@歳をとって「身軽」になるとは、旅三昧・読書三昧・妄想三昧・昼寝三昧の生活を求めることか、とはこの書にある。西行、親鸞、芭蕉、良寛などいずれも若い時に「旅」に出、様々な出会い、経験から歌・俳句を作り、最後には「集」としての書を遺している。 現代でも通用する「旅」「読書」「妄想」「昼寝」など気ままな生活を始めるのもいいかもしれない。だが、そこには必ず目的・目標がある事が重要だ。今日から4三昧生活も悪くはない。(行雲流水)
『身軽』の哲学 山折哲雄
- 人はなぜ、後半生になると重荷を下ろしたくなるのか。西行、親鸞、芭蕉、良寛に共通することは、人生の折返し点を過ぎ、歌や句にますます傾倒していったことだ。肩にのしかかった責務や思想、人間関係などから解き放され、旅に出て「うた」をつくった。孤独を楽しみ、軽やかな自由の世界にあそんだ。そろそろ私たちも、「ねばならない」生き方から少しずつ解放されようではないか。
- 「重荷を降ろし軽くなるとは」
- 古代インドの賢人たちの4つの人生階段「四住期」(しじゅうき)
- 「学生期」学問と修行に励み、禁欲生活を守る
- 「家住期」結婚し、子供を作り家の経済の責任を負う
- 「林住期」やりたいことを実行する、自由な時間を楽しむ
- 「遊行期」一切の欲望から離脱、旅から旅の日常を生きる
- 西行(1118〜1190)=和歌・文芸の流れに(半僧半俗)
- 30歳から陸奥・白河、女人たちとの交流
- 親鸞(1173〜1262)=漢学・仏教の流れに(非僧非俗)
- 35歳から越後、63歳で京都に帰る
- 芭蕉(1644〜1694)=連歌・俳諧の流れ(脱僧脱俗)
- 41歳から奥州、松島、平泉、越後、金沢、白山、「乞食」となる
- 良寛(1758〜1831)=歌・書の流れに
- 40歳から各地を遍歴
- 仙厓義梵(1750〜1837)=禅画・遊画
- 「四人の愛したこと=歌・書」
- 西行・桜を愛した
- 親鸞・自然にたどり着いた
- 芭蕉・乞食願望に取り憑かれた
- 良寛・123とよを過ぎていった
- 「共通」
- 旅三昧・読書三昧・妄想三昧・昼寝三昧の生活を求めた