神奈川県「葉山」は、県南東、三浦半島北西部、葉山は「端山」とも書かれている。東海道三浦半島東部へ通じる甲虫の要地であった。
皇室の一色海岸に葉山御用邸が、1894年に建ち、その後、東京からの別荘が進出し、湘南国際センター、宅地開発が続き、鉄道、高速道と
人口流入している。
海岸は、遠浅砂浜、磯浜と平易化に富んでいる。葉山マリーナは、ヨット競技の発祥地でもある。
まず、森戸海岸近くの焼きたて食パンを買う。ここの食パンが好き。値段も意外とリーズナブルです。

葉山森戸神社

今から約840年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝は、三嶋明神(三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、
鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられている。
「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武時を行ったといいます。また、災厄が生じると加持祈祷が
行われ、七瀬祓の霊所としても重要な地であったとされています。
源氏はもとより鎌倉要人に崇敬され、特に三浦党の祈願所でもあった。また、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康より
社領七石が寄進された。
延宝2年(1674年)に徳川光圀、明治25年(1892年)には英照皇太后陛下のご参拝を仰ぎました。
現在も葉山の総鎮守として、町内はもとより近郷近在より多くの参拝者が訪れています。


昔、少年の頃友人の別荘があり、何日滞在したのか、毎日のようにこの海岸で泳いで遊んだことが思い出される。境内がその頃のままだ。

葉山の御用邸

淨楽寺


「前島 密」は、1835-1919、日本の官僚、政治家。日本の近代郵便制度の創設者の一人で1円切手の肖像で知られる。
「郵便」や「切手」、「葉書」という名称を定めた。その功績から「郵便制度の父」と呼ばれる。
新潟県上越市の豪農の二男として生まれ、早稲田大学校長、関西鉄道社長、議員などを務め、1919年、前島は晩年を別荘「如々山荘」で過ごし、
別荘は三浦半島西海岸にある浄土宗寺院、浄楽寺の境内にあった。前島夫妻の墓所も浄楽寺境内にある。
郵政民営化を断行した小泉純一郎の選挙区内である。



三浦半島一回りはここで終わります。