獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(21)

2021-12-21 01:03:52 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■当たり前のウソ            投稿日: 2014年4月6日

今の時代は特に疑うことをしていなければ生きていけないですね。基本的に何かを信じることは素晴らしいことだと思いますが、その何かが間違っている場合が多いですね。創価はいわずもがな、先頃からチェックしている内海氏の発言で、多くの人が「当たり前」だと思っていることがじつは一部の人の金儲けのために広められたウソっぱちだったということがわかってきました。
食品添加物のウソ。インフルエンザや狂犬病のワクチンについてのウソ。放射能被害のウソ。武器輸出や軍備についてのウソ。その他にも社会に「当たり前」とされていることのウソを次々と伝えているのが内海氏です。彼のFACEBOOKのフォロワーの数が日本でベストテンに入るのだそうです。ということは、それだけ医療、教育、政治、経済…いろんなところにウソで固められて、何も知らない普通の人が騙され搾取され、医療の現場では病人を量産していることが彼のFACEBOOKや各地での講演活動によって多くの人に知らされ始めているということです。
内海氏の文章はとてもエキセントリックなので、人によっては耳が痛いのかもしれませんが、そうした言い方をしなければ、不特定多数の人に何かを伝えるのは難しいと思います。これも内海氏の賢明なやり方なのだと思います。
このブログももっと攻撃的な言い方をして、緊張感のある激論が展開すれば読者の数も増えるのでしょうが、私はそうしたことは考えていません。あえてやりません。といいますか、一度懲りてますから(笑)。たとえばもしバリバリの活動家さんとの対話が展開されたら、アクセス数は爆発的に増えるでしょう。過去そうでしたからよくわかります。でもそうなると中にはわけのわからない人の意味不明なコメントも増えてきて、ぐしゃぐしゃになってしまうんですね。
もちろんこのブログではバリバリの活動家さんのコメントも大歓迎ですが、よってたかって攻撃するつもりは毛頭ありません。ここではお互いを尊重しながら話を進めていくという、いわゆる「対話」をしたいと思っています。創価ではネット禁止令が出たとか出ないとか言われていますが、たしかに創価にとってネットはやっかいな存在でしょう。それは北朝鮮や中国でも同じです。真実が書いてありますから、いくらMCしているとはいえ覚醒者は出てきます。私はその覚醒に少しでもお手伝いができればという気持ちでこのブログを運営しています。議論したいわけじゃない。だれかを打ち負かしたいわけじゃない。そんな暇人ではないし、そんなことに何の意味も持てません。「対話」のなかで学会員さんが何かしら自分で思うところが出てきていただければという思いです。
まずは今の自分は自分で自分のことを考えているのかという自分に対する問いかけをしていただけるといいのかなと思います。外から見れば、学会員さんはそこが決定的に欠落しているんです。自分で自分のことを考えることをさせないようにする。そのために学会は宗教を利用しているということに気がついて欲しい。日蓮正宗はその排他的な教義が人のMCにうってつけだった。三代目は最初からその組織の頂点に立って莫大な金儲けと権力が手に入ることを見抜いていたんですね。ところが今は単なる「センセイ」という着ぐるみを着せられたゆるキャラです。もはや自分で何をやっているのかさえわからないと思います。哀れなもんです。そして中枢部はこの巨大になりすぎた利権構造の延命を必死にやっているのだと思います。それもまた哀れなもんです。うそで塗り固められた人生にどんな意味があるのでしょう。甘い汁をとことん吸えば、もう後戻りができなくなるほど創価の中枢部は腐っているのでしょうね。学会員のみなさん、そうは思いませんか?…思わないというところがMCされている証拠なんですけどね。

 


解説
内海聡氏の影響がまだ強いようです。

対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(20)

2021-12-20 01:58:41 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■断創価学会を目指して         投稿日: 2014年4月1日

