清運寺だより

ようこそいらっしゃいました。甲府市にある日蓮宗寺院の住職のブログです。日々の出来事、感想、行事などをご紹介します。

ローエングリン、行ったつもりのバイロイト

2012-06-13 21:23:08 | クラシック

先日、新国立劇場でオペラ「ローエングリン」を観てきました。

指揮者は昨年バイロイト音楽祭で「トリスタンとイゾルデ」を指揮したペーターシュナイダー、タイトルロールのローエングリン役はやはりバイロイト音楽祭でローエングリンを演じたクラウス・フロリアン・フォークト。

バイロイト音楽祭は毎年夏に開催されお盆で忙しい時期ともろかぶりですから引退しない限りは絶対に行かれません。(もっとチケットを取るのは至難の業なので忙しい時期でなくても無理でしょうが)

ともかく、今回はこのバイロイト組を目当ての観劇です。

指揮のシュナイダーに導かれてオーケストラも実力以上の力を発揮していましたし、合唱も以前観に来た時より格段に良くなっている気がします。

演出も解釈はともかくすっきりした舞台作りで好感が持てます。

なにより素晴らしかったのはフォークト。ローエングリンや「アイーダ」のラダメスについては舞台に登場して第1声を発声した時になんかイメージと違うよなと思うことが多いのですが、このフォークトはまさにローエングリンそのもの。重すぎず、軽すぎず、適度に甘く清潔な声とヴィジュアルは私のイメージするローエングリンとぴったり合致します。

往年の大スターはともかく、これからはローエングリンの声というと真っ先にフォークトを思い浮かべるでしょうし、基準となることでしょう。

バイロイトに行ったつもりで満喫させていただきました。

たしか来シーズンは新国立劇場が開場してから15周年ということですが、最初はN響を除く他のオーケストラはオペラ慣れしていなくてぎこちない堅い演奏をしていたように思いますが最近は随分こなれてきたようです。合唱も聞くたびに良くなっているように感じます。

今回の「ローエングリン」は海外の歌劇場とも十分に対抗できるような出来だったような気がします。このレベルを維持してくれれば後10年ぐらいしたら結構世界でも通用するようになるのではと思えてなりません。

わざわざ海外の歌劇場の引っ越し公演を高いチケット代を払って観なくても十分質の高いオペラが観られるそんな夢のような時代がすぐそこまで来ているような予感を感じさせてくれました。

ぜひとも私が生きているうちにそうなってほしいものです。

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ゴーヤーの森にファフナーがいた

2011-08-03 13:37:22 | クラシック

そこにはおそろしい大蛇が住むというふしぎな森が・・・

木々が生い茂るその中に、財宝を抱えた大蛇(ファフナー)が

いた!

ただのゴーヤーの実ですが、とぐろを巻いた形がワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」の3作目「ジークフリート」に出てくる大蛇(ファフナー)をほうふつとさせます。

8月と言えばバイロイト音楽祭が行われる季節。一生のうち一度は行ってみたい音楽祭です。(8月はお盆の時期なので隠居でもしない限り絶対無理なのですが)

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なじみの店で飲むマンザニーア

2011-03-07 12:04:49 | クラシック

先日NHkのハイビジョンで放映されたメトロポリタン歌劇場のオペラ カルメンを観た。

そこでちょっと気になったことが。

それはカルメンの歌う有名な歌の歌詞の訳(字幕)についてだ。

通常その歌詞は「セビリア城(砦)近くのなじみの酒場リーリァス パスティーア(リシャスパスティアス)でマンザニーアを飲むのよ」というような訳になるのだか、今回の字幕ではマンザニーアをシェリー酒と訳していた。

たしかにマンザニーアはシェリー酒の一種銘柄名で、何を飲んでいるかわかりやすいという利点はあるが、シェリー酒という一般名称にしてしまうとイメージが変わってきてしまう気がする。

日本人の抱くシェリー酒のイメージはちょっとおしゃれなお酒というものだろう。それに対して、この場面は地元の安酒場で地酒を飲むという情景を歌っているものだ。

だから、わざわざシェリー酒とわかりやすく訳すよりもどういう酒かわからないけれども、歌詞そのままのマンザニーアという酒を飲むんだなというところにとどめておいた方が情景が伝わるような気がする。

