2024年の元旦の朝は爽やかだった。季節外れの暖かさも消えピンと張りつめた冷気を感じた。ここ2年、元旦の日は交野フレンドタウンで餅まき、和太鼓演奏、獅子舞いのイベントを楽しみ、星田神社に初詣をして帰るというのが定番になった。今年も同じ。
「私市っ子」による和太鼓演奏も恒例だが、太鼓の音とリズムはいつ聴いても心地よい。心身が浄化されていく感覚を覚える。
打楽器はもっとも古くからある楽器だけに人間の深部に直接響く。中学生の頃にテレビで能登の御陣乗太鼓に引き込まれたことが思い出される。
「天正4年(西暦1576年)越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散した。」とその由来にあるように鬼気迫る迫力に魅了された。
獅子舞いの獅子が苦手で、ずっと逃げたり隠れたりしていた孫も、小1になったプライドか「獅子なんて怖くない。」宣言をした。しかし、実際に獅子が登場するとかなり緊張した様子。「無理かも、無理かも」とつぶやいていたが他の子の様子を見て「行ってくるわ」と清めの頭かじりの列に並んだ。神妙な顔つきで獅子に頭をパクッとしてもらった。来年はもう卒業かな?
星田神社へ行くと昨年よりも長い列ができていた。一人であればやめて帰るところだが、みんなで並べば気も紛れ遅々とした歩みにも耐えられる。並んでいる間に、青空が冬の雲に覆われてきた。「雪雲やな」という声も聞かれる。風もだんだん強くなってきて時雨てきた。
さんざん待って、お参り15秒。「病院の診察と同じやなあ」という。破魔矢を買って(1200円)急いで帰る。時雨れた天気は一時的なもので15時過ぎになるとまた青空に戻った。孫はクリスマスプレゼントでもらったスケボーを練習するために娘と外に出かけた。静かになった部屋でくつろいでいたら揺れを感じた。やや長く続いたので少しあせった。「震度3か4ぐらいかなあ」と言いながらテレビをつけると能登沖を震源とする大きな地震が起こったとのこと。震度が7強と聞き驚いた。3m以上の津波も発生しているみたいで大津波警報も発令し、注意喚起の呼びかけが繰り返された。
どのテレビ局も正月向けの特番は吹っ飛び、地震情報一色となった。正月気分はいっぺんに吹き飛んでしまった。令和6年はとんでもないスタートとなった。
「私市っ子」による和太鼓演奏も恒例だが、太鼓の音とリズムはいつ聴いても心地よい。心身が浄化されていく感覚を覚える。
打楽器はもっとも古くからある楽器だけに人間の深部に直接響く。中学生の頃にテレビで能登の御陣乗太鼓に引き込まれたことが思い出される。
「天正4年(西暦1576年)越後の上杉謙信は、能登の名城であった七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌まで持ち出して上杉勢を迎撃する準備を進めたが、あまりにも無力であることは明白であった。しかし郷土防衛の一念に燃え立った村人達は、村の知恵者といわれる古老の指図に従い、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけた。上杉勢は思いもよらぬ陣太鼓と奇怪きわまる怪物の夜襲に驚愕し、戦わずして退散した。」とその由来にあるように鬼気迫る迫力に魅了された。
獅子舞いの獅子が苦手で、ずっと逃げたり隠れたりしていた孫も、小1になったプライドか「獅子なんて怖くない。」宣言をした。しかし、実際に獅子が登場するとかなり緊張した様子。「無理かも、無理かも」とつぶやいていたが他の子の様子を見て「行ってくるわ」と清めの頭かじりの列に並んだ。神妙な顔つきで獅子に頭をパクッとしてもらった。来年はもう卒業かな?
星田神社へ行くと昨年よりも長い列ができていた。一人であればやめて帰るところだが、みんなで並べば気も紛れ遅々とした歩みにも耐えられる。並んでいる間に、青空が冬の雲に覆われてきた。「雪雲やな」という声も聞かれる。風もだんだん強くなってきて時雨てきた。
さんざん待って、お参り15秒。「病院の診察と同じやなあ」という。破魔矢を買って(1200円)急いで帰る。時雨れた天気は一時的なもので15時過ぎになるとまた青空に戻った。孫はクリスマスプレゼントでもらったスケボーを練習するために娘と外に出かけた。静かになった部屋でくつろいでいたら揺れを感じた。やや長く続いたので少しあせった。「震度3か4ぐらいかなあ」と言いながらテレビをつけると能登沖を震源とする大きな地震が起こったとのこと。震度が7強と聞き驚いた。3m以上の津波も発生しているみたいで大津波警報も発令し、注意喚起の呼びかけが繰り返された。
どのテレビ局も正月向けの特番は吹っ飛び、地震情報一色となった。正月気分はいっぺんに吹き飛んでしまった。令和6年はとんでもないスタートとなった。