素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

Happy New Honda開催のHonda Cars 北河内へ

2024年01月05日 | 日記
 Honda Cars 北河内は今や4店舗を持つようになったが、創業時は三光ホンダと言って倉治の小さな販売店だった。50年ほど前に免許を取って車を購入することを考えていた時、村野中学の教頭の岸先生が「教え子が車の販売店を開業したのでそこで買ってあがてくれないか?」と頼まれたのが縁で、それ以来のお付き合いである。

 毎年、新年に開催されるイベント♡Happy New Honda♡には顔を出している。担当の方との付き合いも長い。4,6,7,8日は混雑すると思ったので今日出かけた。案の定お客さんは誰もいなかった。担当者の方も手持無沙汰な様子で、30分程ゆっくりとよもやま話を楽しんだ。

 どうしても話題は能登半島地震になってしまう。担当者の方も旅行で能登半島を巡ったことがあり、道路網や町の密集状態を考えると実態をつかむのに時間を要するだろうなと話していた。

 私も能登半島に1971年、50年余り前に旅行していたので当時の事を思い起こしながら話を聞いていた。20歳だった8月3日から6日までの3泊4日の車での旅だった。運転免許を取った友人が親戚の車を借りてきたのがきっかけだった。彼を含めて4人で能登半島を1周することになった。詳細については記憶がない。今思うと無謀な旅だった。

 1日目が名古屋から福井、2日目が福井から金沢を経て輪島まで、3日目が輪島から七尾を経て福井までえ4に目が福井から名古屋という行程だった。エアコンのない自動車で暑かった。という記憶が残っている。特に、能登半島に入ってからは未舗装の道路で砂煙がすさまじく窓を開けることができず灼熱地獄だった。
能登金剛を通過し輪島に入った時のアルバムの写真の添え書きは「ここへ来るまでものすごい道だ。砂けむりと細い道。アツイうえに窓を閉め切るからサウナ以上。まさに忍耐、忍耐また忍耐。輪島に着いた。ホッとした。」

 道路はずい分改良されたと思うがそれでも陸の孤島的な物理的な条件は代えられないので今回の地震の救援での現地入りや物資輸送の困難さは想像に難くない。千枚田の風景もニュース映像で見たが、かつて旅の途中で出会った感動とは真逆ものを感じた。
 珠洲市が壊滅的な被害を受け、まだその実態さえ把握できない状況だが、この地では2つの所が記憶に残っている。1つは禄剛崎燈台、もう1つが見附島(軍艦島)今、どうなっているのか気がかりである。
 

 当然、航空機の衝突事故もショッキングだったようだ。自動車業界の人間にとっては、航空機こそ安全システムの最先端にあるという認識で「車業界でも自動運転がずい分進んで来た時代に、あんなことが起きるとは、しかも羽田で」という言葉にはショックの大きさを感じた。

 いつもなら明るい雰囲気だが、今年はシビアな話にどうしてもなっていく。

 
コメント
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