獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:ポラリスさん登場(4)

2021-12-26 01:06:13 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■イマジン            投稿日: 2014年5月2日

みなさん、想像してください。
世界中の人が創価学会員になったとしたら。
世界中の人が毎日勤行唱題にはげむ姿を。
白人も黒人もアジア人も法華経を声に出して、
カラーコピーのご本尊を拝み、座談会で体験発表して、
みんなが同じような満面の笑みをうかべて拍手する姿を。
みなさん想像してください。
世界中の人が創価学会員になったとしたら。
毎年世界中の人が使い道の知らされない多額のお金を徴収され、
金額が多い人ほど幸せになれると言われ、借金してでもお金をさしだす姿を。
みなさん想像してください。
世界中の人が創価学会員になったとしたら。
決して姿も声も出さない池田氏のメッセージのとおり、世界中の法律が創価の都合で統一された姿を。
みなさん想像してください。
世界中の人が創価学会員になって、
世界中の文化遺産が邪宗だという理由ですべて破壊された姿を。
人類の歴史のほとんどを間違いだったと定義し、
これからは創価学会の思想だけが正しくて、
それ以外の考えを持つものは地獄に堕ちると世界中の人が考えるようになった姿を。
みなさん、想像してください。
世界中の人が創価学会員になって、
世界中の子どもたちが、創価学会の思想しか知らずに育っていく姿。
創価学会員であるということは、どんなアプローチだったとしても
そうした世界をつくることに加担しているということです。
みなさん想像してください。
そんな世界が人間の理想だと思うかどうか。

●signifie (2014年5月2日 20:36 )
創価が宗教団体だと思い込んでいるかぎり、学会員はそこに依存することを何が何でも正当化しようとしようとして屁理屈をひねり出そうとする。創価の現実に無理矢理ふたをして認めようとしないことこそがMCされている証拠だと思います。だからそのMCが解けないかぎり、創価が宗教じゃないということがわからないのだと思います。MC下では、思い込まされていることに気づかないですから、いくら目の前に客観的な事実をならべたところで、それが理解できないのでしょうね。覚醒以前の私の何十年もそうだったので、よくわかります。馬の耳に念仏とはこのことです(笑)。
先日に紹介させていただいた「宗教を語る Think about religion.」
http://shukyo-kataru.com/
にしても、MC下の学会員の脳では、ただの屁理屈にしか思えないでしょう。でもそれでもなんとか覚醒の糸口をつかめないかと思っているので、毎日こうしてネット上に書いています。私が覚醒したきっかけも、創価に関するネット上の多くの情報があったからです。
現在3人の活動家の方がこのブログにコメントされています。面白いことに、3人とも自分の判断である程度組織から距離をおいている方たちです。できればこの方たちとの対話の中で、覚醒した方との違いを掘り下げることで、さらに創価の実態が浮き彫りになればいいなと思います。


解説
>現在3人の活動家の方がこのブログにコメントされています。

対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
3人の活動家さんのコメントが読みたいです。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:ポラリスさん登場(3)

2021-12-25 01:03:48 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■客観的な視点          投稿日: 2014年5月1日

