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友達の選び方・晩年の心得『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』

2019-09-07 08:04:56 | 世界の動きから見えるもの

@「論語」とは「常識の書」とある。生きていく為の参考書とでも言える「論語」の中で見つけた「友達の選び方」。 それは3つ:1、自分より劣ったものを友達にするな 2、自分より上である人を選ぶべき(知識・経験・物事の見方) 3、口だけ達者なものを友にするな であると言う。 さらに人間的向上心の3つ、1、教養文学に親しみ、2、礼儀作法を学び身につけ、3、物事の深みを理解すること。 さらに苦労人晩年孔子の3つの心得、1、勝手な心を持たず 2、無理押しをせず 3、執着せず、我を張らない。 人生の基本はこれだと思うことがこの「論語」には集約されている。 一見、当たり前のことが多いが中々行動にできない、人とあそう言うものかと悟。(人を呪わば穴二つ)

『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』石 平

  • 論語はすなわち儒教のことである―日本人の多くにとっての「常識」であろう。ところが、実はそうではない。子供のころ、祖父の摩訶不思議な「教え」から『論語』に接した著者は、のちに儒教の持つ残酷な側面を知り、強い葛藤を抱く。 御用教学・儒教の成立と悪用される孔子、朱子学の誕生と儒教原理主義の悲劇など、中国思想史の分析を重ねた果てに著者がたどり着いた答えは、なんと「論語は儒教ではない」というものだった。曇りのない目で孔子の言葉に触れ、『論語』を人生に生かすための画期的な書。
  • 「論語」とは孔子という智慧者が語る常識的な人生論、処世術である。「五経」の経典を作り出した儒学とは全く違った理論体系だった。「論語」、人はどのように自分自身を高めていくべきか、人は社会の中で生きていくためにどのようにして人間関係を築くべきなのか、人は穏やかで豊かな人生を送っていくためにどうすべきかの「常識の書」である。「愛」道徳観の根底、思いやり「礼の心」である。
  • 「儒学」は戦国時代に行きた孟子の「性善説」の体系で中央主権性の国家権力とその頂点に立つ皇帝を正当化する考え方「王道主義」。「五経」は孔子の名を盗用する形で作り上げた経典である。
  • 朱熹の「朱子学」「礼教」は中国明清朝時代5百年続いた。その結果女性は悲惨な時代であった。女性は子孫存続の道具であり、夫が亡くなった場合の選択は自殺、もしくは子孫子育てのみで「殉節」「守節」を貫くことが強いられた。その清王朝時代の260余年の間に自殺数5百から6百万人とも言われた。中国と朝鮮がこの朱子学と礼教(人間性抑圧と欺瞞)の基本によって支配された。「科挙」制度に採用され長期存続した。
  • 江戸時代、朱子学は輸入されたが日本の女性の地位は他の東洋諸国とは道徳的に洗練されており「礼教」は採用されなかった。伊藤仁斎が「論語」との違いを強調し「悪の学問」を止めた。
  • 「論語」
  •         「子の日わく、君子は器ならず」(教養人は一技、一芸の人ではない=広い教養を身につけて広く能力を発揮すべき)生きていくための手段(専門技術を身につける)であって、目的ではない。そのためには様々な問題意識を持ち、歴史や芸術や大自然の領域にも興味を持ち人々と多く交流し、多彩な社会生活の体験が必要
  •         「子の日わく、詩に興こり、礼に立ち、楽に成る」(人間の教養は詩によって奮い立ち、礼によって安定し、音楽によって完成する)
  •         自分の信ずる道を歩めばよい
  • 「論語が教える友達の選び方」
  •         自分より劣ったものを友達にするな
  •         自分より上である人を選ぶべき(知識・経験・見方)
  •         口だけ達者なものを友にするな
  • 「孔子の波乱万丈の生涯」
  •         下級武士の不倫関係で生まれた私生児、3歳で父を亡くし貧しい環境で母親に育てられた。倉庫番、飼育係りなどの仕事は身分が低いためであって、「多能」な仕事をこなした。40代あたりから学問での門人が増え始め52歳で代官、53歳で魯の君主の補佐役。54歳で司法大臣、権力闘争に敗れ諸国を放浪、69歳に魯に戻り教育に専念。弟子3千人を抱え74歳で没。苦労人「勝手な心を持たず、無理押しをせず、執着せず、我を張らない」(意なく、必なく、固なく、我なし)ことに賢明だった。

