンボル。
1618年の30年戦争などの傷跡が残る。
ここから各観光地では、いつも“トラベルイヤホン”によるガイドが重宝だった。
○アルテ橋:ネッカー川にかかる石組みの橋。正式な名称はカール・テオドール橋。
↑ アルテ橋、建造は1788年。
↑ アルテ橋の旧市内側には2つの塔を持つ門がついている。
↑ アルテ橋の上から見た旧市街の丘の上に立つハイデルベルク城。街のシンボル。
○旧市街
↑ 旧市街散策
↑ 聖霊教会。街の中心、マルクト広場にある。
↑ コルン広場から丘の中腹に見えるハイデルベルク城。30年戦争で破壊されたままになっている。
☆ドイツ民芸店
↑ “ユニコン 免税取扱店”と日本語だった。
↑ 店内には“くるみ割り人形”と日本語で書かれた棚
↑ ビールジョッキの棚
移動:ハイデルベルク(ドイツ)→ルクセンブルク(ルクセンブルク):約245Km
↑ 移動中のバスの車窓から。菜の花畑の黄色が実に綺麗だった。
・国境(ドイツ→ルクセンブルク)
↑ バスのフロントガラス右前方にEUの丸い★マークに“Luxembourg"と書かれた標識が見える。
日本の県境を通過する感覚だった。
・昼食:魚料理(ルクセンブルクのレストラン)
↑ ルクセンブルクのレストラン
観光:ルクセンブルク(ルクセンブルク)【世界遺産①】
ヨーロッパの小国でありながら、高い経済水準を誇る豊かなルクセンブルク。
古く美しい町並みが残るルクセンブルク市の旧市街地は、
世界遺産にも登録され、世界的にも有名な観光地となっている。
↑ レストランを出てルクセンブルクの旧市街地へと歩く。ノートルダム大聖堂の尖塔が見えてきた。
◎ノートルダム大聖堂
17世紀に建立された、細い尖塔が際立つ教会。
ジャン大公とベルギー王女との婚礼が行われた所としても有名である。
↑ ノートルダム大聖堂と細い尖塔
↑ ノートルダム大聖堂の憲法広場側の入口。聖母マリアが祭られている。
↑ ノートルダム大聖堂の内部案内板で現地ガイドの説明とそれを通訳する添乗員。
↑ 先代大公とベルギー王女が婚礼を挙げた祭壇。
↑ ノートルダム大聖堂の内部。
・ペトリュス渓谷:城壁からの眺め
↑ 城壁から見下ろしたペトリュス川の渓谷。右側はグルンド。
↑ 城壁からペトリュス渓谷の反対側の眺め。
○大公宮
ルクセンブルクは全世界で唯一、国家元首を大公とする大公国である。
↑ 大公宮。大公が執務を行う大公宮。
↑ 入口に立つ近衛兵とその上官。
・憲法広場
↑ 広場の中央に第一次世界大戦の戦没者を悼む慰霊塔がたつ。
↑ 高さ40mの塔の上に立つ月桂樹をかざした金の女神像。
残念ながら、憲法広場からの絶景見学はできず、ペトリュス渓谷に架かるアドルフ橋は見なかった。
移動:ルクセンブルク(ルクセンブルク)→ブリュッセル(ベルギー):約215Km
・国境(ルクセンブルク→ベルギー)
↑ ベルギー国境の標識。EUの丸い★マークの中に“Belgium”の文字が見えた。
↑ ベルギーの首都ブリュッセルの街に入ると物凄い渋滞に・・・・。
気温は13℃
夕食:ブリュッセル・グランプラスのレストラン(ベルギー)
漸く渋滞を抜け、ブリュッセルの市内へ。
バスを降り、世界で最も美しい広場と言われているグランプラスで夕食。
↑ グランプラス
↑ グランプラスのレストラン
宿泊ホテル:シェラトン エアポート(ベルギー)
↑ 21時ごろ、予定より1時間遅れでシェラトン エアポート ホテルへ到着。
この時間でも日本の夕方のようにまだ明るかった。
(添乗員)部屋割りと明朝の予定
・起床 6:30
・朝食 7:00
・荷物出し 連泊のため不要
・集合 8:15
(つづく)