院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「ブログ休止!」

2007年11月11日 09時53分22秒 | ノンジャンル
は、しないんだけどさ。


もうブログを始めて2年半になります。

今だ連続更新記録継続中(笑)


院長のブログを定期的に見てくれていて、院長の近況を常に把握してる

って言う人はブログへのアクセス数を見ると結構な数になるんだろうな

とおもいます。


そういうのもありがたいし、直接は何年も会ってないけど、その存在が

全然遠く感じない人もいます。

コメントくれる人ね。


ブログにはコメント機能があるので掲示板のような使い方も出来る

現代の新しいコミニュケーションの形になっていると思います。


ただね、ブログにしても掲示板にしても恩恵はたくさんあるけど、

厄介なこともあるのは確か。

顔の見えない対話だから、文面で全てを表現しなきゃいけないし、

読み取る側も文面から書き手の本意を読み取らなきゃいけない。


「昨日、立川エキュートに行きました。すごかった」

くらいのものならば、なーんの問題も起こりえないけど、掲示板、

特にブログは自分の考えを発信したいっていう想いがある人が

やってるんです。たいていは。


それに対して付いたコメント、それへの返し、等のやりとりを含めると

もう素の自分っていうものを完全にさらけ出してるわけです。

作り上げたブログの中だけの人格でやりとりを続けることは相当難しく、

不可能なんじゃないかな。


だから、書いた文面で読み手はその人のことを理解するんだけど、

必ずしも書き手の本意がきちんとした文になってくれるとは限らないんです。


それはもしかしたら書き手の文章力の不足かもしれないし、

読み手の読解力の不足かもしれない。


院長は顔の見えないコミニュケーションツールを使ってるんだという意識は

常に持っているので、自分の書いた文が読み手に誤読される可能性はないか?

自分の文を読んで不快感を持つ人はいないか、今回は特定の人に対しては

攻撃的な文をギリギリの線で書いてみよう、とかいろいろ考えて

毎日やってるわけです。


それだけ気をつけていても、直接話していたのであればそんなに

こじれなかっただろう、というやりとりも何度かありました。

このネットならではの本意の伝わりきらなさ、というのが本当に

グッタリ疲れるんですよ。


自分の本意を明らかに読み違えられていたり、相手の文章を間違えて

読み取ってしまったり、ネット上でのコミュニケーションを続けていく限り

避けては通れない問題なんだよね。


対話での誤解は別にネットに限らず、人と関わっていく以上避けられない。


たまにグッタリと疲れちゃうこともあるんだけど、

何かを書きたいっていう欲があるうちはブログは続けようかと。


ヨロシコ。