やっと年度末に締め切りの仕事で徹夜続きの毎日から解放され、なかば放心状態の4月1日です(笑)。うつ病に大敵の睡眠不足。それから一日4種類10錠も飲まされていた向精神薬を、自分の意志で減らしていくことにしました。いわゆる断薬をはじめました。向精神薬というものが薬物依存にはなっても、なんら病状の快復にはならないということを知ったからです。もうまる二年も毎日飲み続けている薬を突然飲まなくなると、当然禁断症状が出てきます。たまに飲み忘れると、全身になんとも言えない悪寒が走り、なにもやる気がなくなります。薬を飲まなくては二日ともたない身体になっていました。これからは少しずつ薬を減らしていって、たまに襲ってくる禁断症状と闘いながら、うつの症状ともおりあいをつけながら解決していきたいと思っています。
うつ病は薬で治せない。治すには、うつになった精神的な原因を積極的に取り除かなくてはいけないということに気づかされました。それまでは、これは脳内ホルモンの分泌バランスが崩れて出てきたのだから、薬で治せばいいのだと単純に思っていました。通っている心療内科の先生もそう言うし、ネット上の情報もそうしたものが多かったので、単純にそのように思っていました。
ところが先日このブログでも紹介した内海聡氏の本を読んでビックリでした。彼の書いた本「心の病気に薬はいらない!」一気に読みました。本を読むのが苦手な私が、買ったその日に二度読みました。読んでおそろしくなりました。急増するうつ病患者の弱みを逆手に取って金儲けをしている精神科の医者と製薬会社の陰謀に自分もはまっていたことに気がつきました。
これは創価の金儲けと構造がよく似ています。その本から冒頭の一部を紹介しましょう。
『精神医学とは癒したり、よくしたり、解決したり、頼りにできるような存在ではいっさいないのです。しかも大半はなどというレベルではなく、絶対に必要のない存在なのです。この理由を根底から理解できないかぎり、繰り返しますが向精神薬をやめることはできません。
また、決して個人の経験だけで精神医学を否定したり、向精神薬をやめるようなことがあってはなりません、もちろん個人の経験は大事ですが、それを論拠にするとどこかで崩れてしまいます。事実を元に知識を集めることが重要であり、誰の語る内容が事実なのかを見極める目が必要になります。
そして、精神医学とは何なのかを知ることなくして解決はありえないのです。背景、歴史、思惑などを知ることなくして、具体的な方法に進むことは不可能だと、あらためて心してもらいたいと思います。
(中略)
次に必要なのは精神や心は自分でよくするものだという、完全なる理解です。ここでも完全なるというのがポイントです。なぜかというとそこが不完全だと、他のモノに依存していくからです。異性、食べ物、カウンセラー、仕事……。薬よりはましかもしれませんが、結局本人が望むものにたどり着くことはできません。
この世の物事は自分の思想と選択により解決する、その大前提を持てないかぎり。やはり薬はやめられないのです。精神の問題なのですから精神や思想、哲学によって解決する、これは子どもでも考えられる当たり前のことです。
(中略)
精神を扱う以上根本的な解決方法とはただ一つ、心と向き合うとか自らの思想を省みるとか哲学を追究するとか、そういう類いのことでしかありません。どんなに副作用が少ないモノであっても、それは所詮モノであることを理解して、初めて有効に活用することができ、断薬につながっていくのです。』
以上。
この文章の中の「精神医学」「向精神薬」および「薬」の部分を「創価学会」に置き換えて読んでみてください。そう。見事にそのまんま通用するでしょ。創価学会とは向精神薬と同じように、自分で考えることをやめてしまうような依存性が強いので、自分自身としっかり向き合い、真実を真実として確かめながら、自分の思想を確立することでしか気づくことができないと思います。つまり創価学会とは向精神薬、つまり麻薬と同じだと考えるとよくわかると思います。ぶっちゃけて言えば、会員は宗教に見せかけたシャブ中漬けにされて、言われるままにお金をまきあげられているのだということです。そしてたとえ創価の真実に気がついて辞めようと思っても、宿業だとか害毒などといった言葉による禁断症状が出てきて簡単には辞められない。また一度体験した創価コミュニティの心地よさ(麻薬の快感)が忘れられずに、またもとに戻ってしまう。ようするにどう転んでもコミュニティ依存から抜けられないシステムになっているのです。自分の世界がいちばん素晴らしくて、外の世界に本当の素晴らしいコミュニケーションがあるということが見えなくなっているのだと思います。
私はこれから二年間飲んできた向精神薬を少しずつ減らすことで、薬の副作用や禁断症状を克服し、それと同時に創価学会からの呪縛(禁断症状)からも静かに脱することができるのではないかと思っています。今日2014年4月1日は、そのスタートをきる記念すべき日にしたいと思います。