先日、ある方から下記のサイトを紹介していただきました。
それは宗教全般についてのことを語った個人のブログです。宗教について学術的に掘り下げるというのではなく、あくまで一般人向けにわかりやすく解説してあります。そして特に創価学会についての詳しい解説は見事で、創価学会員としての経験がない方が、どうしてここまで詳しく理解しているのだろうと驚くばかりです。もしかしたらかつて創価学会の方で、後に覚醒したのかなと想像したりしますが、実際のところは不明です。かなり多くのコンテンツがありますので、まだ一部しか読んでいませんが、それでもこの方の視点はしっかりとした客観性があることがわかります。日本の仏教における日蓮系の教義がいかに特殊なものであり、さらにその特殊性を利用して会員を偏った思想に染めてしまう創価学会の手法についても、とてもわかりやすく解説しています。おかげで私が覚醒してからの日蓮や学会の認識もほぼ間違っていなかったんだということが確認できました。あくまで研究論文のような学術的なものではなく、宗教全般の総合的な解釈のためには、たいへん参考になると思います。こちらです↓「宗教を語る Think about religion.」
http://shukyo-kataru.com/
こうした認識を自分がもっとはやくにできていれば、もっとはやく覚醒できたのかも知れないと思います。なので、創価にすこしでも疑問をもっている方は、ぜひこちらのサイトをおすすめします。もしかしたら目からウロコかもしれませんよ。原始仏教と日蓮宗派の違いや、日本と韓国との関係、いわゆる新興宗教の変遷など、これまで断片的だったり、ともすれば偏った視点での批判だったりするものが多い中、このサイトの内容は、とても体系的で充実しています。私がさきごろから「客観的な視点が必要」と繰り返し言ってきたのは、まさにこのようなことではないかと思いました。ただこれも読む人の視点によって解釈が様々に違ってくることもあると思いますが、私としてはほぼ文面通りに受け取っていいのではないかと評価する次第です。
このブログも途中で荒らしにあって中断したことはあったものの、こうして2年半も続けてこられたのは、創価の間違いに気づいた多くの方が、客観的な視点をもって創価の現実を伝えてくれるからだと思っています。たいへん感謝しています。これからもみなさんのご自身の体験をもとに創価の現実を伝えていっていただければ幸いです。
またそれとともに、今でも創価とは別なんだけど、創価と同じように「自分が正しい」と主張するコメントもたまにあります。それは創価を問題にしている以上、そうしたことも避けられないと思うのですが、それにしても自分の体験とか現実を無視し、いたずらに理屈をこねまわし、ネット上で得た知識をひけらかし、どこの誰ともわからないネット上の人間の揚げ足をとっては悦に入っているかわいそうなネットひきこもりが、このブログにもときどきコメントしてきます。もちろん私もそんなコメントにいちいち相手をしている暇人ではありませんから、はなっから無視します。そんなコメントはぱっと見てわかるので、わざわざ最後まで読む前に消去しています。つくづく世の中には似たような暇人がけっこういるんだなとビックリしますね。そんな人はよっぽどリアルで相手してもらえないのでしょうか。ネット上のどこの誰かがわからなくても、そんなに相手をしてほしいものなのでしょうか。
私は釈迦やキリストではないのですから(笑)、すべての人間の言うことを聞き、すべての人に対して公平な場をつくるなんてできるわけがありませんし、そもそもここは一個人のブログです。どこの誰だかわからない人から、ああしろこうしろと指図される筋合いはないと思っています。ここの話がいやなら見なければすむ話です。それを何が気に入らないのか、それとも自分を何様と思っているのか、とにかく自分はこれだけのことを知っているぞ、これくらいのことをしたらどうだ、おまえはこんなことすらわからないのかなどと、わざわざ言ってくる人の気が知れません。いやなら相手にしなければいいし、私に何を言ったところで、お互いにどこの誰かもわからないのにご苦労なことだと思うのです。
創価が大嫌いなのに、このブログのように創価を批判する人間にさえもわざわざ文句をつけにくる暇人がいるんですね。ネットで情報をかき集め、ネット上でしか発言できないような人(たち)を相手にする気はさらさらありません。そんな人(たち)にもう一度あえて言いますが、このブログは私の考えによって運営される個人のブログです。なんの生産性もない、なんの客観性もない、批判のための批判、もしくは自己顕示だけが目的の批判、もしくはリアルでの寂しさをまぎらわすためのくだらないコメントはどうせ承認しませんから、いくらコメントしても無駄なことだし、私が不愉快な思いをするだけなので、どうかご遠慮いただきたい。それともそうしたコメントを晒されてネット上でも恥をかきたいですか。そうしたらいずれネットでも相手にされないことが思い知らされて凹むだけですよ。言いたいことがあれば自分のブログに書くとか、同じようなネット上の仲間だけのぬるま湯につかって暇つぶしをしていてください。どうせネット上のあちこちにここの悪口を屁理屈をこねながら書いて回るんでしょうが、私は痛くも痒くもないですから(笑)。自分の心の寂しさをまぎらわすための暇つぶしはよそで思い切りやってください。よろしくお願いしますね。


解説
現在、「宗教を語る」のサイトにはアクセスができないようです。

>このブログも途中で荒らしにあって中断したことはあったものの……

ブログの中断の直接の原因は荒らしそのものではなく、管理人であるシニフィエさんの八方美人的な態度と、管理のサボタージュにより、ブログが手に負えなくなったことにあります。
また後に、この時期、プライベートなことでシニフィエさんの鬱状態が悪化したと告白しています。
後になって、白々しく「荒らしにあって中断」とは、少し違うと思います。

