@「リーダーシップの判断ミス」この書では藩主水野が判断した明智光秀に加担したことにある。これは後に秀吉に対する謀反者扱いとなり藩は壊滅、隠居していた15年後に切腹の命が下ることになる。現代で言えば経営者・上司の判断ミス一つで、会社が、社員が、その家族までが巻き添えになる。日本は特に「仕事の効率」が世界と比べてもても悪いと言われる。その事実を認識・確認し、いつでも会社の非常時には対処、対応できる準備をしておくことも必要だという事だ。ここにある公家の「状況を知らない者の知恵」(平常心からものを見て判断)から言えるのは部外者からの聞き耳を持つことは時として役に立つことである。 コロナ対策で今後企業は社員・従業員に対し如何なる選択を取るのか、危機的状況から見える経営者の質・知恵が見える。
『修羅の器』澤田ふじ子
「内容」信長の麾下として各地を転戦する常滑城主・水野監物。彼は、常滑のやきものによって得た財力を背景に、茶匠武野紹鴎や連歌師里村紹巴と懇意になった。だが突然、信長は自領瀬戸のやきものを保護するために禁窯令を発令。監物を悲劇に導く。やがて本能寺の変が起こり、天下は騒乱。監物の下す決断とは。
- 常滑の城主水野監物とその近習村田平蔵、常滑の地は日本6古窯で室町時代から最も古い歴史のある地域で庶民の多くが窯業に携わり藩の財政もこの常滑窯からであった。美濃の瀬戸物を優先させる信長の禁窯令により常滑は廃窯となる。
- 甲斐攻めで武田家を殲滅した功績に堅物は全く恩賞が預かれず、失望、その他宗家水野信元が信長の命で誅殺れ、領地の恩賞も昔のままだった。
- 本能寺の変で明智光秀側に加担した水野の判断ミスは、秀吉天下で追われる身となり嵯峨野に近習と隠居生活となる。堅物の側室の父は「いっそ、そのまま安土に向かい、城を守る明智勢を、攻めれば良かったのではないか。光秀殿への加担は知らぬ顔で押し通せば済む事じゃ。なまじ常滑に帰ったために、このようなことに相成った」
- 村田平蔵は、常滑で許嫁がいたが戦国の世で婚姻できず、やがて許嫁が秀吉の家臣小笠原図書と結婚する。平蔵の幼なじみの加世が平蔵を頼り嵯峨野で一緒に生活をするが、やがて子供を2回授かる。が隠れ生活(忠義を尽くすことを優先)を理由にやもなく下ろすことを承諾する。
- 水野監物は焼物の知識で鑑賞力を持っており、何とか常滑の焼物を継続させたいがため茶の雄に願いを込めていたが、その一人千利休も秀吉の命で切腹させられ生き抜く気力をなくす。秀吉はさらに家康に対する嫌がらせを縁深い水野監物に切腹命令を下す。近習の平蔵も最後に堅物を介錯し追腹をする。