●signifie (2014年4月2日 00:40 )
子宮頸癌ワクチンについても、内海氏が明確に答えてくれています。
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-295.html

 


解説
向精神薬の断薬をはじめました。

シニフィエさん、大丈夫でしょうか。
少し心配です。   
向精神薬の断薬は、医師の指導のもと慎重にやらないと危険です。
患者が独断でやるべきことではありません。
内海聡氏にに傾倒しすぎるのは良くないのではないでしょうか。

対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(19)

2021-12-19 01:53:58 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価のからくり            投稿日: 2014年3月25日

前回は、ちょっとテーマが高尚すぎて、みなさん引いちゃったんじゃないでしょうか(笑)
その反省も含めて、今回は少しくだけて書きますね。
詳しく知らないので、間違っていたら誰か指摘してください。
私は日蓮正宗は日蓮系の宗派の中でもかなり特異な存在ではないかと思います。まず、日蓮を本仏であるとするところ。他の日蓮系では、たしか日蓮上人と呼んでいたように思いますし、教祖はあくまで仏教であるところの釈迦。釈迦の教えを根本にしていると解釈しています。ところが日蓮正宗では釈迦を仮の仏、日蓮を本仏と定め、っていうか日蓮自身が末法の本仏であると宣言しているわけで、釈迦はプレ仏教みたいな位置づけですよね。「ほんとはね、こっちが本物なんだよ。釈迦ってオイラが出てくる前の前夜祭みたいなもんなんだよね?」って感じでしょうか。末法という考え方がどの時点から出てきて、実際にどの時代をさしているのか、いろいろと説がありそうですが、それはともかく、仏教なのに釈迦をさしおいて「いまどき釈迦なんてダサいし、仮だし、そんな時代じゃね?っつうの。で、実をいうと本当の仏は私です」みたいなことを主張しているのが日蓮正宗なのかなと。いや、よく知りませんよ。違っていたら正してください。
なんでこんな話をしているのかというと、別に日蓮正宗に対してどうこう言うつもりがないことは、以前から話しているとおりです。ただ、この日蓮正宗の特異性、つまり他の仏教とは決定的に違う部分を、うまく利用したのが創価学会だったのではないかと。とにかく釈迦ではなく現実に救ってくれるのは人であって仏でもある日蓮と、法の王者としての法華経を曼荼羅にし、その日蓮が打ち立てたお題目を広めることによって絶対的な幸福が得られるんだと説得するわけですね。で、「オレだ、オレだ、オレが末法万年未来永劫に渡るホトケ様なんだよ」という宣言が日蓮正宗の基本になっているということで、実際に学会員にとって釈迦は過去の人であり、さほどの思い入れもないでしょう。元祖なのに(笑)。
それで創価学会は日蓮正宗の信徒を爆発的に増やしていった。増やしていきながら、同時に私服も肥やしてきたわけで。大客殿だ正本堂だと、それまでは細々と続いてきた日蓮正宗が、いきなり豪華絢爛な建物を寄進され、創価学会は巨大な檀家集団となり、さらにその勢いを政治や経済にも手を伸ばしていくうちに、あまりの傲慢な態度に宗門から破門されたわけですよ。それまでは宗門のほうも宗門始まって以来の栄華を極めたわけですが、今どうなっているかは知りませんし、興味もありません。宗門の人、すみません。
つまりですね、日蓮正宗の特異性に目を付けた初代会長が、どのあたりまでのことを考えていたのかは想像でしかわかりません。二代会長もよくわかりません。しかし三代会長は、あきらかにこの特異性を私利私欲のために利用したということです。実際に日蓮が言ったかどうかは知りませんが「人としての仏である自分の編み出したお題目以外に幸せになる道は断じてないのだよ?!それ以外は不幸の因を積む。地獄の道へとまっしぐらじゃ。わしの言うことを聞かんと日本の国も外国から責められて滅んでしまうんじゃからな?」と言ったとか言わないとか。ことの真相は明らかではないにしても、少なくとも創価学会の会員さんたちは、そんなふうに教えられている。「この大聖人の仏法でしか幸せにはなれない。それを知らないなんて、あ~あ、かわいそうに」と思っているわけですよ、本気で。
もし初代会長が禅宗に目を付けたらどうなっていたでしょう。おそらく何も起こらなかったでしょう。二代会長も師匠の言いつけ通り、禅の修行をしていたら、あれやこれやと事業をしたりしなかったでしょうし、三代会長に至っては戸田氏に寄り付きもしなかったでしょう。初代、二代はともかく、三代目は宗教をビッグビジネスのチャンスと見抜いた。それも桁外れのビッグマネーが転がり込んでくる千載一遇のチャンス!それは独特の宗教によって信者を増やして、その信者から布施をもぎ取る…いや、いただく。信者はそれが信仰だ、自分の幸せに、ひいては他人の幸せ、最後は世界平和のために自分も役に立つんだと、喜び勇んで会員を増やすことに熱中する。完全にネットワークビジネスです。宗教のねずみ講です。戦後日本における最大の被害を出したねずみ講こそ創価学会であり、その被害者は今も何百万人もいるという現実です。うまい話につい乗せられて、気づいたときには一文無し。それがネットワークビジネス。そしてなくしたものはお金だけではなく、周りの人の信頼もなくします。しかし創価の場合は人生そのものまで奪っていくのです。
一日もはやく、この簡単な悪徳ビジネスのからくりに気づいて欲しいです。

