今年、3回目のエンゼルトランペットの開花です。
見事に満開になりました。
エンゼルトラッペットは南国の花のイメージがありますが、春から秋にかけて年3回ほど花の見ごろを迎えます。
昼間は何ともないのですが、夜になると、何とも言えない濃厚な香りがあたりに漂います。
この花が咲き終わると、短く枝を選定し、屋内に鉢を移動します。
その時、鉢の植え替えも一緒に行います。
成長が早いので、一年で鉢の中は根でいっぱいになってしまうのです。
植え替えは、春に行ってもよいのですが、秋に植え替えをして、屋内に置いておくと冬の間に結構葉も茂ってきて、成長が早いので早く花を咲かせることができるのです。
甲府あたりですと、霜の当らないところでは露地栽培もできるのですが、やはり、春先からの成長となるので、花の開花が遅くなってしまいます。
知り合いの方から、掘りたての八幡芋をいただきました。
この八幡芋は里芋の一種で、甲斐市八幡地区(以前は竜王町八幡地区)の特産品です。
普通の里芋に比べて、粘り気も強く、味が濃いのが特長です。
味噌汁に入れても、煮物にしてもおいしいです。
<掘り上げたばかりですから、まだ沢山土がついています。この八幡芋は砂地で作られているようで、土も砂質です。>
<真ん中のおへそのように見えるのが親芋で、その周りに子芋がたくさんついています。親芋はなかなか流通しないので、貴重品です。味も親芋の方がおいしいように思います。親芋は種芋として、畑に植え付けられますから、あまり流通しないのでしょう。本当はこの親芋をとっておいて、来年植えつければ、また、八幡芋ができるのですが、うちの畑はどちらかというと粘土質なので、いい作柄が期待できないので、食べてしまいます。>
当寺の番犬「ぼたん」はとても神経質で足や、口に触ることはほとんどできません。
昨年、どうも犬の様子がおかしいので、よく体を見てみると、前足の地面に接していないちょっと上にある爪が羊の角のようにぐるぐるに伸びてしまっていました。
10年間、生まれてから一度も切ったことがないので、そこまでのびてしまったのでしょう。
でも、足に触ることができないので、獣医さんにお願いすることにしました。
しかし、獣医さんをとても嫌っているので、鎮静剤を注射して、それが効いてくるまで一時間ほど散歩をして、ぐったりしたところで切ってもらおうとしたのですが、ちょっとでも獣医さんが触ろうとすると、歯をむき出して威嚇します。
それで、口を包帯で縛って動かないようにして、やっとのことで爪を切ることができました。
もう、これで一生切らなくても大丈夫でしょうという獣医さんの言葉でしたが、たった一年でまた去年と同じくらいに伸びてしまっています。
去年は犬も人間も大変な思いをしたので、今年は何とか自分で切れないかと思い、作戦をたてたのです。
ぼたんは車でドライブをするのが好きなので、車で移動中に爪を切るという作戦です。
一人が車を運転して、私が助手席に座り、ボタンを膝にのせて座らせます。
車を走らせていると、ぼたんの興味が外に向きますから、その時に後ろから足の間に手を入れて、こっそり切ろうというのです。
二週間ほど前に、予行演習で、つつじが咲き霊園まで車を走らせ、その間、ぼたんを膝に座らせて、ずっと足を触りつづけて慣らしました。
最初は嫌がりましたが、慣れれば何ともないようです。 (外の景色や人に気をとられているという特殊な状態なのでなんとか触れたのですが)
そして、本日決行、無事成功しました。
爪を切られたことには、全く気づかなかなかったようです。
ぼたんは甲斐犬の血が入っているので、山が大好きです。
ご褒美につつじが咲き霊園でちょっとお散歩です。
ふつうは簡単にできることなのでしょうが、うちでは大変な作業です。
無事成功してホッとしました。
でも、もしかして、来年もまた、この作業をしなければならなかったりして・・・・。
<つつじが咲き霊園の階段、軽快に駆け上がっていきます。>