対話ブログが非公開になったため、これに対するコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:ポラリスさん登場(2)

2021-12-24 01:01:19 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価学会のこれから     投稿日: 2014年4月28日

ついこのあいだも書いたのですが、はじめてコメントされる方は、「はじめまして」とか「非活になって1年が経つものです」など、挨拶とか自己紹介くらいはしないと、何を書いても何の説得力もないです。見ず知らずの人に、挨拶もなしにいきなりしゃべりかけられたらいやな気持ちになるのがわからないような人のコメントは承認しませんと何度も書いています。何度も何度も言いますが、ここは言いっぱなしが許される巨大掲示板ではありません。もし「ちゃんとしたことを書いてるのになんで承認されないんだ」と思っている方は、そういうわけですのでご理解ください。そして承認されないことについて不満のある方はコメントしないでください。
 
さて、話は変わりますが、創価の間違いに気づいても「創価だっていいところもある」という方がときどきおられます。もちろん学会員のほとんどの人が悪気があってやっているわけではありませんから、いいところだってあるのは当然です。ただ私が思うには、その「いいところ」というのは、創価だからこそ成り立つものかどうかということを考えてみて欲しいということです。「いいところ」の多くは、創価の活動内容や理念ではなく、活動の中でつくられる個人的な人間関係に「いいところ」を見出している場合が多いのではないでしょうか。はたしてそれは創価でしかできない人間関係でしょうか。他のいろんな集団や仲間同士の人間関係ではなしえないものでしょうか。そしてそのことが創価の社会悪に目を閉ざしてでも創価を肯定する理由になることでしょうか。私はならないと思います。極端な例えですが、殺人犯の裁判で「あなたは私利私欲のために何の罪もない人を何人も殺したけど、根はいい人だから無罪です」という判決を下すようなものではないでしょうか。
 
先日の韓国船沈没の事故のニュースで、船長が乗客と偽って救助されている画像が流れていました。沈没する船内に何百人もの乗客が残されている中で、乗客のふりをして自分だけ助かろうとしている船長の動画がネット上で世界中に配信されました。それを見たときに、創価が終わるときにもこんな感じで幹部が我れ先に逃げ出すんだろうなと思いました。
 
今でこそ創価の会長、副会長をはじめとした最高幹部は、会員にいいことばかりを言っていますが、いったん沈没し始めたら、途端に態度をひるがえして被害者づらをすると思います。都合が悪くなったら平気で教義も理念もコロコロ変えてきた創価学会です。破門されてご本尊が手に入らなくなったらカラーコピーですませるような団体ですからね。いまさら創価の社会悪が露呈したからといって謝罪するような幹部はひとりもいないでしょう。いたらもうとっくに謝罪してますよね(笑)。
 
最高幹部は創価の悪をわかってやっています。池田氏がもうまる3年も人前に出てこない理由だって知っているでしょう。しかし一人として創価の現実を口にするものはいません。そんなことしたら甘い汁が吸えなくなりますからね。創価の組織は上に行けば行くほど腐っているということです。会員はそんな腐りきった幹部の口車に乗せられて、何百万人という人が大切な人生を棒に振っているんですから、それでも「創価だっていいところもある」なんて言ってる場合ではないと私は思いますけどね。違いますかね。
 
これから先、どこかの時点で学会は池田氏が人前に出られない状況を発表する時期が来るでしょう。といいますか、おそらくもう一般会員の前に姿を見せるようなことは二度とないでしょうね。余計なお世話かもしれませんが、創価の幹部はこれから先どうするつもりなのでしょう。
 