●モニカ (2014年3月25日 23:40)
うーん、どうなんでしょう。
私はシンプルに考えています。
日蓮仏法を信仰したのは、たまたま初代会長が折伏された教えがそれだったから。
獄中までいって信仰を捨てなかったんだから、初代も二代目も強情に信じてたと思います。
三代目は日蓮仏法じゃなくて、ただひたぶるに二代目を信仰してたと思われます。
それで、近代仏教学の研究が進み、もうこの教えじゃ騙せないとわかっても、陶酔していた師匠を裏切るわけにはいかなかった。
恩師の野望を果たすべく強引に布教を進めた。
しかし、いかんせん日蓮仏法は問題のある教えである。都合よくアレンジしたり、「学会指導」とか「創価文化」とか付加価値をつけて、鮮烈に魅力ある教えにする必要があった。
三代目はそれに天才的な手腕を発揮して、多くの人を魅了した。
同時にそれは彼の野望でもある天下取りと、巨大ビジネスのスタートであった…
こんな感じでしょうか。(あくまで個人の見解です^^;)
ビジネスに宗教を使ったのはアクドイけど、それで確信のある人生を提供した。涙ながらに感謝し、救われた人がいる…これが言い分なんでしょうね。
それに騙される方もわるい、と思います。
ともかく、からくりがわかった以上、恨みつらみよりまず逃げるべし!
そして、ああ~そうだったのね、と笑ってサバサバすること。
結局これがいちばんいいんだろうな、と思います。