最近の字幕は原語に忠実にというよりもより分かりやすくということに重点を置いているからなのだろうか。

わかりやすさはいいけれども伝えるべき本質が伝わらないような感じがしてどうも気になる。

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第16回ショパン国際ピアノコンクール入賞者ガラコンサート

2011-01-25 11:21:46 | クラシック

先日、今年のショパンコンクール入賞者によるガラコンサートに行ってきました。

出演者は一位になったユリアンナ・アヴデーエワを始め2位3位入賞の面々です。

これから一層活躍するであろう若手が一堂に会するコンサートです。

まず、一部は3位入賞のダニール・トリフォノフによる3つのマズルカ第一番ロ長調・第二番ハ長調、マズルカ風ロンドへ長調、タランテラ変イ長調と一位のユリアンナ・アヴデーエワによるピアノソナタ第二番変ロ短調「葬送」です。

トリフォノフは可憐で柔らかいタッチのロシアンリリシズム、対するアヴデーエワは男前でいながら女性的な柔らかさも兼ね備えた、いで立ちそのものの男装の麗人的な感じです。

第二部は五位のフランソワ・デュモンのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ロ長調、二位のルーカス・ゲニューシャスによるピアノ協奏曲第一番。

デュモンはルイサダを思い起こさせるようなフランス風なタッチ、アンコールで弾いたドビッシーの月の光などは絶品、ぜひ今度はフランス物の演奏を聞いてみたい。

ゲニューシャスは情感たっぷり、特に第二楽章は思わずこちらも歌いたくなるような歌心あふれるショパン。

第三部はインゴルフ・ヴンダーのピアノ協奏曲第一番。完成度が高く安定感のある演奏。プログラムによるとこの人は前回のセミファイナリストだそうです。それで手だれた感じがするんでしょうか。アンコール曲もマズルカを引き始めたかと思ったらそこからアレンジして君が代に代わって拍手喝さい、拍手が鳴り止まず再度のアンコールはモーツアルトのトルコ行進曲、これもAヴォロドス編曲バージョンのかなりぶっ飛んだ演奏、なんだか最終的にはこのヴンダーの独演会になってしまったかのよう。

同じショパンの曲ながらそれぞれ全く違う個性的な演奏でした。

アブデーエワにはそれほど感じなかったけれど、 トリフォノフ、ゲニューシャスはロシアンピアンピアニズム、デュモンは洒脱なフランスピアニズムを強く感じました。

アンコール曲の選曲も様々、トリフォノフはリスト/パガニーニのカンパネッラ(鐘)、フジコヘミングの鐘が古い教会の年季の入った鐘とするならば、トリフォノフの鐘は少女が手に持って鳴らす小さな可憐な鈴といったところでしょうか。

アヴデーエワはバッハパルティータ第一番ロ長調よりジーグ、デュモンはドビッシーの月の光、ゲニューシャスはベートーベンピアノ協奏曲第一番カデンツァ(グールド版)、ヴンダーはショパンのマズルカとモーツアルトのトルコ行進曲。

なぜか客席からの花束等プレゼントの数が一番多かったのは一番最初に弾いたトリフォノフでした。

ただ、ピアノ協奏曲第一番を続けて二回弾くのはどうかと思いますね。演奏者が違うといっても結構聴くのはしんどい、演奏会というよりもコンクールを見ている感じ、もしかしてコンクールの雰囲気を出すためにわざとこの構成にしたのかな?審査員の苦労が少しだけわかったような・・・

彼らの今後の活躍を期待し、今度はそれぞれのコンサートにも足を運ぶことにしましょう。

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大野和士のトリスタンとイゾルデ

2011-01-09 11:01:23 | クラシック

新国立劇場のオペラ「トリスタンとイゾルデ」を観に行ってきました。

万が一のことを考えて早めに家を出たのですが、JR中央線三鷹駅で列車内に不審物発見で私の乗った特急あずさ号は相模湖駅で緊急停車。30分以上待ったあげく復旧にかなり時間がかかるとのことで高尾駅から京王線での振り替え輸送のアナウンスが。

