@生きることへの心の支え「俳句」 人が落ち込む小さなキッカケは日常の中にいくらでも転がっている。「この世に身を繋ぐ舫い綱」が、「俳句」かもしれないと、著者。多くの俳句が本書に紹介されているが深い意味での鑑賞が素人には難しい、ましてや大正から昭和初期など時代背景から想像出来ないものはかなり際どい。「俳句」を通じて、人間として必要な事は「仲間を大切にする気持ち、他人への思いやり、何かを学ぼうとする心」だと、著者は言う。「音」(水音・虫の音・心音・風の音・雨の音)だけでも人それぞれの感覚が違い豊かな想像力を生み出す、それを詩「俳句」に残すことができれば最高だ。
『生きるために、一句』細谷亮太
「概要」俳句は、「枯れた趣味」ではありません小児がんの専門医が、日々の「心のゆらぎ」を名句に託して書きとめたエッセイ集
どれほどの鬱ならやまひ花茗荷
カジノ裏とびきりの星月夜かな
落ち込みのための小さなきっかけは日常の中にいくらでも転がっています。世の中に自分をつなぎ止めているものが、とてもはかないものだと思える時が特にあぶない。そんな時、俳句が舫い綱として、しっかりした存在でいれば、私の落ち込みも極限近くまでは行かないことが、最近になってわかってきました。俳句にこだわることは、強烈に現世にこだわることのように思います。――<本書より>
ー俳句は忘れられた「命」を人が人と「言葉」で繋ぐもの「言霊」
ー水音・虫の音・心音・風の音・雨の音:音からの連想する不思議な感
ー文豪たちの最後、太宰治の入水、芥川龍之介の服毒、三島由紀夫の割腹「死ぬための教養」
ーラムネの瓶は19世紀中頃の英国、日本に伝わったのは明治元年の中国人蓮昌秦と言う人
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