●モニカ (2014年3月27日 19:06 )
創価は宗教を持たねばならない理由を、現世利益のためだとはっきり言いました。
信心するのは「宿命転換のため」「悩みを解決するため」「福運をつけるため」…
そして日蓮仏法だけがこれを可能にする、と教えました。
月日は流れ、日蓮仏法にそんな力はない。
そもそも日蓮仏法はそんなことは説いてない。
とわかりました。
では最初の「宗教を持たねばならない理由」はどうなのか。
「宿命転換のため、諸々の願いを叶えるため」としたことです。
これも、宗教とはそんなものじゃないとみんな気づいてしまった。
そしたら創価の言ってることは空っぽです。
本来、宗教のもつ意味ってなんだろうか…
考えると、自分を律する道徳だったり、心の拠りどころだったり、生死観を説いたもの…亡くなった人へのご供養ってことも浮かびます。
これって、創価が否定したことなんですけどね。
「キリスト教は宗教として力はない。ただの道徳として残っている」
「宗教は気休めじゃない」
「死んだ人の祈ってどうするんだ。ただの檀家制度だ。宗教は生きてる者のためにあるんだ」…


解説
モニカさんのコメント、するいどいです。
対話ブログが非公開になったため、これ以外のコメントを参照することはできませんでした。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(18)

2021-12-18 01:34:21 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■宗教とは何か              投稿日: 2014年3月23日

「あなた方の文化と文明はすでに死の寸前にある。三次元の世界においてあなた方の世界はもはや取り返しようがない状態になっている。もともと人類が英知を結集すれば、それは偉大な文明になりうる要素を持っていた。しかしそれは失われて久しく時間が過ぎ、あなた方は地球の破壊者と弱者への虐待者に成り下がってしまった。
不浄の場にこそ最も清浄な場を見出すのは、インダス文明の言葉だが、彼らの文化は合理性優先の今のあなた方とは、対照的な文化だった。その文化文明はインダス文明に限ったことではなく、自然と調和を図るすべての文化の中に存在した。だが残念ながらあなた方は自然と調和する術を喪ってしまったのだ。
国家はファシズムへと進みもはや後戻りは不可能となり、国際世界は平穏の仮面の裏で暗闘と対戦の危機を隠し持つ。経済はすでに破たんし個々のコミュニティは喪失し、土は病み腐りその再生を促すことはもはや困難である。日本の民族個性は土と微生物と自然調和にこそあったが、もはや大地はあなた方の手によって殺された。
地球は重要な局面を迎え、日本はさらに重要な局面を迎える。残念ながら政治家に期待することは難しく、医療者たちに何かを期待することも難しく、司法や検察などというものに何かを期待するのも難しい。あなた方は新たな文化の創造をあなた方自身の手で担わなければならない。
あなた方は、旧来のよくない文化の要素を捨て去る必要がある。自然にも日本にも地球にも必然的な流れがありそれを感じる必要がある。あなた方の思想と哲学はすでに終焉を迎えており、それは存在すればするほどに破壊を繰り返すだろう。自分たちを滅亡へ導ききる前にこの日本に新しい世界を誕生させなさい。」
この文章は、若干40歳になる若い医学者である内海聡(うつみさとし)氏によるFACEBOOKへの投稿文です。
うつ病の治療に関して調べていたら、特に向精神薬の薬害に詳しい友人から教えてもらいました。
彼自身、無宗教だとはっきりと言います。彼ともちろん話をしたことはありませんから、どのような経緯で彼の信念が出来上がったのかはわかりません。しかし、今のこの世界をしっかりと言い当てていることに、現実の危機感と、未来に対するわずかな望みをかいま見たような気がします。
もうひとつ、私が興味を抱いている方の言葉を紹介します。
これは超有名なインドの思想家クリシュナムルティの「宗教とは何か?」という問いに対する言葉です。
「宗教とは何か、知っていますか。それは詠唱の中にはありません。礼拝や他のどんな儀式を執り行うところにもありません。ブリキの神さまや石像の崇拝の中にもありません。寺院や教会の中にもありません。バイブルやギーターを読むところにもありまん。尊い御名を反復したり、人間の考案した何か他の迷信に倣うところにもありません。これらは何ひとつ、宗教ではないのです。宗教とは善の感情、河のように生きていて永久に動いている愛なのです。その状態で、君はもはやまったく探求のない瞬間が来ることに気づくでしょう。そして、この探求の終わりこそが、まったく違う何かの始まりです。神や真理や完全な善の感情の探求一善や謙虚さの涵養ではなく、心の考案したものや企みを超える何かを探し出すこと、それは、その何かへの感情を持ち、それに生き、それであるということですがそれこそが真の宗教です。しかし、それは、自分で掘った水溜りを離れ、生の河に出ていくときにだけ、できるでしょう。そのとき、生は驚くような仕方で君の世話をしてくれます。なぜなら、そのときには、君の方で世話することはないからです。 君は生そのものの一部ですから、生は君を至る所に運びます。そのときこそには、安全や人々が言ったり言わなかったりすることの問題はなく、それが生の美しさです。」
創価から覚醒した今、これらの言葉が乾いた砂に水がしみ込むように心に入って潤してきます。自分は創価によって大切なことを自分で遮断してきたんだと、つくづく思います。クリシュナムルティの言葉は以前から気になってはいましたが、やはり創価の頭ではどんな思想も受け付けませんでした。ギリシャ哲学も、インド哲学も、古代中国も、日本の仏教も、キリスト教も単なる知識としてしか中途半端に、いや完全にゆがめられてしか入ってきませんでした。創価学会は、日本人が憲法によって最低限保障されている思想信条の自由を子どもの時から奪ってきました。学会員さんにはそのことに少しでも気づいて欲しい。創価学会の外には、ちゃんとした宗教や思想があるんだということ。創価の思想がなくても、きちんと世の中のために人生を賭けて奔走している人がたくさんいるんだということを知って欲しいと思います。私もこれからが勉強だと思います。自分の人生を取り戻すための学びです。おそらく死ぬまでこの学びは続くでしょう。何も答えは出ないかもしれません。しかし創価にどっぷりと浸かって、何も考えない人生よりも、しっかりと自分で考え抜き、生き抜く人生でありたいと思っています。