「じつは名誉会長は何年も前から話もできないほどボケてました。小説人間革命も、会合で読み上げるメッセージや短歌や聖教新聞紙上の長い文章もみんな何人かのゴーストライター池田河内大作が書いていました。聖教新聞に載っている幹部との記念写真は合成でした。北朝鮮を真似ました。世界各地の大学の名誉教授や名誉市民や勲章も会員から集めたお金で買ってました。もちろんどれだけ称号をもらっても本人が受け取りに行ける状況ではありませんでした。本幹でも声すら聞かせられない状況でしたが、もうこれ以上隠し通すことができません。池田名誉会長のカリスマ性あっての創価ですから、いまさらボケてましたなんて言えませんでした。これまでさんざん師弟不二とか先生をお守りするとか先生のためにとか言ってきたので、その師匠がボケて話もできないなんていうと、組織が崩壊するのは目に見えていましたから、無理を承知で隠し続けてきました。会員を騙して金儲けするための組織ですから、内情がばれたら崩壊するのもあっという間だと言うことはよくわかっています。でも会員はおもしろいほど騙されてくれました。本幹の同時中継の設備があるのに、どうして名誉会長のメッセージは声ですらないのか、これだけ多くの会員がいるのに、そんなことにもどうして気づかないのか不思議でした。気の毒なくらい。でももういい加減これ以上隠すことができなくなりました。もう3年ですよ。この3年間、池田名誉会長は一度も一般会員に姿も見せられなければ、声すら聞かせられない。よくここまで隠せたなと驚くくらいです。でももう限界です。幸い、お金はたんまりありますから、これ持ってほとぼりがさめるまで東電の幹部みたいに家族ごとドバイかどっかに引っ越そうかと思っています。まあ、私から言うことじゃないですが、騙されるほうが悪いと言えばそれまでです。会員ももともとありもしない現世の福運ほしさに目が眩んでいたわけですからね。どっちもどっちっていうのかな(苦笑)」そんな幹部の声が聞こえてきそうな今日この頃です。
ということで、前回は創価学会のみなさんへ声をかけてみましたが、案の定と言いますか、なにも反応はありませんでした。もちろんこれからも活動家さんとの対話も求めていきますが、こればっかり言ってると、逆にみなさんがコメントしづらくなるかなと思いまして、話を先に進めたいと思います。
実際のところ、これから創価学会はどうなると思われますか?よく言われるのが、もう相当ガタがきているということ。若い人がいない。私のように二世三世などわけもわからず入会させられた人が残っていて、新たな入会者が激減しているとも聞きます。聖教新聞の発行数がこの10年間変わっていないとも聞きます。あれだけ新聞啓蒙!とやかましく言いながら、そして一人で何部もとっておきながら、発行部数が頭打ちというのは、やっぱりそういうことなのかなとも思います。協議会や座談会、つまり組織の最下層ではもはや成り立たない状況に来ているとも聞きます。それでも全体としてはまだまだ数があります。財務も集まるし、公明党の票も集まります。学会の選挙活動ははたから見れば狂気の沙汰ですが、特に婦人部の皆さんはほんとに徹底しています。何かに取り憑かれたように唱題とF活動の日々。でも徹底しているわりには政治のことをほとんど知らないんですよね。それは選挙に限らず、会員は目の前に「福運」というあめ玉をぶらさげられて、それ欲しさに動いたりお金を出したりしているだけですからね。人のためにと言いながら、結局は自分だけは特別な幸せが転がり込んでくると信じてる。新聞を何部とったか、公明票を何票とったか、財務をいくらしたか、させたか、そんなことで幸せになると本気で信じてるんですからね。そんな人たちの集団が、じつはそんなの嘘っぱちだったということを知ったらどうなるでしょう。日本はちょっとしたパニックになるんじゃないでしょうか。でも池田氏がいなくなったら、遅かれ早かれそう言う時が来ると思います。もうすぐ池田氏が会員から姿をくらまして3度目の5月3日がやってきます。またメッセージと短歌が新聞に載って、最高幹部とだけの勤行会と記念写真が載るんでしょうかね。
活動家の皆さん。あなたがたの人生の師匠は、もう3年間も姿どころか声さえも聞かせてくれないんですよ。あれだけの量の執筆をしている元気があるなら、せめて声の一言ぐらい会員にかけてもバチは当たらないと思いませんか(笑)。


●北斗七星 (2014年4月28日 14:53 )
ご無沙汰しています。北斗七星です。
さわやかな五月を目前にして、木々にも芽が吹き、花香る日々を迎えました。
signifie様のブログも大盛況のなか、多くの方がコメントを寄せられるように
なり嬉しく思っています。
>実際のところ、これから創価学会はどうなると思われますか?
私、思うのですが、Xデーを創価はどう演出して次に繋げるのかと。
最近、創価大学の某教授が池田大作こそ末法の御本仏であり、日蓮は迹仏で
あると論じているように(白バラ通信)池田先生の死は仮であり、末法の御本仏
として永遠に生き続けるのだ。などのような誤魔化しをやるのかな?
資金面は徐々に枯渇していくと思いますが、最低のところは社長会で補うのでは
ないかな。統一原理協会が、今そんな感じのようですね。
あと、地方ごとに分裂し、それぞれの悪徳幹部が会員を利用してしばらく
甘い汁を吸うのでしょう。
バリ活さんもやれやれといったところでしょう。今、学会を宗教だと思って
活動している人は殆どいないと思います。
私が思うのは取り合えずこんなところです。
他のコメントも参考にさせて頂きたいと思います。
それではまたお邪魔させてください。

