いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

米沢藩、山吉源右衛門の死・・・いわきの戊辰戦争 其の二 4回目

2018-08-27 09:09:22 | いわきの歴史

オクラの花はきれいです。
咲き終わると実がついています。


今夏の夏井先生のレジメから。


夏井先生が書かれた「いわきの戊辰戦争」P20
「米沢藩の隊長山吉源右衛門の死」が書かれています。


P21 P22
詳しくその場面が書かれています。


平成25年5月に発行されました。


「竹尾直右衛門書上げ」より


「中村茂平書上げ」より

いわきの戊辰戦争 其の二 4回目(最終回)
米沢藩、山吉源右衛門の死
講師は
夏井芳徳先生でした。

☆「中村茂平書上げ」・・・・・磐城平藩戊辰実践記 藩士十六人覚書より
☆「竹尾直右衛門書上げ」・・・磐城平藩戊辰実践記 藩士十六人覚書より

に詳しく書かれた内容を解説しながら
米沢藩と磐城平藩の関係等も話されながら
山吉源右衛門の壮絶な死を話されました。

皆さん
150年前の出来事に
感動した様子でした。

夏井先生
ありがとうございました。


 

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笠間藩神谷陣屋の戊辰戦争・・・いわきの戊辰戦争其の二 3回目より

2018-08-27 08:45:32 | いわきの歴史

庭の「オクラ」の花がきれいです。
食するよりも花の鑑賞です。


「いわきの戊辰戦争」 其の二 3回目より
其の二は
終了しましたが書いていませんでした。

笠間陣屋は
政府軍として戊辰戦争を戦った。

こうしたことが
いわきにおいては
現在でも

なかなかまとまりにくい原因かもしれません。


夏井先生が書かれた「いわきの戊辰戦争」P35
「笠間藩神谷陣屋の戊辰戦争」
に書かれています。


今回の夏井先生のレジメからレジメから。

いわきの戊辰戦争 其の二 3回目より

笠間藩神谷陣屋の戊辰戦争

講師は
夏井芳徳先生でした。

☆大須賀筠軒「磐城郡村誌」より
☆「牧野貞寧家記」・・・復古外記 平潟口戦記 第一
☆「永野宗助書上げ」・・・磐城平藩戊辰戦争実戦記 
             藩士十六人の覚書

の資料を参考に
戊辰戦争の戦いを解説されました。

いわきにおける戊辰戦争でも
今まで、
政府軍における笠間藩神谷陣屋のことは
あまり市民の方々は知らなかったので
今回の講座で
びっくりされた方も多かったようです。

夏井先生
ありがとうございました。

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「皇帝ダリア」が大きくなってきました・・・・・いわき

2018-08-27 08:26:16 | 庭の花

2年連続で
いわきでは途中でだめになりましたが、
今年は
なんとか最後まで咲いてほしいです。

今のところ
台風にもめげず
倒れず(根が浅く倒れやすい)生長中です。

日めくりカレンダーから
☆思いやりは、
 過剰な期待をやめることから
    奈良県 会社員の方

家庭でも社会でも
過剰な期待をするからストレスになると。
なるほどと。

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常陸国多珂郡からみた石城国建国前後の様相・・・・いわきの考古学講座3回目より

2018-08-26 09:24:10 | いわきの歴史

 

 

 

いわき市生涯学習プラザに飾られています生け花から。


P35の丁寧なレジメで
石城国と常陸国の関連を
詳しく説明されました。


多珂郡の位置は?
定説と仮説をお話しいただきました。


人形埴輪から。
古代人の考えが理解できます。


多珂郡の位置探しの旅に。


いろいろな説の紹介と自説などについて。


多珂郡の古代交通路
~駅路(えきろ)~のルートとは。


常陸国の駅路。


石城国の駅路。


仮説の駅家(うまや)。

 

いわきの考古学講座 3回

常陸国多珂郡からみた石城国建国前後の様相
~古墳・郡衙・交通路~

講師は
早川麗司(有限会社毛野考古学研究所)でした。

石城郡は
養老2年(718年)に
陸奥の国の石城(いわき)・標葉(しめは)・行方(なめかた)
宇太(うだ)・日理(わたり)の5群に常陸国多珂の郷210戸を
割いて新たに菊多郡を置き、これを加えた6郡で設けられた国です。

☆多珂郡とは
☆多珂郡衙(郡家)の位置を推定する・・・仮説含めて
 古墳の分析を通して
☆多珂郡の古代交通路
 駅路(えきろ)のルート探しを通して

を早川先生は
定説・仮説・自説を話され、
あっという間に時間がたち

前回と同様
多珂郡のどこに駅家(うまや)が在っ他のかに興味が。

石城国と違い
多珂郡の駅家(うまや)は推測しそうになっているようです。

早川先生
貴重なお話、ありがとうございました。

 

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石城国にあった駅家(うまや)はどこなのか!!・・・いわきの考古学2回目・石城国建国と石城郡・菊多郡より

2018-08-26 08:26:36 | いわきの歴史

いわき市生涯学習プラザの生け花から。
夏の生け花はつらそうですが
観るほうは元気をいただく。


いわきの国が建国された経緯等が書かれています。


いわきの国の範囲とは。


石城群の中心地とは。


神谷作101号噴出土埴輪です。
おだかな表情に驚きました。


石城郡の役所跡(根岸遺跡)が書かれています。


「菊多郡」の中心地です。
妻の実家
勿来の白米地区なども
菊多郡役所の関連があったのではと推測しています。


菊多郡の関連する遺跡等です。


海上ルートののイメージ図。
古代道についてまとめられました。
「石城の国に始めて駅家(うまや)・・・十虚を置く」
 ・・・・・続日本書紀(養老三年閏七月二一日条)
それまでの海上ルートに加え
陸上ルートの整備が進められた。
中央と地方(国府)を結ぶために官道を整備し
30里=約16㎞ごとに駅家を設置しました。
現在のどこにあったのか
まだわからない?
いのししの近くに「御厩(みまや)」という地名がありますので
この地区にはあったと思われますが・・・・
まだ場所は特定されていないようです。
今後の課題のようです。


地方行政の再編により
石城国ができた。


わずか3年で石城の国は
陸奥の国に再編入された。


石城国と石背国の範囲と
主要交通ルートを話されました。

昨日
11月まで続く
月1回開かれていますいわきの考古学講座3回目が開かれましたが、
前回・2回を書いていませんでした。

いわきの考古学講座2回目
石城国と菊多・石城郡などについて
講師は
猪狩みち子先生(公益財団法人 いわき市教育文化事業団)でした。

上記の資料P19を使い
今年は
いわきの国が建国されて1300年。
その背景などを詳しく史料・考古学等の研究を使いながら
分かりやすく説明され、
参加者の皆さん、
いわきの
古代の息吹を感じらえたようです。

また、
石城国にありました
駅家(うまや)はどこかに興味が・・・・

猪狩先生
貴重なお話ありがとうございました。

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