山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

石炭と薬草

2006-03-16 00:46:30 | 独り言
冬の季節が始まる頃、そして冬の季節が終わる頃、必ず思い出すことがある。もう40年も前のこと、小学生時代の思い出。冬は嫌いなのに懐かしいのは思い出が深いためだろうか?

私は相模湖の奥の山間僻地に生まれ育った。昭和30年代の貧しい時代の貧しい山間僻地の小学校であった。町の財政も厳しく、冬になっても満足に石炭も与えられない時代であった。

私たちは、先生方と相談してアンゴラウサギをたくさん飼育してウサギの毛を売ることにした。夏休みも冬休みも、休まず交代でウサギを育て、ふわふわな毛が沢山とれたときの嬉しかったこと。

夏休みにはドクダミやゲンノショウコなどの薬草やセミの抜け殻を沢山集めて漢方薬局に売ったりもした。全校生徒80人が一所懸命集めた薬草で、やっと冬を越せるだけの石炭を買うことができた。

冬の季節に入る頃、石炭を満載した2台のトラックが到着し、校庭の片隅に石炭が山積みされたときは、もう私たちは嬉しくて喚声を上げながら石炭の山に駆け寄って、石炭の冷たい温もりを握りしめたものである。

仲間たちと皆で一つのことを成し遂げた最初の体験だったのかもしれない。貧しくて、物もない時代だったためか皆、仲良しだった。何でも分け合ったし、イジメなんて知らずに育った。幸せな時代であったと思う。今でも会うと男でも女でもチャンづけで呼び合う仲である。

時が経ち、いま、豊かな時代になりすぎた。子供たちも、そして大人たちも、物を作り出す能力が退化してしまった。物を大切にする習慣もなくなった。こんな時代にこそ、自分を、そして人を思いやり大切に思う心を持ち続けたい。当たり前の事なのに、なぜか当たり前ではなくなっているから。

最後に、昭和40年代まで主要なエネルギ-として私たちの生活と経済成長を支えてきた大地の恵みに感謝し、鉱(ヤマ)に生涯を賭けてきた歴戦の勇士たちにねぎらいと感謝の言葉を捧げたいと思う。
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