玄徳道

道を語るブログです。

元曉法師と頭蓋骨の水道。

2022-02-18 19:30:00 | 道院
元曉は、唐の時代、新羅から中国へ行って、仏教の師匠とめぐり逢った。

そこで色々な艱難や辛苦を舐めた。

ある時、本人が修業のために、地方に出て行脚をして、真夜中に郊外で野宿をした。

夜中に喉が渇いたので、水を飲もうとしたが、水が無いので、手探りで何か飲み物が無いかと、探した。

瓦礫や廃墟のなかにたまたま、僅かな水があった。

そこでこの水を一気に飲んで、その渇きを癒した。

その水は、甘露水のように、非常に美味しかった。

ああ、生命の水なり。

翌日、明るくなって見ると、この水は頭蓋骨の中に溜まっていた、汚水であることに、気がついて、たちどころに、吐き気を催したのである。

そこで元曉が悟って謂うには、三界(前世、今世、来世)は、唯、心の中にのみあり、多くの法は唯心が万物を認識する働きによって、分別心があらわれてくるのである。(鬼雷が述べる。要は好みの世界であります。それを人欲と述べます。姿形が良い、男人や女人に、親切にされると、それに対する人の心が鰻登りとなり感謝もする。醜い、男人や女人から、親切にされても、対して心が動かされず、心が高揚しない。人は形や物しか見えず、真なる魂を観れない。人の真実を悟れない。)

それは、美と醜、善と悪、是と非などの相対的な考え方は、自己中心の分別心によるのである。

ましてや、昨日飲んだ水は、甘露水の様に美味しかった。

されど、頭蓋骨を見れば、反吐の水に変わり、美味しく吸収した身体から、吐き気を催し、胃液を沢山吐いたのである。
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