仕方なく、京王線に乗り換えてなんとか到着、もう少しで間にあわないところでした。

さて、このトリスタンとイゾルデは大野和士指揮、主要キャストはワーグナー歌いとして一流の歌手陣とあってチケットはソールドアウト。

オーケストラと演出以外は十分期待できる公演です。

私の座席はいつもの通りの天井桟敷、オーケストラピットも真上から見える場所です。

登場した大野和士の後頭部を見ると、薄くなっている!年をとったんですねぇ。

リッカルドムーティーが老眼鏡をかけているのを見たときもショックでしたが、これも結構ショックです。

第一幕の前奏曲、出だしの音がちょっと大きめ、ボリュームの調整が今一つな感じ。

指揮者の描く音にオーケストラがついて行けていないようです。

トリイゾの音の微妙な揺れの表現ももう少しといったところか。

この後、オーケストラもだんだん調子を上げてきましたが、ところどころで荒もめだちます。

大野和士の音作りは感情のうねりに任せていく感覚的なものではなく、ち密に練り上げて積み重ねていく表現のようで、前に出すぎず常に歌に寄り添うスタイルでした。

いつも大野和士の曲作りは独特なものがあるので生でそれを感じることができて満足です。

歌手陣も素晴らしい、トリスタンのステファングールド、イゾルデのイレーネテオリンはもちろんのこと、ブランゲーネのエレナツィトコーワがあまりに可愛いのが印象的。こんな可愛いブランゲーネがあっていのか?

合唱も良かった、この新国立劇場の合唱団は聞くたびによくなっている気がします。

舞台美術も良かったけれど演出には???

ところこどころに船の乗組員やマルケ王の家来として台詞の無い数人のキャストがでてくるのですが、まるでアイーダの舞台から間違ってやってきてしまったような上半身裸のスタイル、その人たちが舞台に張られた海を表現した水溜まりをばしゃばしゃ歩くのがめざわりなだけ。(北の海で上半身裸は寒いだろう)

舞台に水を張る演出といえば、唐十郎の紅テントを思い出しますが、唐十郎のエンディングなら舞台の奥がパカッと開いてヒロインが去っていくというスタイルになるのですが、この演出家ディビットマクヴィカーはどうするのか。

やっぱり、イゾルデが舞台の奥に去っていくパターンでした。(笑)

登場人物の描き方もいまいちで動きに説得力がなく、人間関係も希薄な感じ。

新制作とのことですが、もっと掘り下げてほしかったな。

第一幕、第二幕、第三幕ともに、歌手陣はすばらしいのに、オーケストラが負けてしまっているのが残念。せめて、イングリッシュホルンがもう少し歌ってくれればもっとトリイゾらしくなるのに。

しかし、このキャスト、この指揮者を日本でこの価格で観ることができるのですから、文句は言えませんね。出来ればもう少し上演回数を増やしてほしいですが。

もっとたくさんオペラを上演してオーケストラのレベルを上げる、改善策はこれに尽きるかも知れません。

そして、最後のエンディング、年末に観た方のブログなどではフライング拍手で台無しになったという書き込みが多く見られましたが、この日の観客はちょっと早めの人もいましたが、おおむね大丈夫でした。皆、フライングしないように拍手のタイミングを見計らっている気配がひしひしと感じられました。

カーテンコールのブラボーは主役の二人に対してのものよりも、はるかに大野和士に対するものが多かったですね。主役よりも指揮者に対するブラボーの方が多いというのは珍しい。

ともかく良いものを観させてもらいました。ぜひ早い時期での再演を希望します。

それから、しばらくぶりに新国立劇場に行きましたが、場内ロビーの様子がちょっと変わっていたのにびっくり。グッズショップやスイーツの提供もあったりずいぶん商売っ気が出てきた感じです。これはこれで便利だし休憩時間をすごすバリエーションが増えるので歓迎です。運営方針が変わったんでしょうか。

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愛之助と外郎売

2010-12-01 16:52:47 | クラシック

市川海老蔵降板による代役として外郎売を演じた愛之助さん。

観たかったですね。

市川宗家のお家芸である外郎売、海老蔵さんの出演を望まれた方も多かったことと思いますが、市川家以外の人が外郎売を演じるのは珍しいこと、そういう意味ではとてもレアな公演になったことと思います。

歴史に残る公演を生で見られた人はラッキーですね。

外郎売に関しては現団十郎さんと現海老蔵さんが新之助時代に演じるのを見たことがあります。

現団十郎さんは滑舌が悪くもごもごして聞きとれない感じで、海老蔵さんの方はまだ若くて芸がこなれていないようでしたが滑舌が良いので団十郎さんよりはまだ聞きやすかったという印象があります。

