@財政危機の藩はまず末端武士らをお払い箱にし(人減らし)、更なる税を上げ民に仕掛ける。ただ藩の上層部の生活は今までと変わらず贅沢三昧であったことだ。何か現在の国家財政・政府も同じ様な事を繰り返しているかのように見える。それは足らない部分は増税、もしくは新税で賄い、更に足らなければ国債を増やすだけと言う小学生でも出来る事しかやれない。政治家には家計も知らない無知な人ばかりなのか。家計の苦しみを知ったものが真っ先にすることは「支出を減らす」こと、当たり前だが、政治家はこの責任感覚が全く感じられないことだ。
政治家・内閣の使命は財政の立て直し、国債額を減らし、増税ではなく、予算カットから減税につなげることではないだろうか。 それには国民の直接の目(監視体制)で、それらを実践できた内閣だけを継続させ、できなければ国民監視体制が総辞職させる案はどうだろうか。政治家が政治家を裁くこができないのであれば国民が裁きを直接下せる決議規則を作るべきだと思う。 さもなければ腐りかけた政治家に冤罪は続くだろう。
『再びの海』澤田ふじ子
「足引の仕掛け人」ー世の中の矛盾を正す
「破れ傘」丹波篠山藩で財政難で賄い頭(父親)が永御暇を受け家族(母・姉・弟)に貧困生活となる。生活苦から姉が家族を助けるために水茶屋に5年の年季奉公に出ることを決め、金子をもらい受け家を出た。ところがその後母が腫瘍で亡くなりその後父も亡くなる。弟は一人内職をしながら生活し、その5年を待ち続けた。だが姉はその2年後に水茶屋の仕業で自殺しており、弟を消せば奉行所も問わなくなると殺しを仕掛ける。
「寒寺の砦」呉服問屋の一人息子が小さい時から甘やかされ道楽息子になる。飲む打つ買うは日常茶飯事となり挙句に女に子供ができたと親をゆする芝居をさせ金を出させた。何とか長男を一人前の商売人にしたいとある京都の山奥の寺に修行をさせるべく旅たたせたが、沙婆の極道仲間が金ずるの道楽息子を逃すため寺を攻撃する。
「憚りの夜」盗賊の仲間で18歳の新入りの男が御用の難を逃れて逃げ切る。この強盗で盗賊の一味は、お店の一家と多くの奉公人を殺害したことで、その後晒し獄門となった。唯一逃げ切った男は偶然にもその14年後にそのお店の主人となり、その間殺された家族等への供養、多くの善根を積み重ね、寺へのお布施も多く周りからも仏の生まれではと言われるくらい過去の罪に対し精進していた。その現状を知り足引きは主人を逃すことにした。
「いやな奴」店の娘の婿になる話と武士を続けるか迷った男がいた。当初二十俵2人扶持で将来も出世できないと思うその男が目付役となる大抜擢を受ける。だが店から婿になるからと大金をもらい受けていたことから断りきれず流れ者を雇い娘を殺害し、婿話を終わらせようとした。
「再びの海」流人を隠岐島に護衛する役割となった仕掛け人奉行所同心蓮根左仲に僧侶の宗徳、同心の手下与惣次と犬の豪が同行する舟旅が始まった。そこは宗徳と与惣次に取ってはしばらく流人として暮らした島であり、途中流人の一人の女が海に身投げした。 隠岐島では途中身投げした女の供養の為墓石を作り葬った。その墓石の元石工は、罪を着せられ娘を手籠にされた恨みを晴らすことができず死んでしまう。が足引の仕掛け人たちが京都に戻りその恨みを果たす。 それと身投げした女に罪を着せた貪欲な夫と姑にも仕打ちを仕掛ける。
ー仕置き人「わしら足引寺の一同が、何故故奴らにかような仕打ちをいたしたいのか、それを記した閻魔王牒状を置いておくのを忘れるでないぞ」(世の中の不平等から派生する矛盾を正す為の理由)
ー宗徳曰く「どこを見ても、我が身のことばかりを考える奴らが増えておる。奉行所とて出世に目を眩ませた奴ばかりじゃ。」