火葬場から持ち帰るものといえば、当然お骨ですよね。あと埋葬・火葬許可書、遺影に位牌。
甲府(関東の方)ではすべてのお骨を持ち帰るというのがふつうですが、以前関西の方に出かけたときに火葬場からは分骨用の小さな骨壺にお骨を入れて持ち帰り残りの大部分のお骨はそのまま火葬場にある収骨施設においていくというやり方を見て驚いたことがあります。ところ変われば風習もいろいろです。
最近火葬場で時々見られるのは、収骨の際、体に入っていた金具(人工関節・ボルト等)をどうするか悩むご遺族の姿です。
収骨の際、お骨と一緒に並べられた金具類を見て初めて気が付くんですね。「ああそういえば人工関節が入っていたんだ、それにしてもこんなに頑丈で大きなものだったのか」と。
そして、ようやくこの金具類はどうするべきかと思い始めるのです。普通誰もそこまでは事前に考えていませんから。
フリーズして固まってしまう方や火葬場の係員の方にこういう場合はどうするのかと尋ねる方、持って帰りたいんだけれどそれを言い出せないでもじもじする方等々と反応は様々です。
最終的には故人の体の一部となっていたんだからもって帰るという方と、火葬場の係員から金具(主にチタン)は業者が回収に来てリサイクルされると聞いてあるいはお骨じゃないからいらないといって置いていく方の2パターンに分かれます。
昔、歯にかぶせていた金属類(特に金)などはやはり専門の業者の方が回収に来てリサイクルされるという話は聞いたことがありますが、時代が変わるといろいろなことが出てくるものです。
葬儀はリハーサルなしのぶっつけ本番、想定外のことも起こりやすいものです。
山梨県人の朝の習慣とは山梨日日新聞(ほかの新聞もあり)のおくやみ欄をチェックすることです。
知り合いが亡くなっていないか、もし亡くなっていたら葬儀もしくは通夜に行かなければならない。
そのために毎朝チェックを欠かさないのです。
しかし、このところ異変が・・・・
今年に入ってからでしょうか、特に甲府市地域のおくやみがやたらと少ない。今までは山梨のほかの地域に比べて格段に掲載量が多かったのにこのごろでは1件か2件ぐらいしか掲載されていないことも少なくありません。
このおくやみ欄は掲載料無料で市役所に死亡届を出しに行った際そこに掲載を申し込むコーナーが設置されているのです。
もちろん市役所がやっているサービスではないのですが、少し前まではたいていの人がこれを利用していました。
なぜおくやみ欄に掲載しないのか?
亡くなる方が少なくなったわけではなく、いわゆる家族葬といわれる身内だけで行われる葬儀が増えてきたからのようです。
このような葬儀は広く葬儀の告知をするわけではないので、会葬者もほとんどないものになります。
今までの葬儀のように会葬者に気を取られることがないので葬儀に集中できるという利点はありますが、生前故人と交流のあった方にとってはお別れすることもできないという大きな欠点もあります。
人は生きているときには家族とだけあるいは親族とだけ付き合っているわけではありません。
多くの人との交流の中で生きてきたはずです。中には家族以上のつながりを持つ人もいることでしょう。そういう縁のあった方々にお別れをせずに旅立つというのはいかがなものかとも思います。
もし、私が友人の死を知ったなら絶対にお別れしたいし、もしそれができないと亡くなったことが受け止められずいつまでももやもやとした気持ちを引きずってしまうような気がします。
同じ時を生きたものとして別れを告げたいし、また、去っていくものも別れを告げていくのが礼儀ではないかとも思います。
自分が亡くなった時に家族に迷惑をかけたくないという方も見受けられますが、生きていること自体いろいろな方のお世話になりながら成り立つことなのですから、最期ぐらいはきちんと挨拶をしていくべきでしょう。
喪主となる家族もその経験を通して多くのものを学び縁など受け継がれるものも多いはずです。
それをなくしてしまうことはこれからも生き続けていくものにとって大きな損失となることでしょう。
そのことに気づいていない方が多いのが残念です。
人が亡くなるということはその方から人生と知恵の詰まったリレーのバトンを受け取るようなものです。
そうして命のバトンを受け継いで次の世代に引き継いでいくことが人として生きる使命の一つなのではと思うのですが・・・
このままで行くと家族も縁もいつかバラバラになって、何十年かすると縁の切れてしまった方々は孤独死という道をたどるのではと危惧しています。