●signifie (2014年4月28日 19:03 )
池田氏が人前に姿を現さなくなってから3年と書きましたが、4年だそうです。通行人という方が教えてくれました。そうか(シャレじゃないっス)、もう4年になるんですね。じゃあ、もう絶対人前に出るようなことはないですね。
北斗七星さん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。
そうですか、
>池田大作こそ末法の御本仏であり、日蓮は迹仏である
と、とんでもないですね。完全に狂ってますね。でも自分で考えることをしない会員は素直に信じてしまうんですよね。狂った集団です、まったく。
仏教のブの字もないですね。こんなデタラメな団体が宗教法人として納税を免除されていることもデタラメですよね。私の親も家一軒が余裕で建つほどの財務をしてきましたので、それだけでも悔しいなあ(苦笑)
北斗七星さん、今後ともよろしくお願いします。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:ポラリスさん登場(1)

2021-12-23 01:10:02 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■「誰が儲かるのか」という視点       投稿日: 2014年4月20日

憲法9条がノーベル平和賞の候補として委員会が受理したニュースがありました。こうした報道がなされると、決まって「これは左側の人間が一方的にやったことだ。日本国民全員が望んでいることじゃないぞ」などと批判する人が騒いだりします。いまだに右だ左だとこだわって文句を言う人が絶えないのにはうんざりしますね。世論に限らず、いろんなことを二極化することで自分たちが利用されていることに気づかない人たちが、昭和な頭で文句を言ってるんですよね。「自分たちは由緒正しい右側の人間であって、左側のやつらは日本人じゃない」とか、「外国人が日本を乗っ取ろうとしている」などと騒ぐのです。しかしそれは与えられた情報に踊らされているだけであって、自分たちの「敵」をはっきりさせることで、実際には利用されていることに気づいていないんですね。体制の二極化や国どうしの二極化をつくることでお金が儲かる人たちがいる。そんな人たちにうまい具合に利用されていることを知るべきです。
近代以降の戦争も、途上国の独立運動も、あえてそうした二極化をつくりあげることで武器弾薬を売って儲かるという商売人に利用されていることに気づいていない。
戦後の日本が原発を推進することを余儀なくされたときに、マスコミを利用してそれに反対する人たちは左側だというレッテルを貼り、反原発を世論から引き離したのが当時の政府と電力会社です。これは直接的にはアメリカ政府の意向ですが、結局はそれでお金が儲かるウラン採掘権をもっている財団の仕業です。
いまだに右だ左だと騒いでいる人は、自分たちが利用されていることをいい加減知って欲しいと思います。
創価もよく似た構造を持っています。外に「敵」をつくることで団結を図る。自分たちの正しい信仰とそれ以外の間違った信仰という二極化を会員の頭に刷り込むことで、組織への服従心を強化しているんですね。座談会も御書学習会も本幹も、会員の思考停止を強化するための策略でしかありません。聖教新聞を学会員がどれだけ読んでいるのかは知りませんが、あれも思考停止アイテムのひとつですよね。たとえ読もうと読むまいと、それを他人に勧めることが仏道修行だと思い込ませている。そして販売数が増えれば組織としては会員の思考停止と金儲けの一石二鳥。創価班、牙城会、守る会なども体のいい経費削減策です。
こんな簡単なことにも気がつかないで毎年ありがねはたいて財務をする会員さん。たくさんお金を寄付すればするほど福運がつくと本気で思うというのは、普通では考えられないことですが、日頃から思考停止が徹底されていると、そんなことにも何の疑問も抱かないんですね。恐ろしいことです。
創価の組織というのは、いかにたくさんのお金を上層部に吸い取るかというだけのものだと考えると、すべての会員の活動のつじつまがピタリと合います。
戦争も原発も途上国の独立紛争も、そして創価学会も「誰が儲かるのか」を考えるとその構造が見えてきます。自分たちは正義であり、それ以外は闘うべき敵であるという刷り込みによって人間は意外と簡単に利用されてしまうんですね。それはきっと自分の存在意義がはっきりするからなのだと思います。自分は敵と戦うことによってこの世界に必要な人材なのだと思い込んでしまう。思えば思うほど自分が利用されていることに気がつかなくなる。創価の幹部の「指導」ってみんなその類いでしょう。「みなさんの幸せはこの正法を持ったときから約束されています。みなさん一人ひとりが大切な人材です。どこまでも先生の弟子として正法を広げさせまいとする魔のはたらきを打ち破り、師匠をお守りしていきましょう」などと言うでしょ(笑)」ほんとうは「みなさんは大切な金蔓です。学会に入った時から、有り金全部をはたきなさい。何があっても何も考えず疑うことなくお金をさしだしなさい。それがあなたの存在意義なのです」ということです。
創価の活動家の皆さんは、そんなわけはないと思うでしょう。「自分はもしかしたら組織に利用されているだけなのかもしれない」という疑問を持つことなど考えられないでしょう。その考えられないということ自体が、組織によって「思考停止」を余儀なくされているというまぎれもない証拠だとは思いませんか。折伏、新聞啓蒙、各種グループの活動、座談会の運営、選挙運動、そして使途のまったく明かされない莫大な財務。それらの一つひとつについて「誰が儲かるのか」という視点でもって一度でいいから考えてみてください。もしかしたら思ってもみなかった創価の真実が見えてくるかもしれませんよ。