●signifie (2014年3月25日 00:10)
みなさんコメントありがとうございます。
「宗教とは何か」……たいへんなテーマでしたね(笑)
私も誰が言っていたのかは思い出せませんが、宗教とは物語であるという話は聞いたことがあります。それは単なる絵空事ではなく、生きていく上で必要な物語。震災で難を逃れた人が、まず最初に自宅があった場所にもどってやることは、家族の安否はもちろんですが、写真を探すそうです。これまでの自分が歩んできた物語の痕跡を取り戻しに行くのですね。自分はどこから来てどこへ行くのか。そもそも自分とは何なのか。そこから人としての思索が始まります。そこに物語を求めるのでしょう。
創価の場合、その人間の素晴らしいところでもあり、弱点でもある物語につけこんで金儲けをたくらんだわけですね。人間の力を遥かにしのぐ大いなる力の物語を夢に見せ、それに近づくためにお金を出させる。日本の新興宗教の多くがそのようなシステムになっています。しかし創価学会ほど大きな影響力を持つ集団はいないでしょう。中枢部の幹部以外の何百万人という会員は、その偽りの物語を信じてのめり込み、疑うことなくお金を差し出しているんですよね。
誰にも物語は必要だと思います。あ、河合隼雄さんだったかな、そんなことを言ってた人。河合隼雄さんは、難しいことをほんとにわかりやすく話してくれたので、私なんかにも心理学のことが少しは理解できたと思います。ある時期、河合さんの本を夢中で読んだことがあります。物語なくして人は生きられない。それがどんなに荒唐無稽なストーリーであったとしても、科学的に証明できなくても、誰にもわかってもらえなくても、その人その人の物語があるんだって。宗教はそんな物語の中でも、とても多くの人を魅了する力のあるものなのかもしれませんね。仏典、コーラン、聖書、死者の書、ギリシャ神話、日本の神話、チベットの神話、南米の神話、ネイティブアメリカンの神話、北欧の神話……つまり神々の物語なわけです。ソクラテスのイデアも、ルターの宗教改革にしてもひとつの物語だし、デカルトもルソーもゲーテも、マルクスもハイデッガーもフロイトもユングも。その後の思想家もつまりはそれぞれの物語を語ってきたわけです。思想家だけではありません。芸術家はもちろん、科学者もひとつの物語を世界に映し出そうとしてきました。それを人間がつくりだした…いや発見したと言ったほうがいいのかもしれません。物語というのは、その人にとっては真実なのだから、単に客観的な価値観では量れない崇高なものなのだと思います。
創価では共産主義のことを「宗教はアヘンだ」と言ったとか言わないとかで宗教を否定する低俗な思想だと批判しましたが、自分たちがやっている似非宗教のほうがどれだけ悪質で麻薬よりたちが悪いものかをわかっていただきたいです。そして創価学会に宗教を語る資格など断じてないと言いたいのです。


