やっと終わったというのが一番の思い。7月14日に岸田首相が記者会見で「国葬儀」を行うと表明してから2カ月余り、賛否両論飛び交う中で事態が収束することなく国葬の当日となってしまった。この間、さまざまなことを考えさせられた。
そして、安倍さんの政治家としての評価、旧統一教会との関係などを抜きにして「国葬」で政治家を追悼するのは無理があるというのが私の結論。戦後70年余り、2009年~2012年の3年間を除いて自民党が政権を担ってきたので「国」と「政府=自民党」の区別がぼやけている点に問題の根があるように思う。
「国」には様々な立場、考え方の人が住んでいる。それぞれの思いと近い人物、またそれらの集合体の党に「国」のかじ取りを託す。そのために選挙がある。自民党の支持率は、一時的な上昇、下落はあるが概ね40%~50%である。見方を変えると半数前後の人は、「政府=自民党」のかじ取りに納得していないのである。
そのことを踏まえると「政府=自民党」は国民を説得するための説明が不可欠である。それをあえてしないで開き直って強引に事を進めたのが安倍、菅政権だったと思う。岸田さんは違いをアピールするために「聞く力」と「丁寧な説明」をキャッチフレーズにした。最初の会見で聞いた時、リーダーとして当たり前のことを敢えて『特技』と言ったことに違和感があったが、その後の政権運営を見ているとポーズだけでと違うか?という疑念が湧き、今回の国葬騒動でやっぱりそうだと確信した。
岸田さんの中には、「国」=「政府=自民党」という図式が根付いているのだと思う。だから政府、自民党、国民有志の合同で行う「国民葬」と「国葬」との大きな違いを認識していなかったのではないかと考えればすべてが納得できる。
その点、最近あったアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどの国政レベルの選挙を見ていると「国」と「政府」の相違がくっきりと見える。その分、シビアで厳しい論戦が交わされるし、良し悪しは別にして有権者も自分の利益のためには誰が良いかを考えることが当たり前になっている。
そのことで、世界の主要国は政権交代の時期にさしかかっているように思う。安定から不安定な世界になりつつある。安穏ぐうたらな生活を望む私の心は「嫌だ 嫌だ」とつぶやいている。
そして、安倍さんの政治家としての評価、旧統一教会との関係などを抜きにして「国葬」で政治家を追悼するのは無理があるというのが私の結論。戦後70年余り、2009年~2012年の3年間を除いて自民党が政権を担ってきたので「国」と「政府=自民党」の区別がぼやけている点に問題の根があるように思う。
「国」には様々な立場、考え方の人が住んでいる。それぞれの思いと近い人物、またそれらの集合体の党に「国」のかじ取りを託す。そのために選挙がある。自民党の支持率は、一時的な上昇、下落はあるが概ね40%~50%である。見方を変えると半数前後の人は、「政府=自民党」のかじ取りに納得していないのである。
そのことを踏まえると「政府=自民党」は国民を説得するための説明が不可欠である。それをあえてしないで開き直って強引に事を進めたのが安倍、菅政権だったと思う。岸田さんは違いをアピールするために「聞く力」と「丁寧な説明」をキャッチフレーズにした。最初の会見で聞いた時、リーダーとして当たり前のことを敢えて『特技』と言ったことに違和感があったが、その後の政権運営を見ているとポーズだけでと違うか?という疑念が湧き、今回の国葬騒動でやっぱりそうだと確信した。
岸田さんの中には、「国」=「政府=自民党」という図式が根付いているのだと思う。だから政府、自民党、国民有志の合同で行う「国民葬」と「国葬」との大きな違いを認識していなかったのではないかと考えればすべてが納得できる。
その点、最近あったアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどの国政レベルの選挙を見ていると「国」と「政府」の相違がくっきりと見える。その分、シビアで厳しい論戦が交わされるし、良し悪しは別にして有権者も自分の利益のためには誰が良いかを考えることが当たり前になっている。
そのことで、世界の主要国は政権交代の時期にさしかかっているように思う。安定から不安定な世界になりつつある。安穏ぐうたらな生活を望む私の心は「嫌だ 嫌だ」とつぶやいている。