一般的に市川家のお家芸である歌舞伎十八番は市川家の人間しか演じられないと思われているようですが、今回の代役で市川家の人間でなくても誰でも支障なく演じられるんだということが露呈してしまいました。

公演目前での代役、それをものともせずにやり遂げた愛之助さんの外郎売と市川宗家の外郎売、どちらが優れているのか見比べられないのが残念です。

代役を務めた片岡愛之助さんは元々は梨園の御曹司ではなく、一般の家庭から片岡一門の弟子となり、その後片岡秀太郎さんの養子となって片岡家の一員になった方です。

そのため、梨園の御曹司なら3,4歳からはじめさせられる様々な稽古も途中からはじめることになったハンデを乗り越えた苦労人です。

このような方が生まれたときから宗家のトップと決まっている人に代わって舞台に立つというのは歌舞伎よりも歌舞伎的な痛快さがあります。

今まで宗家の座に安穏としていた市川家、芸の上では代々の団十郎とだけ比較をされていましたが、これからはそうはいかなくなるでしょう。

今回の降板では海老蔵さんの素行の悪さとか、宗家としての品格が問われることになりますが、演目を変更せずに(公演がまじか過ぎて演目の変更ができなかったのかもしれませんが)代役を立てたことによって市川宗家の存在価値自体が問われる結果となってしまった気がします。

梨園でなければ良い役に就けないという今の制度自体が変わっていくきっかけになるかもしれません。

梨園の御曹司だから芝居がうまいとは限りませんから、観客としては本当に良い芝居をする人を観たいものです。

芸とは本来そういうものでしょう。

それから、片岡愛之助さん、現在の芸風は片岡仁左衛門さんをリスペクトしているらしく相当仁左衛門さんに似ています。

仁左衛門ファンとしてはその芸風の跡継ぎとして期待しますが、ビジュアルも背丈も仁左衛門さんとは違いますから愛之助さんならではの芸風も開拓してほしいものです。

 

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山梨県民第九演奏会

2010-11-29 19:35:18 | クラシック

<指揮者の松井慶太氏>

昨日、山梨県民文化ホールにて毎年恒例の第九(ベートーベンの交響曲第九)演奏会が行われました。(今年も合唱で参加してきました。)

昨年より合唱参加者は30人ほど少なかったそうです。

そのためか客席も昨年より空席が目立つ感じでした。

管弦楽の方は分かりませんが、合唱参加者にはチケット5枚負担のノルマがあります。

とすると、30人×5枚=150枚のチケットが裁けないことになりますから空席が目立つのも無理ないかもしれません。

運営側にとっては収入減で大変だったことでしょうが、出演する方としてはメリットもあります。

そのひとつは人数が少ない分お互いの声が良く聞こえて確認しやすいことと、本番の舞台上でのスペースに余裕があるということです。

毎年、合唱陣は第九の第二楽章が終わった後に舞台上にあがり第三楽章と第四楽章の途中まではせまいひな壇の上に座っていなければなりません。

舞台の幅は決まっているので人数が多いとぎゅう詰めで座ることになり端に座る人などは半分お尻がはみ出してしまうこともあります。

今年は比較的ゆったり座れて快適でした。

今年の指揮者は松井慶太さん、プログラムには載っていませんでしたが、「のだめカンタービレ」の指揮指導をされた方です。

背が高くで痩身の28歳、そんなところがのだめカンタービレの千秋真一役の玉木宏さんと重なるところがあって起用されたのかもしれませんね。

きっぱりした明快な指揮でとてもわかりやすかったです。

やはりのだめカンタービレの指揮に似ている感じがするという声も聞こえてきました。

それはそうでしょう松井さんの指揮を手本に玉木宏さんは千秋真一を演じているのですから。

第四楽章では松井さんも楽しそうに指揮していたので歌っている方も楽しかったという感想もあったようです。

肝心の演奏はどうか、結構良かったように思うんですがね。

どうでしょう。 

ちなみに来年の開催は12月11日(日)に決定されているそうです。

もうすでに公演の準備がはじまっているということでしょうか。

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トリノ王立歌劇場「椿姫」「ラ ボエーム」

2010-07-31 13:56:30 | クラシック

葬儀やら何やらで忙しい中、トリノ王立歌劇場公演「椿姫」「ラ ボエーム」を観に行ってきました。

 だって、チケット購入は半年前。

その時点では予想がつかないですから。

ナタリーデセイ初の椿姫と聞けば見逃せないですよね。

さぞかし大入り満員かと思いきや、空席も目立ちます。

今回の公演はチケット代も比較的安いのに、以外です。

目玉はヴィオレッタ役のナタリーデセイだけですから、そのせいもあるかもしれませんね。

休憩中近くの席で「指揮者のジャナンドレア ノセダが目当てで来ている人はほぼいないだろうな、実際演奏は良くも悪くもないし」という声が聞こえてきましたが、多くの方が同じ感想なのでは。