小さな親切でも行動は人を蘇らせる『ほら吹き茂平』

2019-09-05 07:49:18 | 人生を「生かす」には

@「律儀な男」、恩をなんとか返したいばかりに犯罪に染まった哀れな人物。本文末の短編小説だ。人生で自分がドン底に居る状態で他人に助けてもらう事は、あるだろうか。二進も三進もいかない路頭に迷った末に、親切な人が助けてくれることは滅多にあることでは無い。ましてや現代は個人主義、自己主張の強い世の中に人助けをするのは摩訶不思議と映るかもしれない。江戸時代だらからこその「人情」「情け」があったのかもしれず、現代では忘れ去られようとしている。人は弱い、だから間違った道を選ぶ、だが、一言(小さな親切・行動)で一生後悔する道を行かせない、助かることもある。その一言も言えない世の中は一体誰が作っていったのだろうか。(貧すれば鈍する・言うは易し行うは難し)

『ほら吹き茂平』宇江左真理

  • 深川の茂平は大工の棟梁を引いて隠居の身。生来の仕事好きには、ひまでひまで仕方ない。そんな茂平、いつの頃からか「ほら吹き茂平」と呼ばれるようになっていた。別に人を騙そうとは思っていない。世間話のついでに、ちょっとお愛想のつもりで言った話がしばしば近所の女房たちを、ときには世話好き女房のお春までをも驚かす。その日は、一向に嫁がない娘を連れて相談にきた母親に、いつもの悪戯ごころが頭をもたげてきて…。(「ほら吹き茂平」より)。やっかいな癖、おかしな癖、はた迷惑な癖…いろんな癖をもった人がいるけれどうれしいときには一緒に笑い、悲しいときには一緒に涙する。江戸の人情を鮮やかに描いた時代傑作。
  • 「ホラ吹き茂平」
  •        隠居の身になった丹治。ちょっとした小屋を建てるのに人手不足で婿の嫁を自分の仕事を片腕として雇う。ホラが現実、近所にも変な噂が。
  • 「千住庵つれづれ」
  •        浮風は先祖と話ができる能力を持った尼層。「死は恐れることでは無い。いずれ生まれ変わって、この世を再び生きることができるのだから。肉体は滅びても魂は不滅である」と説く。いつか亡くなった夫と話ができることを望んでいた。
  • 「金棒引き」
  •          金棒引きとは世間の噂を誰よりも早く得ることで、皆に重宝された。そんな中で家茂に嫁いだ和宮の噂。足が悪く、手先がなく、身代わりだったと言う噂は、家茂死後どれも当てはまらなかった。
  • 「せっかち丹治」
  •          丹治の娘の結婚話が出るが本人は乗り気がしない。それは大店の両親の終日介護をお世話をすることが主の目的で嫁を探していた。娘が断ると周りから非難の声が出たが、他の娘が嫁いだが、10日もしないで逃げたと言う話を聞いて安堵する。
  • 「嬬恋村から」
  •          浅間山噴火で亡くなった妻と娘の供養に千住庵を訪れた元夫。なんとか供養してほしいと昔の経緯を話した後、酒に酔い眠り込んだ。やがてその亡霊(妻、娘、さらに再婚し亡くなった妻)が浮風に話しかけてきた。なぜ噴火から逃げ切れなかったのか、それは夫を家の中で待っていたとの事。また二人のなき骨壷をこの千住庵の真っ赤に燃えて紅葉の下に葬ることも快く受けたと聞く。また再婚した妻が一緒に来たのは骨壷の行方を知りたくついてきたことなど納得して3人の亡霊は亡くなり、元夫も夢の中でそれを知っていた。
  • 「律儀な男」
  •          大店の娘と結婚したも元手代、今はその娘をもらい主人となっていた。が嫁とその母親があまりにも我儘で店も御構い無しで芝居小屋に通い、そこの役者に惚れ込んでいた。 ある時主人は買い付けに家を長く開けた時、途中で物乞いにあい人助けをする。それが後々恩返しとしてやった行動が、娘、母親、それに役者を殺し、自分も死んだ妻の元に行くことだった。それはせめてもの償い、恩返しとしてできることだ死に際の妻に言われたことだった。実は殺しの行動はその主人に為ではなく自分のためだったと白状。 今まで人に優しくされ妻のその恩になんとか答えてほしいと遺言を残していたことだった。 「ありがとう」を主人に言い別れを告げた。