解説
私も河合隼雄さんの本はずいぶん読みました。
物語に癒される……同感です。

内海聡氏ですが、最近ネットなどで、新型コロナワクチンについて反対する発言を頻繁にしているようです。
『医師が教える新型コロナワクチンの正体』なる著書も書いています。
私の友人である海さんは、彼に傾倒しており、その影響からか新型コロナワクチン反対の論陣を張っており、私とは意見が対立していて、残念な事態が生まれています。
私は、そういうあやしい言論には近づかないようにしていたのですが、シニフィエさんもこんな初期のころから内海聡氏に傾倒していたと知り、放っておけないと感じました。
図書館で、『医学不要論』なる著書を借りて読んでみたのですが、内容は素人が医学や薬に対するネガティブな情報をかき集めて本を書いたようなもので、読む価値のない本でした。
まともな医者なら相手にしないタイプです。
なんで、シニフィエさんともあろう人が、こんなトンデモ医者の影響を受けたのか、不思議です。
もし、海さんが、シニフィエさんの影響で内海聡氏に傾倒したのだとしたら、シニフィエさんの罪も少なくないのではないでしょうか。

対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(17)

2021-12-17 01:30:52 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■宗門と創価学会         投稿日: 2014年3月18日

日蓮正宗は日蓮仏法を奉じる仏教の一宗派です。みなさんご存知のように、日本には他にもたくさんの仏教の宗派があります。いわゆる宗門はそのなかのひとつです。日本の仏教界からすれば数ある中のほんのひとつです。一方、創価学会は日蓮仏法を利用して会員からお金をまきあげる詐欺集団です。日本には数えきれないほどの詐欺集団がいます。振り込め詐欺(ちかごろは母さん助けて詐欺などと陳腐な呼び方もあるそうですが(笑))や、結婚詐欺、株とか先物取り引きその他の金融詐欺、架空不動産詐欺、新興宗教を装った物売り詐欺(壷や印鑑などのアレ)など数えきれないほどの詐欺が日本中に暗躍していますが、創価学会はおそらく日本一被害者の規模が大きな詐欺集団でしょう。宗門と創価学会にはこれだけの違いがあることを、宗門の方にも学会の会員の方にも認識していただきたい。まあ、できれば一般の方にも知っておいて欲しいですけど興味ないでしょうね。
だいたい毎年何百億円か何千億円か知りませんが、そんなお金を集めておいて、その使い道を中枢部以外の何百万人の会員の誰一人も知らない団体なんて、絶対おかしいでしょ。しかもそれが宗教法人だなんて、とんでもない話です。どうしてそんな団体のことを何一つ疑わずにお金を出したり他人に勧めたりできるのか……それは不思議なことではありません。それが創価学会が会員をマインドコントロールしているからです。そのマインドコントロールの道具に日蓮仏法はうってつけ、もってこいの内容だったんですね。つまり創価学会にとって日蓮仏法は詐欺の道具でしかありません。だから宗門はそんな団体と争う必要なんてないのです。でも創価の実態を知った学会員が宗門に移り、こんどはケンカ腰で創価を攻撃しているという状況です。はたからみればそうとう変わった異業種格闘技です。「え?なんでこの団体とこの団体がやりあうわけ?」っていう感じです。逆に宗門が創価程度なんだと疑われてしまうかもしれません。余計なお世話でしょうけどね(笑)。