 やはり今回の「椿姫」はナタリーデセイ オンステージといった感じなのでしょう。

第一幕の登場、奇声を上げながら舞台に走りこんでくるなんて、いかにもナタリーデセイらしい、というより彼女しかにあわないですからね。

第一幕はヴィオレッタとしては若干線が細いような感じもしましたが、二幕、三幕と進むうちにリアルな人間身あふれる新しいヴィオレッタ像を表現していました。

細身の体で舞台上を走りまわるナタリーデセイ、ピアニッシモでも良く響く声が出せるのはアスリートのように体を鍛えているその筋肉から出ているのかも。

 双眼鏡で見ると背中の筋肉の盛り上がりがすごい、きっと腹筋も割れているんだろうな。

あの筋肉は歌手というより、ダンサーとかスポーツ選手のようです。

 一幕の演出では冒頭、ヴィオレッタの葬儀と思われる棺を運ぶ一団を陰から見つめるアルフレッドの姿が。

よりリアリティーを持たせる演出の一環なのでしょう。

 そのアルフレッド役のマシューポレンザーニは甘い声なんだけれども、いまいちドラマチック性に欠ける感じ。

むしろアルフレッドの父親、ジョルジョジェルモン役のローラン ナウリの方が良かった。

ローラン ナウリとナタリーデセイは夫婦ですから息があうのも当たり前か。

でも、このローラン ナウリ、初めて聞いたけれど声量もたっぷりで声質も良い、これからは要チェックです。

今回の椿姫は一幕と二幕第一場(パリ校外のヴォレッタの家)までを通して、休憩の後、第二幕第二場(パリのフローラのサロン)から三幕までの通しです。

二幕第二場が終わった後、舞台上の男性たちが大道具に白い布をかけ、女性たちがヴィオレッタを取り囲み、メイクさんも加わっての生着替え。

着替え終わった後ヴォレッタを白い布をかけて作られたベットの上に横たえます。

 そして、ラストは普通アルフレッドの腕の中でヴィオレッタが息絶えるという形が多いのですが、今回は急にアルフレッドや他の登場人物がいなくなり、ヴィオレッタが孤独死するという形。

確かにリアルではあるけれど、あまりに救いがなさ過ぎてちょっと違和感を感じます。

 ただ、休憩回数が少ないと終演時間が早くなるので大歓迎です。

特にラテン系のオケの場合、たいてい時間が延びて予定通りに終わることが少ないですから。

 さて、次は数日おいての「ラボエーム」これはミミ役のバルバラ フリットリ、ロドルフォ役のマルセロ アルバレスは安心して見ていられるけれど、ムゼッタ役の森麻季はどうなのか、その辺が注目です。

森麻季は見た目も声の美しさも発音もきれいなのだけど、やはり、フリットリやデセイと比べると声量とインパクトが足りない。

そこら辺が一枚看板になれない理由か。

こちらの演出もミミはヴィオレッタ予備軍という解釈。

指揮者のノセダもミミは当然のこと、ミミの最後を看取るほとんどの人たちに明日はない、改善しようのない性格がやがてプッチーニがラボエームの22年後に書いた三部作の登場人物と重なると言っている。

とすると、ラボエームは救い難い人々の悲惨な物語となってしまわないか?

