@明治初期の政治行動は現代でも明らかにされていない「闇」事が多い。薩摩下級武士であった大久保利通が「強い国」を求め奮闘した歴史小説となっているが、登場人物の発言等が感情がこもったリアル感のある実話を聞いているかのように錯覚する。特に戊辰の役から大久保が描いた日本国理想図は志半ばで無念の死となったことは、国民の誤解もあった。それは暴徒の訴状は正に大久保が改善・修復しようとしていたことだった事は非常に残念だ。
『氷塊』秋山香乃
・明治の元勲、大久保利通。国難の時代、日本を近代国家たらしめたのは、大久保の意志と構想と実行力「影の権力者」内務卿が死亡したのは49歳、1878年5月14日、暴徒による殺害
・紀尾井町での暴徒側の訴状「5つの罪」
「公儀を杜絶し、民権を抑圧し、持って政治を私するその罪」
「法令を目的のないまま定め、盛んに賄賂や裏金によって人事登用や取り決めが為され、恣に威服を張る罪」
「急がずとも良い土木工事を行い、必要のない上部ばかりを取り繕い、国費を無駄に浪費する罪」
「憤慨忠節の士を疎斥し、憂国敵外の徒を嫌悪し、持って内乱を醸成する罪」
「外国交際の道を誤り、国権を失墜する罪」
・大久保の死後遺族の手元には現金140円、借金が8千円(国の事業の補填を個人借金した)
・大久保利通
「行動力」周りを固める:薩摩藩下級武士の利通は久光の側用人たちを説得
「諦めずに方法を模索し続ければ、道は開けるはずだ。それにはまず相手のことをよく知らなければ話にならない」
「説得力」仲間の人脈を賛同させる:周りを賛同する仲間を増やしていく
「判断力と決断力」郷中教育で学ぶ:二者選択でどちらかを常に選ぶ教育
「構想力・計画力」薩長土肥らを動かす内容
幕府に先立ちパリ万博に薩摩政府としてフランスに対して威厳を示す
「信念」強い国家・天命、公武合体、攘夷、尊皇、から討幕へと変わる
「弱いものにものを言う権利はない」が世界の常識(侵略・植民地)
西郷との決別(朝鮮問題)ー国としての政道を貫く
「交渉力」イギリス艦の戦いの後、利通は和睦、軍艦建造に協力させる
上洛での諸侯会議を斡旋、公卿を説得(幕府と朝廷)
藩政改革:西洋式軍術導入・近代的殖産興業(紡績工場)
外交権交渉(不平等条約の変更)・国際法憲法・法律制定ビスマルク参考
長州vs佐賀(政府の権力争い・汚職・濫用・贅沢三昧)から立ち直す
・大久保利通の日本国の3つの時期・理想
第一期:明治元年より10年 王政復古からの創業の時期
第二期:内治を整え、国力の充実
第三期:守成の時期として後進賢者の継承
・島津斉彬
「先見の目」11代薩摩藩主43歳はわずか7年で終焉、近代化と密貿易(藩収益確保)
反射炉・溶解炉から造船業、国内初の蒸気船製造、地雷や水雷、ガス灯
電信機の開発、「日の丸」採用の発案者
「人選」身分を問わず人材重用
・西郷隆盛
斉彬に認められ御庭番、最も斉彬に忠臣、大久保らと同志、大久保の親友
2回の島流し、大久保の支援のもと薩摩藩軍事司令塔となる
朝鮮問題を自らが率先し主張(死ぬ場所を探していた・軍人の行き場探し)
・大隈重信
世界の基準を見据えた10進法で円・銭・厘と言う通貨単位を生み出す
財務能力に長けた人材
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