素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

大阪国際女子マラソンで19年ぶりに日本記録更新!初の18分台!

2024年01月28日 | 日記
 今日は、いつもより早く12時過ぎにジムに行くことができた。着替えてトレーニングルームに入ると備え付けのテレビでは大阪国際女子マラソンが放映されていた。ちょうどスタートしてから5分余り経過していたところだった。2時間30分ほどのメニューをこなすつもりでいたので「いいタイミングでジムに来たな」と思った。ゴールまでの中継をトレーニングの合間合間に見ることができるのでいい気分転換になる。

 9種類のマシーンを使っての筋トレをこなしてテレビの方へ行くと、ちょうど20kmを過ぎたところで、トップグループから一人、前田選手が抜け出したところだった。見ていたHさんに「ちょっと早過ぎるで、まだ半分あるのに大丈夫かな」と話しかけられた。私も同じ思いだったのでうなづいた。Hさんは7,8年前に大阪国際女子マラソンと同時に開催されたハーフマラソンに参加した。フルマラソンの大阪女子は長居競技場から大阪城で折り返し長居に戻るのだが、Hさんたちは同時刻に大阪城をスタートして同じコースを長居競技場まで走る。途中で女子選手たちとすれ違うことになり、走りながら声援を送るという趣向だ。そして長居競技場でゴール後、女子選手たちのゴールを出迎える役割を果たす。一石二鳥を狙った企画だった。ただ、それだけに途中の関門通過基準は厳しく、遅い人はどんどんコースから外された。Hさんは競技場手前の最後の関門を通過できずに完走が出来なかった。「後にも先にも関門にひっかかったのはあれだけ。いまだに悔しい」と画面を見ながら述懐していた。1kmを3分12秒前後のペースはいつまで続くだろう?と心配する声が多くあった。

 こういう走りを見ると自然にランニングマシーンの走りにも力が出る。フルマラソンの正念場30kmを過ぎても失速する様子はなく、いいリズムでピッチを刻んでいた。「ひょっとしたらこのまま行って、日本記録が更新されるのでは?」という期待の空気に変わってきた。しかし、後続のエチオピアの選手は強く31kmを過ぎたあたりで抜かれてしまった。普通は、ズルズルと引き離されていくのだが'、大方の予想をまた裏切って7~9mぐらいの絶妙な差で食い下がっていった。緊張感のあるいいレースになった。

 長居競技場に入ってのトラックは長く感じた。トレーニングをしていた人もみんな集まり刻々と刻む時計をにらみながら「あと~m」と声援を送った。19分を切るかどうかが微妙になってきたラスト100mは、固唾を飲んで見守るというのがピッタリの張りつめた空気になった。
ゴールした時の速報タイム2時間18分58秒の数字を見て自然と拍手が出た。正式タイムは2時間18分59秒だがこの1秒は貴重である。

 それまでの日本記録の上位はベルリンなど記録の出やすい外国でのものだった。起伏のある大阪のコースでの19分切りは価値あるものだと思った。マラソン大好きのIさんの「日本新記録を出しても2位か!」のつぶやきで高揚した空気が冷め、おのおの自分のトレーニングに戻った。

 久々にいい時間が過ごせた。前田穂南さんがパリ・オリンピック代表の最後の一枠に入ることは九分九厘まちがいないだろう。けがをしないことを願うのみ。過度な期待をかけるのをやめ、「アレ」精神でゆったりかまえよう。

コメント
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