私としては、ラボエームはとある青春の一シーン、いずれミミ以外の登場人物も大人になって平凡な人生を送るんだろうなと考えたい。

そうすることで、時代を超えて愛される作品であり続けられるのではないかと思う。

現代オペラの中には問題提起をする社会派の作品もあるが、多くの人に受け入れられているとはいいがたい。

やはり、オペラは人を楽しませるもの、娯楽なのだから、夢だけは壊さないでほしい。

数あるアリア(冷たい手をや私の名前はミミなど)の美しさは本物なのだから。

それから、今回の「ラボエーム」、エキストラを公募してました。エキストラの出演はやはりカフェモミュスのシーン。ギャルソンやギャルソンヌ、カフェの客、兵隊など結構演技力のいる役どころでした。

こういう演出もご当地っぽくて面白いかも。

あと、オーケストラがピットいっぱいで、しかもその奥に合唱の人たちがぎゅうづめになっていて大変そうでしたね。

なんかいつもよりオーケストラピットが狭い感じがするので、客席を増やすためにピットを狭くしていたのかどうかわかりませんが。

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ユンディリピアノソロコンサート

2010-04-28 11:32:32 | クラシック

昨夜、韮崎エレクトロンホールで行われたユンディリのコンサートに行ってきました。

ショパンコンクールイヤーにふさわしくオールショパンプログラムでの演奏です。

4月6日から始まった日本各地を回るコンサートツアーの最終日でした。

このツアーではサントリーホールでの2回のコンサートも含まれていました。

わざわざ東京まで行くことなく、ユンディリが近所まで来てくれるのですから、こんなラッキーなことはありません。

さぞかし、たくさんの方が観に来ているだろうと想像していたところ、1000席あるホールには空席も目立ちます。

前の方のS席は大体埋まっているのですが、安い席はガラガラでした。

ショパンコンクールの覇者といえども田舎では1000席を埋めるのは難しいのかもしれません。

これが同じ中国人で北京オリンピックの開会式で演奏したランランや、前回のショパンコンクールの覇者ラファウ・ブレハッチだったらどうなんだろう。

ポリーニだったらどうなのか。ポリーニの場合はチケット代がもっと高くなるから人気はあっても難しいし、絶対来ないでしょうけれどね。

今、地方の客席を満席にできるピアニストはフジコヘミングと辻井伸行ぐらいかもしれません。

 演奏はと言うとさすがに最初の1音から圧倒されます。

CDで聞くとちょっと線の細い感じがしていたのですが、そんなことはなく端正な演奏でした。

まだ、20代のはずですが、ずいぶん貫禄が出てきていましたね。

ランランの音が虹色に輝く真珠の粒なら、ユンディリは透明で硬質でいながら柔らかさを感じる水晶の粒という感じでしょうか。

ユンディリの演奏は、もっとデコラティブな演奏をする同じショパンコンクールの覇者だったブーニンや入賞者だった及川浩冶とは対照的です。

思い入れたっぷりでオーバーアクション、ピアノの音という枠からはみだしてオーケストラの音を感じさせるランランに対し、ユンディリはピアノという小宇宙の創造者といった趣です。

今まで全く共通点がないと思っていたこの2人の演奏に、大陸的なおおらかさという共通点があったのは意外でした。

こんなところにお国柄というのが滲みでたりするんでしょうか。

 演奏曲目はノクターンの1,2,5,8,13番とアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調、マズルカ第22番から25番、ピアノソナタ第2番「葬送」、英雄ポロネーズでした。

 アンコールは演奏曲目でもあったノクターン「別れの曲」、せっかくのアンコールなんだから演奏した曲ではなく別の曲、たとえばワルツなんかを演奏してもらいたかったですね。

それがちょっと残念でした。

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山梨県民第九演奏会

2009-12-13 18:57:27 | クラシック

今日は山梨県民第九演奏会です。

本当は今年も合唱団の一員として出演するはずだったのですが、体調が思わしくなく、本番前日のリハーサル、本番当日朝からの練習、ゲネプロ等ハードスケジュールをこなした後に、具合が悪くなって仕事に差し支えてもいけないので、残念ながら今回の演奏会には不参加とし、演奏を聞きに行くだけにしました。

 今年の演目はワーグナー楽劇「トリスタンとイゾルデ」より”前奏曲と愛の死”、ベートーベン交響曲第9番合唱付き。

指揮者はヨーロッパで活躍中の若手指揮者(確か33歳だったかな)でバレンシア州立歌劇場管弦楽団のコントラバス奏者でもある中田延亮さん、ゲストコンサートマスターはN響の山口裕之さん、ソリストは昨年と同様のメンバーでソプラノの日比野幸さん、メゾソプラノの田村由希絵さん、テノールの大槻孝志さん、バリトンの河野克典さんです。

