三重県と滋賀県の県境にある旧桜峠、今は廃道同然の山道に
最早忘れ去られようとしている磨崖仏が在りました。
三重県上野市丸柱
昔は道行く人々を見守って居たで在ろう地蔵磨崖仏・・・
今は訪れる人も殆んど無く、極稀に物好きがこうして訪れるのみ。
今のところは埋もれてしまいそうでもないが・・・
何れは人々の記憶から消え失せてしまうだろう・・・
未だにこんな景色が残っています・・・
過去には上野・奈良への街道だったようで、磨崖地蔵が在るのも納得できます。
三重県と滋賀県の県境にある旧桜峠、今は廃道同然の山道に
最早忘れ去られようとしている磨崖仏が在りました。
三重県上野市丸柱
昔は道行く人々を見守って居たで在ろう地蔵磨崖仏・・・
今は訪れる人も殆んど無く、極稀に物好きがこうして訪れるのみ。
今のところは埋もれてしまいそうでもないが・・・
何れは人々の記憶から消え失せてしまうだろう・・・
未だにこんな景色が残っています・・・
過去には上野・奈良への街道だったようで、磨崖地蔵が在るのも納得できます。
道路から田んぼを隔てた向こう側に、何やら怪しい所が目に入ります。
滋賀県甲賀郡信楽町南新田
樹の根が岩を受け止めるように側方に伸びます。
錫杖を持った地蔵磨崖仏です。
横に伸びた樹の根が怪しさを醸し出しています・・・
以前から行って見たかった金勝山の小屋谷観音磨崖仏
漸く訪れる事が出来ました。
滋賀県栗東市荒張
横倒しに成ったまま幾年月・・・
観音と呼ばれていますが如来型の坐像です。釈迦あるいは弥勒でしょうか・・・
手の表現がちょっと、ミットの様ですね。
じっと空をみつめる穏やかなお顔
光背の掘り込みが結構深いので、頭部は丸彫りに近いです。
これだけ見るとすごい山の中に見えますが、実は・・・
左右に長方形の掘り込みがあり、何か彫られているようですがよく判りませんでしたが
童子の脇侍だという事を石友に教えて貰いました。
勝地勝福寺裏の小高い所に覆屋を建て金剛界五仏の石仏が祀られています。
青山町勝地
金剛界大日如来
東・ 阿閦如来
西・阿弥陀如来
南・宝生如来
北・不空成就仏
金剛界四仏は高野系で最も尊重された仏様であるが、大和に入ると
弥勒仏教が盛んであり 、又高野も弥勒信仰の強く働いた
宗旨であったので、顕教四仏とミックスしたものであるそうです。
金剛界四仏 阿閦・無量寿・宝生・不空成就のうち、無量寿が
顕教四仏薬師・阿弥陀・釈迦・弥勒(地蔵)の阿弥陀になっています。
難しい事は判らなくても、この五仏は惹かれるものが在ります。
五仏は梵字で彫られたものが多いですが、この様な別石のものは見応えがあります。
この北面一体は江戸中期の補作だそうです。
この石仏には太夫名が彫られており
大和山添の法楽地蔵にも太夫の刻銘があります。
太夫は伊勢神宮の御師で、伊勢参りの人々を世話したり、宿泊させたり、祈祷をしたりと
修行僧と似た役割をつとめたので、寺とのつながりがかなり強かったと思われます。
青山町の宝厳寺門前に並ぶ石造物です。
地蔵石仏も立派ですが、十三仏板碑が二基あるのを見たくて訪れました。
青山町寺脇
この並びが素敵です。
面相おだやかで、錫杖を持つ手、衣文の処理等大和石仏の秀作に類似します。
自然石に彫られた五輪塔
破損した地蔵石仏
もうお気付きの方も居られる事と思いますが・・・
十三仏 二基が不自然に白っぽいので良く見たら、最近に彫られた物でした。
お堂を造って別に納められているのかな?と探しましたが見付からず。
お寺の方に伺ったら・・・「二基とも盗まれました。」と・・言う事でした。
えーっ!思い描いていた石仏が盗難にあってがっかりしました。
もう二度とあの姿を見ることは出来ないのでしょうか・・・・・
近鉄青山町駅の東方、阿保越の旧街道別府の辻堂に、一石十王笠石仏が在ります。
青山町別府
中央が 蓮華座に座った閻魔王、左右に五体づつ立像の十王像
旧街道道端の十王堂と呼ばれる小堂に祀られています。
左の五体
十王ですが何と無く可愛らしいですね。
閻魔大王
蓮華座に座った閻魔さんは初めて見ました。
右の五体
十王なのに十一体あるのは、右端の一体は記録係りの司録像らしいという事です。
十王を祀り、地獄を素通りして極楽をめざしたのかも知れないという事です。
旧街道を歩いていて、こんな石仏に出会うと嬉しくなります。
以前訪れた時は対岸からの遠望で満足していた大川地蔵十王磨崖仏ですが
最近、近くまで行ける事を知り、早速行ってきました。
対岸からでは観ることの出来なかった十王磨崖仏が
大川地蔵磨崖仏の上方の、林の中に隠れていました。
こんな所に隠れていたんですね。
木々が育つ前は対岸からも望めたんでしょうか?
一体目の十王磨崖仏
洋風な顔立ちです。
二体目の十王磨崖仏
こちらは怪しい微笑み・・・
三体目の十王磨崖仏
これは先の二体と比べて風化が激しく、大まかな外形が判る程度です。
大川地蔵の下の川原に降りてみました。
なんとか下から見上げる事が出来ました。
足元の十王さんも、こんなに真近に。
真近で見ると立派ですね~
大川地蔵の上から名張川を望みます。
高尾の仏谷に、滝の壁面に彫られた不動磨崖仏が在ります。
二回目の探索で見つける事が出来ました。
南山城村仏谷
左の枡形に銘が彫ってあります。
線彫りのお不動さん
手慣れた筆でサラサラっと 描いた様な彫りです。
結構危険な所に在ります。
仏谷の字名はこの谷からでしょうか?
実は、この不動明王磨崖仏は彩色されています。
折角ですので、久々の総天然色でどうぞ・・・
掘り出し地蔵の東方数十メートル、旧道に面した岩にもお地蔵さんが彫られています。
普通に車道を走っていたら、まず気が付きません 。
昔は誰もがこの前を通っただろうに・・・
月ヶ瀬長引
ネズ(モロ)の大木が根上がりになって、絡み付いて居たところから
モロの地蔵と呼ばれています。(ネズの木は枯死)
異型の樹と磨崖地蔵さん、瞼に焼きつきます。
良い感じの錫杖型磨崖地蔵さんなんですが
地衣類が鱗片状に着生していて、細部が判りません・・・
根上がりネズ(モロ)の木
ロマントピア月ヶ瀬の直ぐ近く、小堂の中に祀られている地蔵石仏です。
月ヶ瀬長引
掘り出し地蔵と呼ばれています。
月ヶ瀬村史によると
昔、前の水田になんとなく光を放っているようで、田植えの出来ないところがあった。
調べてみると地蔵を刻んだ石が埋もれていたので、これを引き上げて祀った。
と、あります。掘り出し地蔵の名はそこからきているそうです。
水田に埋まる前は磨崖仏だったのでしょう・・・
錫杖を持ったお地蔵さん。
長引の詠歌衆十八人の発起で建てられた庵堂だそうです。
堂の傍らにも小磨崖仏が・・・
車で走っていても直ぐに目に付きます 。