先日のNHKのニュースの中の特集で、甲子園球場がことし開場から100周年を迎えることを記念して、夜の球場の散策や、照明を使った演出を楽しめるイベントの様子を伝えていた。
甲子園球場は大正13年(1924年)の8月1日に「甲子園大運動場」として誕生した。干支で甲(きのえ)子(ね)の年から命名された話は、同じ年に生まれた父からよく聞かされた。父は1月17日生まれだから生きていればまもなく100歳を迎えたのだとふと思った。
父親から叱責を受けた記憶はほとんどない。1つだけ強く残っているのは中学3年生の時のことである。小学校2年から中学校3年まで鵜方で暮らした家は、農家の納屋を改造した非常に狭い借家だった。4畳半の部屋に二段ベッドを入れて弟と使っていたのが子供部屋。他には6畳と4畳半の和室に台所という具合だった。
定期テストの勉強をしている時、私の机とふすま一つはさんだ6畳の部屋にテレビがあり両親と5歳下の弟がバラエティー番組を楽しんでいた。背中の後ろから聞こえる楽し気な声に、つい「こんなうるさいとこで勉強なんかできない」とテスト勉強が思うようにはかどらない苛立ちをぶつけてしまった。その時、温厚な父が、条件が整ったらできるのか?放課後誰もいない時にちゃんとやったのか?というようなことを強い口調で𠮟責した。思ってもいない反応だったのに驚いたのと自分のできないことを環境のせいにした恥ずかしさでぐうの音も出なかった。
以来、他人や状況のせいにする言葉を使うのをやめた。自分に与えられた状況に対して「どうすれば居心地の良いものにしていけるのか?」というように考え、行動するように心がけた。
受験を始めとして失敗の多い人生だったが、そのおかげで失敗を糧にして何とかやってこられたように思う。特集を見て父の言葉を思い出し、改めて感謝した次第。
「自分はするべきことをしたのか?」をこれからも自問しながら、主体的に生きていきたい。
甲子園球場は大正13年(1924年)の8月1日に「甲子園大運動場」として誕生した。干支で甲(きのえ)子(ね)の年から命名された話は、同じ年に生まれた父からよく聞かされた。父は1月17日生まれだから生きていればまもなく100歳を迎えたのだとふと思った。
父親から叱責を受けた記憶はほとんどない。1つだけ強く残っているのは中学3年生の時のことである。小学校2年から中学校3年まで鵜方で暮らした家は、農家の納屋を改造した非常に狭い借家だった。4畳半の部屋に二段ベッドを入れて弟と使っていたのが子供部屋。他には6畳と4畳半の和室に台所という具合だった。
定期テストの勉強をしている時、私の机とふすま一つはさんだ6畳の部屋にテレビがあり両親と5歳下の弟がバラエティー番組を楽しんでいた。背中の後ろから聞こえる楽し気な声に、つい「こんなうるさいとこで勉強なんかできない」とテスト勉強が思うようにはかどらない苛立ちをぶつけてしまった。その時、温厚な父が、条件が整ったらできるのか?放課後誰もいない時にちゃんとやったのか?というようなことを強い口調で𠮟責した。思ってもいない反応だったのに驚いたのと自分のできないことを環境のせいにした恥ずかしさでぐうの音も出なかった。
以来、他人や状況のせいにする言葉を使うのをやめた。自分に与えられた状況に対して「どうすれば居心地の良いものにしていけるのか?」というように考え、行動するように心がけた。
受験を始めとして失敗の多い人生だったが、そのおかげで失敗を糧にして何とかやってこられたように思う。特集を見て父の言葉を思い出し、改めて感謝した次第。
「自分はするべきことをしたのか?」をこれからも自問しながら、主体的に生きていきたい。