脳梗塞を起こして具合の悪かった当寺の番犬ぼたんちゃん。
一時は食事もできずこのままだと2,3日、あるいは1週間程度しか持たないのではと言われていたのですが驚異的に回復してきました。
散歩中に倒れた後しばらく眼球が左右に動き続けていために目が回ってあるけなかったようです。それが収まると食べることができるようになりました。もちろん脳梗塞で左側に少しマヒが残っていますが散歩もできるようになりました。
ほとんど薬も飲ませられず、点滴もできなかったのにこれだけ回復するとは獣医さんもミラクルと驚いています。
これもぼたんちゃんの生命力の強さでしょうか。
歩くと少し左に傾いてしまいますがそれさえ気をつければ普通に散歩できています。
昨日、赤いバンダナをした脱走ワンコ(柴犬風)が一日中ウロウロしてました。
見かねた家人が保護して近所の動物情報に詳しい方に尋ねると「その子ならさくらちゃんじゃないかしら。お母さんに電話して迎えに来てもらいましょう」とのこと。それでそのお宅で預かってもらうことに。
今日は、遠方から千葉さな子さんのお墓参りに来たカップルが帰り際に近所の公園で子猫がなくなっている(多分車にはねられたらしい)のを発見し、かわいそうなので埋めさせてくださいと子猫を抱えてお寺に戻ってきました。
たしかに気の毒なので埋葬することに。その方々と一緒にお経を上げてお線香をお供えしてご供養させていただきました。
近所では野良猫にえさを上げている人が結構いるのですが、えさをあげるだけで病気になっても治療しないし、避妊手術をしないので子猫が増えるばかり。でも、このように事故にあったり病気になったりして自然淘汰されているようです。
しかし、こうして死んでいく子猫を見ると面倒を見るならちゃんと責任を持って飼ってほしいと思えてなりません。
埋葬後、帰宅した家人にそのことを話すと「もしかしたら飼い主がいて探しているかもしれないよ」と言われ、確かに勝手に見た目で野良猫と判断するのは間違いだったかもとしばし反省。でもあの状況では元のところに子猫を戻してきてとも言えないし。場合によっては誰かが市役所に通報して回収されてしまうかもしれないし。
近所にいる野良猫の柄によく似ていたのでてっきりその一族かと思ってしまったんですね。
今回もまた近所の動物情報に詳しい方に訳を話して、もし飼い主がいるようなら清運寺に埋葬されていると伝えてくださいとお願いすることにしましょう。
昨日A寺さんの本堂の落慶式に出席してきました。
新しい本堂は木造で優しい趣が有り庫裡と本堂のあいだには客殿も作られていました。
前の本堂は160年ほど前に建てられもので数年前に本堂が軋む音を聞いて耐震性を調べてももらったところ耐震性ゼロということだったのだそうです。その後しばらくはキープアウトの黄色いテープが本堂の周りに張り巡らされ物々しい雰囲気でした。
そのあと、中の仏具等を搬出し、本堂は解体され更地に。
昨年の東日本大震災時、おそらく関係者方々はもし本堂がそのままだったら大惨事なっていたかもしれない。早く気がついて解体しておいてよかったと思われたのではないでしょうか。
新しい本堂にはリフォームされた仏具や欄間などが使われています。伝統を残しつつ新しく生まれ変わった本堂、とても心地よく感じられました。
これから少なくても何十年、あるいは100年以上住職はじめ檀信徒の方々、地域の方々のよりどころとして守られていくことでしょう。
人と一緒に本堂も熟成されていくことと思います。
本当におめでとうございます。
(左が空さん、右がくるみちゃんー なんとなく左側の空さんが嫌がっている感じが伝わってきます。)
当寺の猫たちは他の猫とくっつくことを嫌い決して猫団子を作らない。
しかし、初めて猫同士がくっついているのを発見。
元々空さんが寝ていたところにくるみちゃんが割り込んでのツーショットです。
空さんは他の猫がくっつこうものなら怒って蹴散らしてしまうのですが、新参者のくるみちゃんにはなぜか寛容。
やはりくるみちゃんが雌猫だからでしょうか?それとも野良猫時代に培った他の猫とのコミニュケーション能力に長けているくるみちゃんの作戦勝ちでしょうか。
しばらく、このままくっついていましたが、空さんはそのあとゲロを2回も吐いてしまいました。やっぱり嫌だったからかな?
急に寒くなったので猫たちも暖かいところに集まるようになってきました。
境内の生け垣の金木犀ももう少しで咲きそうです。
屋外では植木の変化、屋内では猫の変化で季節を知ることとなります。
人ではありませんが、当寺の番犬ぼたんちゃんの寿命がつきそうな状態になってしまいました。
昨年あたりから耳や目、膝などに支障がでてきていはいたのですが、今年の夏には心臓の調子も悪くなってきました。もう15歳なのでいわゆる老化というやつです。そして先週ついに脳梗塞(多分)を起こしてしまいました。
病院嫌い、人に触られるのが嫌いなので獣医さんに相談したところ、刺激を与えるとそれだけで心臓麻痺を起こしてしまうかもしれないので薬を飲ませましょうとのことに。
しかし、その薬も喉を通らず、今は食事も水も飲めない状態。フラフラして歩くこともままなりません。
獣医さんに相談したところ、今のところこのまま見守るしかないようです。
そして、もう一匹の老猫空さん(14歳)も免疫力が落ちて時々免疫力を高めるインターフェロンを打ってもらうようにしていましたが、3週間ほど前から鼻水鼻づまりが止まらずなかなかよくなりません。今年初め風邪を引いて肺炎になりかけた時に「来年のお正月はむかえられないかもしれませんね」とショッキングなお言葉をいただきました。こちらも老齢で油断ができません。
会うは別れのはじめと言いますが、なかなかつらいことです。
今月の標語は「人生には終わりがある だからこそ 今日一日を 大切に生きよう」です。
日頃気にすることはないかもしれませんが、人間はおぎゃーと生まれた時からひたすら死に向かって歩いているんですね。
日蓮上人のお言葉にも 「夫以(それおもんみ)れば日蓮幼少の時より佛法を学び候(そうら)いひが念願すらく 人の寿命は無常也、出(いず)る気(いき)は入る気(いき)を待事(まつこと)なく 風の前の露尚(なお)譬(たとえ)にあらず、賢(かしこ)きも愚(はかな)きも老いたるも若きも定め無き習い也、されば先(まず)臨終の事を習うて後に陀(た)事を習うべし」 というのがあります。
人間の命には限りがあると思えばよりいっそう一日一日が大切に思えてくるのではないでしょうか。