●ポラリス (2014年4月27日 21:29 )
初めまして、現役の学会員です。以前他のブログで53歳創価学会員さんと間違えられて、ナリスマシにされた者です。あの方もそうですが、バリバリの活動家はノルマや成果に追われ忙しいせいか視野が狭い人が多いと思います。私も今の組織は活動が目的となり、本来の目的である一人一人に心を寄せ、励ましあいながらという創価の良さが無くなっていると思います。地区の改革を目指して努力しましたが、これだけ巨大化、官僚化、硬直した組織を変えることは出来ませんでした。
新聞、選挙、財務、折伏は手段であり、目的は境涯革命だと思っています。
53歳さんとは年も近くブログの内容も納得出来、学ぶ事も多いのでメールしました
今後とも宜しくお願いします。

●モニカ (2014年4月28日 23:35 )
ポラリスさん、はじめまして。
二世の元婦人部です。
創価は昔は人間主義だったとか、病人と貧乏人を蘇生させたとかは、ただ一言
「騙し事が通用した」それだけなのではと思います。
今より圧倒的に情報が少なく、また情報を操れるのはマスコミのみの時代。
創価は膨大な書籍や新聞や、会合やビデオ、レコードなどを使い、一方的に会員に都合のいい情報のみを、これでもかと流し続けた。
反論や疑問に声を上げる手だてなど、一般の会員には何ひとつなかった。
だから外部のパッシング以外、何も聞こえてこなかった。
まして退転者は見せしめのように吊るし上げられたので、アンチは静かに非活になるしかなかった。
昔だって、疑問に思っていた人はたくさん居たと思うのです。
が、一切は封じ込まれていた…そう思います。
昔はこんな組織じゃなかった…という人がいますが、折伏経典などいい例で、昔の方がとんでもない言葉が飛び交っていたし、布教の仕方も強引。
指導も軍隊のようだったし、幹部は威張っていたし、何から何まで非常識だった。
それでも騙し事が通じる時代だったんですよね。
民主主義が成熟して、近代仏教学の研究も進んだ今、ベールがはぎとられ、ひたすら隠していた秘密が暴かれた…
それだけの話じゃないかと思います。

 


解説
ポラリスさん、初登場ですね。
相変わらず、モニカさんのコメント、するいどいです。
対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(22)

2021-12-22 01:06:56 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■対話をしましょう 3        投稿日: 2014年4月19日

