<差し上げるために用意した植物の数々>
最近、自分のブログを見て、ほとんど園芸や植物のことなどや出かけた話ばかり書いていて、読む方にとっては、お寺ってガーデニングをしたり、家庭菜園をしたり優雅に暮らしているんだなと思われているのではないかと少し反省しています。
でも、実際にやっている仕事や活動というのは相手のあることが多いので、プライバシーの問題もあったりして書くことができないことのほうが多いんですね。
そして、ほとんどがそういう仕事なんです。
今日もある病院に病室から見える庭に植物を植えるお手伝いをしてきました。
その病院では、はじめはちゃんと植栽をしてパイプで給水するシステムで運営していたらしいのですが、その後手入れをしないために荒れ果てた状態になっていました。
そこをボランティアの方々ががちがちになっていた土をほぐし(ほぐしてもすでにほとんど植物が養分を吸収してしまって土自体がなくなっているような状態になっていましたが)枯れた草を取り除いて、新たに植物を植えるということになったのです。
そんな状態なので土や肥料を入れないと、植物を植えたところで根づかせるのはかなり難しいように思うのですが、それでも、皆さん一生懸命に作業されていました。
察するところ、その植え替え作業に対して何らかの予算がついている様子もありませんでしたので、人手も植える植物もすべてボランティアの方々が持ち寄って行っているようでした。
ということは当然土や肥料を買うお金もないということなのでしょう。
私も、昨日さしあげる植物、特に手間がかからず丈夫で育ちやすく、花も咲くというものを半日かけて境内から掘り上げたり、鉢ごと差し上げるものやポリポットに小分けしたものを発砲スチロールの箱に何箱も用意し、今日はそれを病院に運んで植え付けのお手伝いもしてきたわけです。
たとえば、このようなボランティア活動をして、その活動の内容を書くといっても、どこの病院か特定できたり、詳しいボランティア活動を紹介するとクレームがつく恐れがあったりするので、これがぎりぎりの線なんですね。
他のボランティア活動でも同じようですけれど、特に公の機関に関係するところのポランティア活動に関しては非常に神経を使います。
また、日々行う法務や事務作業のほかに、檀信徒の方々などお寺と関係があったり、面識がある方だけでなく、まれに突然見ず知らずの方から御連絡があったり、訪問されたりして、お話を聞いたり御相談を受けたり調べものを頼まれたりすることなんかもあるんです。
そういうことは非常に手間と時間がかかることなんですが、個人のプライバシーにふれてしまうことになるので、これもご紹介できないんですね。
となると、どうしても無難なこと、さし障りの起こりにくいことを書くということになってしまうのです。
もっと法話を書けっていう声も聞こえてきそうですが、これも、慎重に言葉を選ばないとならないんで、時間の取れるときに書こうと思ってなかなか筆が進まないんです。(かなり言いわけ入ってます。)
それから、毎月何かしら、いくつもの宗門関係の仕事に駆り出されることもありますし、なかなか自分でスケジュールを立てて仕事をしようとしても、イレギュラーなことがたくさんありすぎて、自分で自分の予定が立てられないなんてこともよくあるのです。
お寺というと、静かに座禅でも組んで、ゆったりした時間が流れているようなイメージがありますが、実際は水上で優雅な姿で泳いでいる白鳥が見えない水面下では必死に足をばたつかせている、そんな姿に似ているのかも知れません。
あるいはとりあえず行けばあいているし、たいていのものは揃う24時間営業のコンビニエンスストアといった感じでしょうか。
昔、老僧の言われた言葉で、「坊さんはどんなに忙しくても、忙しそうに見せてはいけない。そんな姿をみせたら、相手が気兼ねして声をかけづらくなってしまう。だからどんな時でも、相手を受け入れられるように、悠然としていなければならない」というのを聞いたことがありますが、なかなか難しいことです。
それに、悠然としているつもりでも、働いてないみたいに思われたらいやだなんていう邪念もあったりして・・・まだまだ未熟者です。
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