<駆け降りるのも速くて人間の方が追い付きません。>
<こういう山の斜面が特にお好きなようです。>
<切り取った爪、大きい方が左足で、小さい方が右足です。なぜか、左足の方が延びが早いようです。>
昨日、上野の東京文化会館でおこなわれた、ウィーンフィルのオペラ、コシ・ファン・トゥッテを観に行ってきました。
念願だったウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏を生で聞くのは初めてです。
さすがに世界最高峰の楽団だけあって、大入り満員でした。
入口に「大入り」の看板も掲げられています。
指揮はリッカルド・ムーティ、相変わらずの男前です。
歌手陣もバルバラ・フリットリ、アンゲリカ・キルヒシュラーガー・イルデブランド・ダルカンジェロ、ミヒャエル・シャーデ等そうそうたるメンバーです。
座席は5階左、相変わらずの天井桟敷です。
しかし、左側からだと、指揮者の手元がよく見えて案外よい席だったかもしれません。
ムーティの雄弁に語る左手に見とれてしまいます。(もちろん双眼鏡を使います)
オーケストラが休んでハンマーグラヴィーアだけの演奏になる時に、ムーティが眼鏡をはずして譜面台に置いているのまでよく見えます。
以前、ムーティが老眼鏡を使うようになったときは結構ショックでしたが、最近は慣れてきました。
まあ、余計なところに目が行ってしまうわけですが、何といっても、演奏と歌手陣の素晴らしさは筆舌に尽くせません。
何が良いのか、どう表現したらよいのかを考えてみましたが、一言でいうと、気持のよい音ということです。
感動も失望も心が大きく揺れますが、この演奏はそうではなく、体全体にしみわたる心地よさです。
気持ちよくて思わずうとうととしてしまうような感じです。
いつも、真剣に演奏を聴いていると思わず力が入ってしまい、肩が凝ってしまうことがあるのですが、この演奏では、そういうことがなくマッサージを受けた後のような心地よさを感じます。
どんなオペラでも、多少は突っ込みどころがあるのですが、ここでは見当たりません。
演出も演奏を邪魔しないですし、歌手陣のアンサンブルも絶妙です。
たとえるなら、最高の生地を使って最高の仕立てで作られたごくシンプルなオーダーメイドのジャケットを身にまとったような感じ。
シャンパンのような華やかさやワインのような奥深さではなく、シンプルな自然水を飲んだ時のような、体にしみわたるような感じです。
昔、たしか開高健だったかが、飲んだ時に水のように体にしみわたるのが究極のお酒だという文章を書いていたという記憶があるのですが、まさにそんな感じです。
時々、自分で聲明を唱えたとき、あるいはお題目を唱えたときに、たまに、良い声が出てその振動が体に伝わって気持ち良いと感じることがありますが、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の音(歌手陣も含めて)はもっと振動が細かく、気持ちよさも格別です。
良い音楽とは感動するというよりも、心地よさ、体に直接沁みてくるものだということを今回初めて体験しました。
この気持ちよさ、体に直接伝わる振動?はCDでは再現できないものではないでしょうか。
改めて、生で聞くということの素晴らしさを実感しました。
今日は、某所の願満稲荷大菩薩のお祭りです。
毎月20日が縁日で、年に一度10月にお祭りをする、某会社の社内にある、商売繁盛のお稲荷さんです。
昔はその会社だけでなく、その町内をも巻き込んでの盛大なお祭りがおこなわれていたそうです。
しかし、会社が移転してからは、その会社だけのお祭りになりました。
今でも、年に一度のお祭りには提灯をつけたり、のぼりを立てたりして、お祭りを盛り上げ、会社と社員の商売繁盛を祈願します。
その甲斐あって会社は繁栄しています。
やはり、自分の力だけでなく、神仏に守られているという感謝の心を持ち続けることが商売繁盛の秘訣のようです。