「いい家族」の裏話『あかね空』

2019-09-03 07:47:20 | 人生を「生かす」には

@親の気苦労や努力を子供は知る余地もない。世間に「仲のいい家族」と言われた家族がチリジリになる場合の多くが、ちょっとした妬み、恨みでその行き違いが家族の絆に深い溝を作る、とはこの小説の内容だ。 親・兄弟の気持ちを妬み、恨んで家族が想い想いの行動に出る、でも本音は「いい家族」でありたいと誰もが望んでいることに気づかされる。気づいた時、「ありがとう」と感謝したい親はもうそこにはいない。親への感謝の気持ち・行動「親孝行」は最近あまり出てこない単語になってしまった。それだけ親子の絆が疎遠になり始めているのか、逆に言うと親が裕福で、いつまでの親の近くで親を頼っていられるからだろうか。(家貧しくて考子顕わる)

『あかね空』山本一力 芥川受賞作

  • 希望を胸に身一つで上方から江戸へ下った豆腐職人の永吉。己の技量一筋に生きる永吉を支えるおふみ。やがて夫婦となった二人は、京と江戸との味覚の違いに悩みながらもやっと表通りに店を構える。明るく気丈なおふみの支えで、様々な困難を乗り越えながら、なんとか光が差してきた。やがて、ふたりは三人の子に恵まれる。あるときから、おふみはなぜか長男の栄太郎ばかりを可愛がるようになる。そして、一家にやがて暗い影が・・・。
  • 京の柔らかい豆腐を売るには江戸では無理があった。おふみは宿敵である新兵衛にその理由等を聞き、京の豆腐は京の修行をしたお坊様、お寺様と聞き老舗でお寺に納めていた豆腐屋相州屋にお願いしたところ快く寺へのまずは売れ残りの喜捨を受け入れてくれた。そのが相州屋の主人がなくなりその利権は江戸屋にお願いしていた。お寺の喜捨がきっかけとなり法事などで注文が入り始めお店は繁盛、永吉はおふみを妻にし、仕事に精を出した。その結果新たな湯豆腐、おから、豆乳などを作り出し3人の子供に恵まれた。が、おふみの長男に対する異様な肩入れから夫、2人の子供に亀裂が生じ、長男の甘やかしから長男が店の賄いに手を出すようになる。
  • 永吉は長男を外に修行に出させ数年で帰ってきたが賭博から足が洗えず、さらに大きな借金を抱えていた。それを承知でいた妻と喧嘩となり、悲しみのあまり永吉は深酒で命を落とす。長男は行き場を失い、おふみの知り合いの鳶職に。ところが賭場での借金で作った文証が、家をもっとられることになる。
  • そんな中で次男は妻を娶り、仕事に励むが今度はおふみが病で倒れ帰らざる人となる。喪主は家を出た長男が仕切るが周りがしっくりしないまま、文証を持った仇敵が訪れ、ことが一変する。