では、もし創価学会の中枢部が心を入れ替えて、宗教団体として改革ができるかどうか。それはできません。もともと中枢部が創価を宗教団体としてみていないのだから、詐欺団体が逆立ちしても宗教団体になるわけがないのです。中枢部にどれだけの教学や仏教の知識があるでしょうか。折伏(単なる増員活動)や新聞啓蒙(金儲けとMC強化)や財務(これが主な目的)や選挙活動(悪事のもみ消し工作)のために都合よく部分的に日蓮の教義を会員に刷り込んできただけの幹部たちに、本当の宗教者としての素養があるわけないじゃないですか。創価学会は中枢部の人間が完全に外部の人間に総入れ替えしないかぎり、改革などありえません。そして数百万人の会員がかかったマインドコントロールを解くことから始めなければなりません。そんなことが個人のレベルでできますか?やる気がおこりますか?少なくとも私はそんな暇人ではない。そんなことに関わっている時間などありません。はやいとこ創価学会がつぶれて、会員のみなさんが自分の間違いに気づくことのほうが、よっぽど現実的です。では創価学会がつぶれるにはどうしたらいいか。会員が減っていけばいい。どんどんどんどん減っていけば、学会中枢部もお金が入ってこなくなる。学会中枢部もやってる意味が無くなる。「いち抜けた、にい抜けた、さん抜けた」といって、何もなかったように何の責任も取ることなく去っていくでしょう。私は断言します。創価学会が潰れても、中枢部は誰一人責任を取るものなどいないと。
年度末の仕事がある程度見えてきて、気持ちに少しだけ余裕ができたせいか、このブログの形を変えてみました。これまでは必要最小限の要素だけを表示していました。うつ病というのは、とにかく気力が無くなる病気で、わかってはいても何もやる気が出てこなくなるし、人と接することが極端に億劫になるし、仕事をしなくちゃと思えば思うほど、逆にやりたくなくなるやっかいな病気です。本来やる気を出させる脳内伝達物質であるセロトニンがストレス等によって減少してしまう病気です。自分でも不思議なくらい無気力になるので、周りの人が理解できないというのも無理からぬことなのですが、うつ病ほど周りの人の理解が得られない病気も少ないと思います。「うつ病患者に『頑張れ』は禁句というのはもはや死語」と書いてある本がありましたが、それは「頑張れ」と言ってもいいというわけではなく「そのままでいいですよ」というのがいいのだそうです。私も経験上、どんなに慰められても「お前なんか死んでしまえ」と言われているような気持ちにまでなりました。これはなってみないとわからないと思います。おかげさまで、最近ようやくこうして文章を書こうという気になれました。それでも波はあるのですが、このブログだけは無理をせずに続けていこうと思っています。


●モニカ (2014年3月18日 20:16)
創価中枢部は宗門のことを「商売ガタキ」としか見ていません。
自分たちが日蓮仏法を「商売道具」としか見ていないため、相手が宗教団体だろうとお寺だろうと、商売の邪魔だ、どけ!潰すぞ!となるんでしょうね。
破門されて、今まで独占していた市場が危うくなった。
どうしても相手をワルモノにしないと顧客が流れていく。
私生活をストーカーしたり、スキャンダルをねつ造したり、あの手この手で相手のイメージダウンを図りましたよね。
これを「正義」と言った団体。
創価の正体です。


解説
対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
メモに残っていたモニカさんのコメントだけ収録しました。
モニカさんの分析、するどいですね。

是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