奈良教育大学付属小学校で、学習指導要領を逸脱した「不適切な指導」が行なわれていたニュースがきっかけで、いろいろなことが思い出されてきた。
私が小学校、中学校で経験した授業は、学校裁量で自由度が大きかったという印象を持っている。5年生、6年生では文部省の体育の研究指定校となったので2年間実験的な授業を受けてきた。このことが国立の附属学校では独自の試みをするところだという思いを持つ大きな経験だったと思う。中学では2年生から英語の能力別クラスによる授業があった。AクラスからDクラスと技術・家庭を学習するEクラスに分けられて英語の時間だけはそれぞれのクラスに分かれての授業となった。Aクラスでは教科書は暗唱テストのためにだけ使い、授業は高校生用の副テキストを使っていた。また、3年生の時に赴任してきた校長先生がいきなり主体的学習を打ち出し、一斉授業ではなく生徒による授業が実践された。
次に、大きな衝撃を受けたのは、1971年(昭和46年)から実施された「現代化カリキュラム」といわれる改訂。特に、数学において大幅に内容が変わった。「数学教育の現代化」と言われ、大学で学習した内容が小、中、高校に未処理のまま導入された。「集合」などがその典型だった。中学校では1972年(昭和47年)度から実施されたので、教育実習を1973年(昭和48年)度に行った私は、教科書を目にした時、自分が学習した教科書とのギャップに驚いた。ただ、若かったので「これからの数学はこれだ!」とばかりに意気揚々と取り組んだ。ただ、附属中学校では手応えがあったものの、次年度就職して村野中学校で実践してみると急速に現代化を取り入れた矛盾が見え始め「これでは駄目だぞ」と思うようになった。そこから、民間教育団体の数学教育協議会などの研究会などに参加したりして広い視点から考え直した。
「数学教育の現代化」は多くの研究者、現場の教師が危惧した通り、混乱だけをもたらし当初の目的を果たせないまま次の改訂(1980年・昭和55年)で取りやめになってしまった。そこで出てきたのが「ゆとり教育」である。ここから約20年間は、「詰め込み教育」を否定する方向で改訂が進む。現場では、系統的な知識や基礎学力の不足が危惧され教科書だけではなく補助プリントなど様々な工夫をして「ゆとり教育」の弊害を減らす取り組みがなされた。
基本知識や基礎学力の不足が目に見える形で現れてきたため2002年(平成14年)の改訂で「総合的な学習の時間」が新設された。この「総合学習」というものが現場に新たな混乱をもたらせた。ちょうど最後の赴任校、枚方三中に転勤した頃であった。退職までの7年間でようやく形が定着してきたが、それまでの担当者の苦労は並大抵ではなかった。
「脱ゆとり教育」を明確にした2011年(平成23年)の時は、現場を去っていたから「生きる力」はぐくむ教育という言葉が出て来ても傍観者気分であり、またぞろ現場は振り回されるのだろうなと同情した。
去年、小学校に入学した孫の夏休み、冬休みの宿題に付き合い、久しぶりに教科書に接したがすさまじい「詰め込みやな」という印象を持った。
教育には「正解」というものがないので、さまざまな教育方法が実践されてきた。本来ならばそれらを検証しながら模索していくのが筋だと思う。「これですべてが解決する」という魔法の方法はないことだけははっきりした。
この実践⇒検証が抜け落ちているのが学習指導要領の改訂での一番の問題であるというのが、改訂と長く付き合ってきた私の思いである。
私が小学校、中学校で経験した授業は、学校裁量で自由度が大きかったという印象を持っている。5年生、6年生では文部省の体育の研究指定校となったので2年間実験的な授業を受けてきた。このことが国立の附属学校では独自の試みをするところだという思いを持つ大きな経験だったと思う。中学では2年生から英語の能力別クラスによる授業があった。AクラスからDクラスと技術・家庭を学習するEクラスに分けられて英語の時間だけはそれぞれのクラスに分かれての授業となった。Aクラスでは教科書は暗唱テストのためにだけ使い、授業は高校生用の副テキストを使っていた。また、3年生の時に赴任してきた校長先生がいきなり主体的学習を打ち出し、一斉授業ではなく生徒による授業が実践された。
次に、大きな衝撃を受けたのは、1971年(昭和46年)から実施された「現代化カリキュラム」といわれる改訂。特に、数学において大幅に内容が変わった。「数学教育の現代化」と言われ、大学で学習した内容が小、中、高校に未処理のまま導入された。「集合」などがその典型だった。中学校では1972年(昭和47年)度から実施されたので、教育実習を1973年(昭和48年)度に行った私は、教科書を目にした時、自分が学習した教科書とのギャップに驚いた。ただ、若かったので「これからの数学はこれだ!」とばかりに意気揚々と取り組んだ。ただ、附属中学校では手応えがあったものの、次年度就職して村野中学校で実践してみると急速に現代化を取り入れた矛盾が見え始め「これでは駄目だぞ」と思うようになった。そこから、民間教育団体の数学教育協議会などの研究会などに参加したりして広い視点から考え直した。
「数学教育の現代化」は多くの研究者、現場の教師が危惧した通り、混乱だけをもたらし当初の目的を果たせないまま次の改訂(1980年・昭和55年)で取りやめになってしまった。そこで出てきたのが「ゆとり教育」である。ここから約20年間は、「詰め込み教育」を否定する方向で改訂が進む。現場では、系統的な知識や基礎学力の不足が危惧され教科書だけではなく補助プリントなど様々な工夫をして「ゆとり教育」の弊害を減らす取り組みがなされた。
基本知識や基礎学力の不足が目に見える形で現れてきたため2002年(平成14年)の改訂で「総合的な学習の時間」が新設された。この「総合学習」というものが現場に新たな混乱をもたらせた。ちょうど最後の赴任校、枚方三中に転勤した頃であった。退職までの7年間でようやく形が定着してきたが、それまでの担当者の苦労は並大抵ではなかった。
「脱ゆとり教育」を明確にした2011年(平成23年)の時は、現場を去っていたから「生きる力」はぐくむ教育という言葉が出て来ても傍観者気分であり、またぞろ現場は振り回されるのだろうなと同情した。
去年、小学校に入学した孫の夏休み、冬休みの宿題に付き合い、久しぶりに教科書に接したがすさまじい「詰め込みやな」という印象を持った。
教育には「正解」というものがないので、さまざまな教育方法が実践されてきた。本来ならばそれらを検証しながら模索していくのが筋だと思う。「これですべてが解決する」という魔法の方法はないことだけははっきりした。
この実践⇒検証が抜け落ちているのが学習指導要領の改訂での一番の問題であるというのが、改訂と長く付き合ってきた私の思いである。