「あなたが自己の意見にとらわれ、受動的にだれかの情報を求めている限り、あなたに幸福も健康も訪れることはないし、能動的に調べて決断して動けるようになれば、あなたの周囲には幸せが訪れるだろう。あなたが本当の意味で努力し自己を省みれば必ず結果は訪れる。本来人間がなしえたものはそれがマイナスの要素であれ、必ず人間の力で元に戻すことが可能だからだ。しかし、そこから逃げようとしてしまうと当然うまくはいかない。物事から逃げることをせずに、辛くても正面から問題に取り組むことこそ、結果的にも最も有効で早い解決法なのだ。」内海聡氏のFACEBOOKより
内海氏は医学や薬品、食品添加物を念頭に述べているのだけど、この言葉はそっくりそのまま創価学会の会員さんへ向けても言えることです。自分で調べ、自分で考え、自分の判断によって自分の生き方を決めていく。そんな当たり前のことをやることが許されないのが創価学会です。自分で考えることなく、善悪の判断もすることもなく、言われるままに組織にお金を差し出し、選挙運動に駆け回り、自分たちの思想以外を卑下する創価学会員。そうやって自分も、大切な自分の家族も友人も巻き込んでいく。気づけばまわりから適当にあしらわれ相手にされなくなっている。それでも気づくことができないほどの思考停止に陥っている創価学会員。ほんとうなら創価学会を宗教として考えるところから間違っているというのに。ここで何度も言い続けているように、創価学会は排他的な教義の宗教を道具にして会員を思考停止に陥らせてお金を搾取する。ただそれだけの組織です。世界平和も、人間革命も、宿命転換も、ただの詭弁にすぎません。そのことに是非気がついて欲しい。ただその一点のためにこのブログを立ち上げました。それ以外なにもありません。
このブログをやろうとやるまいと、私には何の得もありません。でもこのことを何らかのかたちで言わずにはおれないのです。ほんの少しでもいいから「なんかよくわからないけど創価ってどこかおかしい気がする」といった漠然とした疑問を持っている学会員さん。ここでそのわけのわからないモヤモヤについて一緒に考えてみませんか?自分が何を思い、何のために信仰しているのか、自分で考えるということは決して悪いことではありません。決して「我見の信心」ではありません。正しい信仰者としてのあり方とは、自分の人生について自分で深く掘り下げることだと思います。会ったこともない知らない人から言われるままにお金をとられることに疑問を感じない自分がおかしいとは思いませんか?個人の思想信条が無視され、一方的に公明党の票を集めることが、なぜ仏道修行と思えるのか、疑問になりませんか?
このブログでは、現役の創価学会の方との対話の機会を常に求めています。「対話を求めて」というタイトルは、創価学会に少しでも疑問がある方に対して、その疑問をきっかけに、対話を通じて創価学会の真実に気がついて欲しいとの願いからつけました。100%創価学会を信じている方と討論する気はありません。1%でもいいから創価に疑問を抱くことができる人なら、創価の真実に気がつくことができると私は信じています。それぞれが一人の人間としての生き方について本音で対話のできる場所になれたら素敵だなと思っています。
すでに創価の実態に気がついて組織からはなれている方、もしくはすでに脱会されている方が、たくさんのコメントをしてくださいます。しかし今のところ現役の活動家の方で、この場できちんと対話をしようとする方はひとりもいらっしゃいません。ここは一日1000から2000のアクセスがあります。少なくとも一日に300人以上の方はこのブログを見ていらっしゃいますから、その中には現役の学会員さんも少なからずいらっしゃるでしょう。それでもきちんと対話をしようとする活動家の方が一人もいらっしゃらないのはとても残念です。
>あなたが自己の意見にとらわれ、受動的にだれかの情報を求めている限り、あなたに幸福も健康も訪れることはないし、能動的に調べて決断して動けるようになれば、あなたの周囲には幸せが訪れるだろう。
組織に盲目的に従順でいることが、ときとして心地よいことはわかります。しかしそれは自分の一生と引き換えにしてでも価値のあることでしょうか? いまでも創価学会の活動に生き甲斐を感じている会員のみなさんはともかく、ほんの少しでも自分らしい生き方を自分の力で見つけ出していきたいと思う心があるのであれば、一度でいいから勇気を出してここで私たちとの対話を試みるのも悪くはないのではないでしょうか。無理にとは言いません。ここは日本ですから、何を信じて生きようと自由な国です。でも創価を信じて生きてきた人が、それが間違いだったと気づいた人たちがこれだけたくさんいるという事実に、少しは目を向けてもいいのではないでしょうか。

 


解説
内海聡氏の影響がまだ強いようです。

対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