@「対話」は、「問い」から始まる。多くの問い(何故)ができる人材が今必要だと感じる。それは「考える」思考を始めるきっかけなるからだ。最近は真に「考える」をしているだろうか。世間の便利さは人間の思考能力を低下させ、「考える」手間を省いている感がある。そのためには子供に戻り「何故」を言える対話がもっと必要なのかもしれない。この書にもある日本人は「質問してはいけない。考えることを教えない。周りの人の意に沿うこと」が良いことのように扱われるが諸外国では全く違う。自分の意見を持ち、堂々と意見する。それに対する議論もする。「何故」から始める会話を始めよう。(聞くのは一時の恥、聞かぬは一生の恥)
『考えるとはどう言うことか』梶谷真司
- 「考えることは大事」と言われるが、「考える方法」は誰も教えてくれない。ひとり頭の中だけでモヤモヤしていてもダメ。人と自由に問い、語り合うことで、考えは広く深くなる。その積み重ねが、息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖から、あなたを解放する―対話を通して哲学的思考を体験する試みとして、いま注目の「哲学対話」
- 「考える」とは、人に問い、語り、人の話を聞く事である。 そのための「哲学対話」が必要。まさに共に生きていくことこそそのものである。
- 「よく考える」ためには、ひとり頭の中だけでモヤモヤしていてもダメ。人と問い、語り合うことで、「考え」は広く深くなる。その積み重ねが、息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖からあなたを解放し、あなたを自由にしてくれる――。「体験」する事
- 「哲学対話」とは、欧米の社会では自分の考えや意見を持つ事が許容されているし、求められもする。考えることにも議論することにも慣れているし、自分の意見をしっかり主張する。これは単に思考力や判断力の育成だけを目指しているのではない。 自分の考えを言葉で表現し、他者の意見を聞くコミュニケーション能力、お互いに共感し、相手を尊重し、自分と他者の違いを受け止める寛容さなど様々な資質を育もうとするもの。
- 「実際の哲学対話」とは
- 机をなくし輪になる。なるべく椅子を詰めること。
- 「対話は終わった後に始まる」とは
- 対話は長すぎず、物足らないくらいが丁度いい。もやもや感が残りその後いろいろな考えができるようになる。
- 「哲学対話ルール」
- 何を言ってもいい・自由に考える
- 人の言うことに対して否定的な態度を取らない
- 発言せず、ただ聞いているだけでもいい・言わされることはしない
- お互いに問いかけるようにする
- 知識ではなく、自分の経験に即して話す
- 話がまとまらなくともいい
- 意見が変わってもいい
- 分からなくなってもいい
- 知的な安心感を持つ言葉「大丈夫」である
- 何もしなくとも、考えなくとも、言えなくともいいと考える
- 年齢・性別・学歴などを入れないで話す
- 「問う」ことで初めて考える
- 問うことで思考を動かし、方向づけ、考えるための進み方が変わる
- 「問い」の基本
- 言葉の意味を明確にする・理由や根拠・目的を具体的に考える
- 反対の事例を考え、関係と違いを問い、要約・懐疑する
- 5W1H(時間軸・空間)
- 「聞くこと」とは
- 語られた言葉は聞かれたことで受け止めること、受け入れることではない
- 「日本の教育」
- 質問してはいけない。考えることを教えない、周りの人の意に沿うこと。