いわき市生涯学習プラザに飾られています生け花から。
P35の丁寧なレジメで
石城国と常陸国の関連を
詳しく説明されました。
多珂郡の位置は?
定説と仮説をお話しいただきました。
人形埴輪から。
古代人の考えが理解できます。
多珂郡の位置探しの旅に。
いろいろな説の紹介と自説などについて。
多珂郡の古代交通路
~駅路(えきろ)~のルートとは。
常陸国の駅路。
石城国の駅路。
仮説の駅家(うまや)。
いわきの考古学講座 3回
常陸国多珂郡からみた石城国建国前後の様相
~古墳・郡衙・交通路~
講師は
早川麗司(有限会社毛野考古学研究所)でした。
石城郡は
養老2年(718年)に
陸奥の国の石城(いわき)・標葉(しめは)・行方(なめかた)
宇太(うだ)・日理(わたり)の5群に常陸国多珂の郷210戸を
割いて新たに菊多郡を置き、これを加えた6郡で設けられた国です。
☆多珂郡とは
☆多珂郡衙(郡家)の位置を推定する・・・仮説含めて
古墳の分析を通して
☆多珂郡の古代交通路
駅路(えきろ)のルート探しを通して
を早川先生は
定説・仮説・自説を話され、
あっという間に時間がたち
前回と同様
多珂郡のどこに駅家(うまや)が在っ他のかに興味が。
石城国と違い
多珂郡の駅家(うまや)は推測しそうになっているようです。
早川先生
貴重なお話、ありがとうございました。