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山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

35年前の記憶

2006-03-04 09:40:13 | 独り言
解放同盟が全国大会。昨日の夕刊22面の小さな小さな記事です。この記事を見て35年前の記憶が鮮明に蘇ってきました。

私が初めてこの問題に直面したのは、岡林信康の『手紙』という悲しい曲がきっかけでした。ラジオのDJをしていた岡林の元に届いたリスナ-からの手紙に曲をつけたものと記憶しています。

『私の好きなミツルさんは 叔父さんからお店をもらい 二人一緒に暮らすんだと
嬉しそうに話してたのに 私と一緒になるのだったら お店を譲らないと言われたの 私は彼の幸せのため 身を引こうと思っています に生まれたそのことの
何が悪い どこがちがう 』

人種差別問題は35年前、学生運動のかたわら良く議論したものでしたが、この問題もある人のたった一言であっけなく結論づけられてしまったのでした。
その人は、憲法学者の水木惣太郎先生。憲法の講義の時でした。

『君らは、基本的人権だの平等だのとのたまうが、じゃあ聞くが、もし君らが娘を持ったとしよう。その娘が結婚相手に選んだ男が、ナベの底を突いたような真っ黒な顔の男だったらどうする。諸手を上げて祝福してやれるだろうか?できねえだろう。これが人種差別の究極の姿なんだよ。

常識論や道徳論でわかったようなきれい事を言ってはいるが、君らの血が受け付けないんだよ。だから現実に人種差別が存在するんだろ。偉そうに白人を非難することなんぞできやしないんだ。人種問題は、人間の心や頭で解決するんじゃなくて長い時間が解決してくれるんだ。

長い時間をかけて、世界中の人種の血が混ざり合って薄まって、人種というものがこの世に存在しなくなって初めて解決するんだ。君らの生きているうちは先ず無理だろう。差別をしないという確固たる自信がつくまでは、消極的ではあるが積極的に関わらないことがお互いのためになる。』

べらんめい調で語る水木先生の言葉が衝撃的でした。あれ以来35年間、私はこの問題を封印し続けてきました。自分の考え方を安易に人に語ることもしていません。とてもデリケ-トでとても難しい問題です。

コメント
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