syuの日記・気まま旅

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23区の戦後を写真で・・

2011-02-11 | syu散歩
千代田区は、昭和22年から60年以上、写真による記録を約4万8千点保存している。
写真の中には、戦後復興期の東京の街や大島三宅島の噴火など貴重な写真が数多く含まれている。
都政記録写真の中と、千代田区の今昔写真を合わせ100点余りの写真展があった。

終戦が1945年、私も70歳を超えやはり記憶が甦るのは、昭和20年小学一年生、秩父の縁故疎開先から上野駅に帰ったときの焦げた臭いと荒れ果てた廃墟であった。
西郷像の周りには、ゲートルを巻いた帰還兵と、浮浪児が屯しており、生きているのか死んでいるのか判らない赤ちゃんも居たのを今でも思い出す。
写真展には、残念ながら、終戦から東京の空白期の2年間の頃の写真は一枚も無かった。



千代田区にある会場東京区政会館            昭和39年頃の神田すずらん通り商店街
  


昭和34年頃の六本木交差点               懐かしいトロリーバス
  

昭和天皇が国民に戦後初めて演説した。1946年5月
「祖国再建の第一歩は国民生活、食料安定にある。地方農家は努力をしているが、もっと生産と増産と供給に努力して欲しい。
都市に於ける食料事情はいまだかって例を見ないほど窮迫し、その状況は深く心を痛ましめるのがある。

政府は直地に適切な施策を行うべきは言うまでもないが、全国民においても、乏しきを分かち、苦しみを共にするの覚悟を新たにし、
同胞お互いに助け合ってこの窮状を切り抜けなければ成らない。

戦争による諸種の痛手の回復しない国民に、これを求めるのは、誠に忍びないところであるが、これを切り抜けなければ、終戦以来全国の続けてきた
一切の経営は虚しくなり、平和な文化国家を再建して、世界の推運に寄付したいというわが国民の厳粛かつ神聖な念願の達成もこれを望むことが出来ない。

この際にあたって、国民が家族国家の麗しい伝統、区区の利害を超えて現在の難局に打ち勝ち、祖国再建の道を踏み進むことを切に望むし、かつこれを期待する。

トロリーバス                                            隅田川の花火
    

東品川の船溜まり



昭和53年都電荒川線ワンマン化花電車           昭和30年頃の数寄屋橋付近
  

小学5年生の時学校で全生徒が見た映画が「鐘の鳴る丘」。上野を舞台に、戦争孤児達が施設で生きていく映画、
今でも歌を思い出す。

     緑の丘の赤い屋根
     トンガリ帽子の時計台
     鐘が鳴りますキンコンカン
     メイメイ子山羊が鳴いている。

昭和22年上野地下道の人たち              昭和36年給食時間
    

当時の脱脂粉乳のミルクの味は、忘れられない。昭和20年11月、一日平均2.5~3人餓死とある。


酒造りの話(16) 「酒林サカバヤシ」
毎年11月頃酒屋の軒下に杉の枝で作った緑の丸い球を見た事があるでしょう。
そのいわれは、三輪明神のご神体の三輪山に杉の木が沢山生え、そのお神体の一部と考えれている。
1年経つと茶色に変わり、11月頃の新しい新酒に合わせサカバヤシも変える。一般の人々は、それを楽しみにして待つ