<昔、私が信行道場に入っていた時の話です。>
身延の信行道場で日蓮宗の教師になるための35日間の修行中、毎朝久遠寺の朝勤に出仕します。
身延山西谷にある信行道場から久遠寺まで隊列を組み団扇太鼓を打ちながら坂を上っていくのです。
その坂の途中に茶店があります。
道場に入った時にはなかったのですが、ある時その茶店にビールとソフトクリームという看板が掲げられるようになりました。
それを見た私たちは「ビール飲みたい」「ソフトクリーム食べたい」と俄然煩悩に目覚めてしまいました。
(信行道場では当然アルコールもたばこも禁止です。)
その日から毎朝その茶店を通るたびにこの信行道場が成満(修行終了)したら真っ先にここでビール、あるいはソフトクリームを食べるんだというのが私たちのひそかな目標となりました。
実際、信行道場から解放された後すぐにその茶店は信行道場生でいっぱいに。
みなさん待ちに待った至極の一杯、あるいは一口を堪能したことでしょう。
最近美坊主なる言葉が流行り、イケメン僧侶の本なども出ているようです。
そういう時代になったのですね。
でも確か枕草子にも声のいい僧侶はかっこいいというような記述があったような。
時代は変わってもかっこいい僧侶の人気は不動のようです。
しかしファッションセンスはというと・・・
最近の若い方は分かりませんが、概して僧侶のファッションセンスはいまいちという感じがするのですがどうでしょう。我が宗派だけかもしれませんが。
ファッションセンスが悪い理由として
①どこに行くにもユニフォームである法衣で事足りるのでいろいろな服装をする必要がなかった。
②出家しているのでかっこいい服を着たいという煩悩を捨てている。
③周りが坊さんばかりで若い女性と接する機会も少なく、ファッションセンスを磨く機会に恵まれなかった。
等々考えられますが、大きな要因として正装として用いられる袈裟と衣にあるのではないかと思われます。
ユニフォームとして普段着ている法衣はたいていが黒地の衣にくすんだ色の袈裟なのですが、正装として着用するものはド派手なものがほとんどです。
衣にしても、紫、赤、緑、青、黄色等々極彩色、袈裟も金襴などのきらびやかな生地を用いたり、またその柄も織りや刺繍などド派手、まるで舞台衣装のようでもあります。
そのくらいでないと実際のところ見栄えがしないんですね。
歌舞伎の衣装と同様に昔は薄暗い中で法要は行われていましたからそのせいで強い色づかいになったのかもしれません。
それに道場を荘厳するという意味でもきらびやかなものが求められていたのかもしれません。
昔、私も僧侶になりたての頃、袈裟を新調したことがありますが、かなり派手なものを選んだつもりが着てみると全く地味で見栄えがしないということがありました。
生地を見たときにこんな派手なものは着られないというくらいでちょうどいいという教訓を得ました。
おそらく、多くの僧侶の方もそう思われているのではないでしょうか。
そして、衣も赤や紫が位の高い色とされているのでそういった色へのあこがれも持たれていることでしょう。
だから、その感覚を引きずって私服の色使いがおかしくなるんですね。
普通のサラリーマンだったら絶対に選ばない薄紫や緑のスーツとか、ちぐはぐな色使いのコーディネートとか。
もちろんすべての僧侶がそうというわけではなく、おしゃれな方もいますけれど。
とにかく法衣姿と私服の落差がものすごい。
法衣姿はものすごく素敵なのに私服のセンスはいまいちで残念!ということもしばしば。
しかし物は考えようやっぱり法衣姿がかっこいいのが一番、そう思っていただけるとみなさん励みになると思うのですが・・・
当寺の名前は清運寺だがよく名前を間違えられる。せいうんという音で間違えられるのはお線香の青雲(せいうん)。よくあるのは清蓮寺、一見間違っていないようだが、運が蓮と書き間違えられている。最近では青蓮寺というのもあった。
思いこみで間違えて表記されることも多いのだけれど、なぜか郵便はちゃんと届く。郵便局の配達の人はすごい、多少の間違えでも推測してちゃんと届けてくれるのだから。
しかし困るのはその間違った表記を頼りにお寺を探す人だ。時々そうして間違った表記に翻弄されながらようやくお寺にたどりつく人がいる。その場合も大抵尋ねられた人が表記ではなく、別のキーワード、たとえば千葉さな子さんのお墓があるお寺ということで推測して教えてくれるのだそうだ。
確かにお寺の名前としては清運寺より、青蓮寺、青雲寺の方がそれらしく見えるのかも知れない。清運寺の運という字ははこぶとも読むが、めぐらすという意味もある。
青い蓮ではなく、清くめぐらすおてらと覚えていただくと分かりやすいのかもしれない。
先日、A寺さんの前住職の葬儀が行われました。
お寺の葬儀は亡くなられた直後に近親者だけで密葬(荼毘式)が行われその後あらためて本葬儀が行われます。
今回ももちろん本葬儀です。
冬の葬儀で大変なのは受付業務、大抵は外で行われるので天気によっては寒さに震えながらということもあります。
今回の葬儀は天気もよく、温かだったので助かりました。
たまにあることですが、葬儀の日に大雪だったり豪雨や台風など天候の悪い時にあたることがあります。手伝う人も当家も参列者も大変です。しかし、そういう葬儀は「あのときは大変だったよな」と後々まで語り継がれる記憶に残る葬儀になることがあります。
そういえば、お寺の住人(住職や寺族)が亡くなると、寺の入り口に「山門不幸」という立て看板が立てられるのですが、今回はどうだったかな?