先日、岡島ローヤル会館で行われた765寄席に行ってきました。
出演は28人抜きで真打ちとなった古今亭文菊さんと二つ目の柳家わさびさん。
さぞ、大入り満員なことだろうと思って出かけたところ、観客はまばら、客席の半分も埋まっていない状態。
甲府は人口が少ないせいでしょうか。気の毒なようです。
高座は椅子席から見やすいようにかなり高い位置にしつらえてあり、分厚い特大座布団が敷いてあります。あんなに大きくて厚みがあると不安定で座りにくく足もしびれてやりにくいだろうなと思っていたところ、やはりやりにくかったようで休憩後の第二部からは座布団を変更。それでもまだ厚くて大きすぎる感じ。
私たち僧侶も敬意を表されてふかふかの分厚い座布団を出されることがたまにありますが、お気持ちはありがたいのだけれどこれが実に座りにくいし足がしびれる。
座りやすいのは適度に厚みのあるものを使いこんで厚みがつぶされた座布団。これなら体の重さで足も傷まないし、安定が良いので足もしびれない。
正座してお経を読むだけでもそうなのですから、高座の座布団の上で動きのあるしぐさをする落語家さんはなおさらでしょう。
落語家さんにはふかふかで体が沈みこむような座布団ではなく、適度に硬さがあるものをお出しした方がよろしいようです。
さて、肝心の落語会はというと、休憩をはさんで二部構成、それぞれにわさびさんと文菊さんの落語。
お二人とも端正でうまい!
ただ、会場からはほとんど笑いが起こらない。面白いしうまいのになぜなんだろう?
ここに足を運ぶ方はわざわざチケットを買ってきているのですから一度も落語を聞いたことがないというわけでもなさそうです。
私自身もここは笑うところだろうというツボはわかっているのに笑いが出ないし、笑えないので終わった後には爽快感ではなく疲労感だけが残ります。
後でよーく考えてみると、もしかしたら演者と観客の間にコミュニケーションが無かったからではないかと思えるようになりました。
というのも、この落語会は録音されていて後でYBSラジオで放送される予定なのです。
演者はしぐさをするときに「これは放送ではわからないかもしれないけれど」という言葉を少なからず使っていました。目の前の観客ではなく、目に見えないラジオの向こう側の観客を強く意識していたのではないでしょうか。
だから言葉が目の前の観客に届かない。
やはり気持ちや言葉を伝えるには双方向のコミュニケーションが必要のようです。
それを考えると、私たちも法事や葬儀などいろいろな場面で法話をすることがありますが、本当に相手に言葉が伝わっていたのだろうかとあらためて気付かされます。
時々坊主の説教なんて聞きたくもないという言葉を耳にすることがありますが、それは一方的に話を聞かされることの苦痛や不快感をあらわしているのかも知れません。あるいは聞かせる技術のなさについてか。
わが身を振り返って反省することは多そうです。
本当に落語は楽しいだけでなく勉強になります。

→ランキングに参加しています。落語にも双方向コミュニケーションが大事と押していただけると・・・