天から降る縦の五六七(弥勒)が横の地の三六九(みろく)と結ばれて


結ばれて弥勒となりて、弥勒の世に成るのであるぞ。
それを地上天国とも、日の出の世とも申すのであるぞ。
神人和楽の美わしき国を、この地球の上に開かんと、世の元の艮の金神、国常立尊は、人類を現の世に住まわせたのであるぞ。
世界人類は何十億あるとも、龍体から変化させた、人の身に一人残らず、親神あり、その神霊を分けて鎮めてあるぞよ。
その折、丸裸の人類が、立派に成長する為に、艮の金神は、自由意志と知恵も授けたのであるが、それが為、人類は、元の親神、国常立尊のやり方があまりにも厳しく自由にならぬと、艮の方へ押し込め、自我と欲の固まりの思凝霊を人間の願いを聞いてくれる神と、崇め祈り三千年の月日が立ちたぞよ。
人類の自由と知恵の働きで、ここまで、物質文明も開け、楽な世となりたが、その文明が人類の滅亡にもなる事を、もうそろそろ氣づかぬと、間に合わぬ事となってしまうぞよ。
この地球の人類一人一人に、役目を授け、その時代相応の神芝居をさせて来たのであり、神と言えば、人間の勝手な願いを聞いてくれる、ものぐらいに思いておるが、これからは、現の世を修理固成、世の元の艮の金神 国常立大神が須弥仙山なる富士の山に腰掛けて、世界に睨みをきかすから、主勝手の利己主義(われよし)は許さぬぞよ。
世の元からの神々を押し込めた岩戸(言霊止)は、そこらの戸を力って、「がう」と、開けるようなわけには、ゆかなから、人間の利己主義の思凝(岩戸)を打ち砕く為、この三千年、幾度もの戦争や疫病や災害、様々の辛い悲しい苦渋をさせて、この地球に生かされて居る事が、腹の底から判るまで、厳しい試練浄化は止まぬと申せるぞよ。
神と言えども、利己主義の思凝霊もあれば、悪神邪神と言われるのもあるが、世の元からの、天地自然と共にある生命の源の神々は、様々の試練浄化に苦しむ人民を見て、早く心を改めよ楽になれよと、大難を小難にて、助けてやりたい、親心であるぞよ。
大正八年(大本神諭)から「えべす、大黒(英米ソ[ロシア]大黒[大国中国])あらわれて、おおづち、こづち、ふりまわし、たけび、九[く]るい、つひに、つきにすすみ、きたるぞ、おそろしき…佛[フランス]様まで、ねじはちまきの大車輪と」世界に大渦巻く事が示してあるのだから、日本も腹帯を締め直し、調子に乗らぬよう慎重に致さねば、世界の変わり目の大渦に巻かれてしまうぞよ。
最後に世界五色の人種がオリンピックの五つの輪の如く、大和(大輪)の世を開かねばならぬのが、この日本の神命である事を決して忘れてはならぬぞよ。
独裁者中心の共産で無く、神中心の共生共産共存の世を開くのが、神の念願であるぞよ。
世界の国々も又、人民も意に添わぬ者を、武力や暴力で無理矢理従わせ、世界を一人占めにするような事は、神は許さぬぞよ。
されど、何事も無く、世は変わらぬぞよ。
荒事無ければ、新事成らぬのが、現の世であり、皆で与えあいら和と成らねば、諍い絶えぬ現の世であるぞよ。
諍いとは、言葉の争いの事じゃ。
話は和に通ず。
話し合いの大事、忘れてはならぬぞ。
皆で助け合わねばどうにもならぬ事は、様々の災害の折、教えてある事、忘れてならぬぞ。
真の神は、大宇宙、大自然の中に、不可思議な力を持って現れ、万物に生命の恵みを垂れ、誤りの事あれば、警告を発し、永遠の時の流れを司るのであるぞ。
厳しき中にも愛のある、荒和の働きあるのが、神の奇しき働きであるぞよ。
人間の求める御利益の的となる体主の思凝霊(しこりがみ)は、現の世だけの御利益、霊界までの導きは、してくれぬぞよ。
現の世だけ良ければ良いの体主霊従(からたま)の世から、霊性を磨き、霊なる世界の親神の元へ帰る、永遠の安心の道を開くのが令和(霊和)の世の神図りであるぞ。
白山菊理姫の神氣を受け、神素戔嗚尊、現の世の浄めに出で立つぞ…。
その妃、櫛稲田姫、出雲の元からの神であり、金勝要神より出でし、神霊であるぞ。
龍宮の御宝を真世の為に活かしゆく、道を開くぞよ。
その神霊の元は但馬の神鍋山であり、昭和五十年十月五日の噴火口の中より、神霊石を出してあるぞよ。
さあ、要とは、腹じゃぞ。
腹をすえて世の流れを見ておれよ。
目先の損得に走るなよ。
神国日本と申してあるが、どれだけの神に守られて居るか、かみしめねばなるまいぞ。
日々大切に今今の事、たゆまず、勤め果たしてゆくのじゃ。
それぞれ、授けてある御魂の一役、立派に果たせば、世界は時計の歯車のかみ合うが如く、正しき、時を刻むのじゃ。
厳寒の冬を堪えて、梅の花、咲く腹が来る。
暖かき日の光に雪も解け、大地うるおす、水となり、稲の稔りの元となる。
無駄無き神の図りぞよ。
我が身の役目、果たそうぞ。
言霊神也 ン。
令和四年二月九日
龍華斎修聖拝写。