以前ご紹介した妙法蓮華経、このお経の読み方の練習として昔から行われているやり方に、師匠が木鉦でリズムを刻みながら、お経のワンフレーズを独唱し、それを今度は弟子が同じように師匠が刻む木鉦のリズムに合わせて、師匠が独唱したお経のワンフレーズを真似して唱えていくというものがあります。
この方法を俗に一一文文(いちいちもんもん)と呼んでいます。(正式な名前かどうかはわかりませんが)
今でこそ、お経を録音したCDやお経の文字にルビが振ってあるものなどがありますから、自分で独学するということもできるようになったのですが、昔はこの一一文文といういわゆる口から口へ伝えていく口伝の方法がとられていたようです。
この方法ですと、お経の読み癖、音を延ばしたり、節をつけたり、息継ぎの場所とかいろいろな情報も合わせて学習することができるすぐれた方法です。
しかし、欠点としては非常に手間がかかること、習う方も大変ですが、教える方はもっと大変です。
そんなこともあってか、最近ではだんだんこの一一文文というやり方は少なくなっているような気がします。
一方、CDやルビ付きの経本などで学習する場合は手軽で取っ付きやすいですが、それだけで学習していると、文字はちゃんと読めているのですが、何か聞いていておかしいんですね。
やはり、息を合わせるという言葉がありますが、息が合わないんですね。
お経の場合、多くの人と一緒に唱えるということが多いですから、人の呼吸の微妙な間やリズムが独学だと習得できないのでしょう。
その一一文文という学習方法で使われるのが一一文文箸と呼ばれるものです。
師匠の唱えたお経の文字をその一一文文箸で一文字一文字指しながら自分で唱えるのです。
この箸はそういう特別な道具があるわけではなく、別に何でもよいのですが、現在では一般的に割りばしが使われているようです。
ただの割りばしが一一文文箸という特殊なものに変身するのです。
法華経全部を一一文文で習うとなると、相当な時間がかかります。
二十八ある章節の中でも特に三番目にある比喩品などはもうほとんど読めない漢字だらけで(漢字検定一級か!)しかも長いと来ていますから、覚えるのも大変で、一一文文箸と聞くとその大変だったことが思い出されるくらいです。
一般的には知られていないこの一一文文、あるいは一一文文箸という言葉、お坊さんの間では「ああ、あの時は大変だったな」と思いだす青春のほろ苦い記憶を呼び覚ます言葉かも知れません。