 第一部は「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死。

冒頭の弱音がもっと強調されていれば、メリハリがきいてよかったのにとも思いましたが、大好きな曲を久々に聞けて満足しました。

それと愛の死の最後はだんだん音が小さくなって音が消えた後もその余韻を大切にするために、よくオペラなどでは開演前に音が消えるまで拍手はしないようにとアナウンスされることもあるのですが、今回はそのようなアナウンスもないのに、誰一人としてフライング拍手をする人がいなくてびっくりしました。

よくわかっている観客ばかりだったのか、それとも音が消えても姿勢を崩さなかった指揮者の力なのか。

第二部はいよいよ第九。

オーケストラと合唱団の合同練習の時も感じたのですが、今回の演奏は重厚でもなく、流麗でもなく、颯爽としてさわやかな演奏だったように思います。

最近聞いたパーボヤルヴィの第九も颯爽としていて何か共通したものを感じます。

これが今流行りの演奏スタイルなのでしょうか。

 毎年合唱に参加して、はたして会場の後ろまでちゃんと声が届いているのかとか、客席から見るととどんなふうに聞こえるのか、チケット1500円を払って聞く価値があるのかと気になっていたのですが、図らずも今回それを確認することができました。

いつも注意されていた発音、特に子音の発音をはっきりと、と言われていましたが、客席からはかなりはっきり聞き取れました。

また、オーケストラとの合同練習のときにオーケストラの音にかき消されて合唱の声がほとんどきこえなかったので、これでは客席まで届かないのではと心配しましたがそんなこともなくちゃんと聞こえていました。

自分が歌っている時は欠点ばかりが気になりましたが、客席で聞くとそれほど気にならないのも新しい発見でした。

思っていたよりもずっと良かったように思います。

これならチケット代を払う価値があるんじゃないでしょうか。

技術的には細かいところでいろいろ修正すべき点があるのはしかたがないこととして、今回気がついたのはオーケストラと合唱のアンサンブルと音楽としてどう表現するかということです。

アンサンブルについてはオーケストラと合唱がそれぞれちょっとばらばらな感じがしました。

オーケストラと合唱の合同練習が少ないせいでしょうか。

お互いの音を聞きあうという感覚を持った方がよさそうです。

また、最後のコーダの部分でオーケストラが盛り上がっているのに合唱団が割と冷静に淡々と歌っていて歓喜が感じられません。

技術的なことに気を取られてばかりいないで、もっと歌詞の意味を考えて喜びを表現できるように歌うことが大切だと感じました。

自分で歌っている時には気が付きませんが、客観的に聞いてみてよくわかりました。

今回の反省を踏まえて来年は新たな気持ちで合唱に望めそうです。

それから、ちょっとしたハプニングも。

第九の第四楽章、いわゆる歓喜の歌として有名なフロイデで始まる部分で、私は合唱の方に気を取られていて瞬間を見逃したのですが、バタンという物音で舞台の中央を見ると、指揮者の正面の弦楽器奏者(たぶんビオラ)が何かを拾い上げていました。

弓でも落としたのかなと思って見ると指揮棒でした。

その弦楽器奏者は指揮棒を指揮台に置いて演奏を再開。

指揮者もほどなくその指揮棒を持って何もなかったように指揮を続けます。

指揮棒がすっぽ抜けたのか、指揮台にぶつけたのかはわかりませんが歓きわまってのことでしょう。

一番歓喜していたのは指揮者だったのかもしれません。

指揮者が指揮棒を飛ばすのを見たのは初めてです。

そういえば、数年前、東京でN響の定期公演中に結構大きな地震が起こり、それに驚いた指揮者のアシュケナージが指揮棒を手に突き刺してしまい、そのあとの楽章だったか、楽曲だったかを指揮者なしで演奏したという事件がありました。

ちょうど同じ時刻に甲府でロリンマゼール率いるトスカニーニフィルの公演があり、私も会場にいましたが、こちらでも結構地震の揺れがありました。

しかし、ロリンマゼールは全く動じず、奏者の面々もイタリア系の人が多かったせいか地震に驚くこともなく演奏が続けられました。

(この時の演目はベートーベンの交響曲第3番「英雄」でした。)

特にちょうど演奏していなかったコントラバスの奏者たちはおもしろがって周りを見回していたくらいです。

いろいろなハプニング、これも生演奏ならではのお楽しみかもしれません。

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